第37話 交わらない視線

「すみません、お待たせしました」


 短い時間だが、義足の薔薇子を立ったまま待たせてしまった。高松はそう自省する。

 もちろん店の中で椅子に座っているよう言ったのだが、彼女は「店の邪魔はしないよ」と遠慮した。薔薇子らしくないといえば、薔薇子らしくない。

 高松に声をかけられた薔薇子は、胸の下で組んでいた腕を解き、目を細める。


「随分と親しげだったじゃないか、高松くん」

「親しげ?」


 彼女が何を言っているのかわからず、高松は聞き返した。すると薔薇子は眉を顰めて、言葉を続ける。


「わざわざ全てを説明しなければならないのかい? 片桐 茜さんのことさ」

「茜さん? ええ、そりゃ二年間一緒に働いてますし、俺が梅原書店でバイトを始めたのも茜さんの影響ですからね」


 高松が答えると、薔薇子の表情に『不機嫌』の色が増した。


「鼻の下を伸ばして、惚気話でもしているつもりなのかな? それだけ伸ばせば、そこの溝『人中窩』で流しそうめんでもできそうだね。本来なら竹でするものだから、キミのことは『竹内』と呼ぶことにしよう、高松くん」


 同時に二人を傷つけるのはどうかと思う。

 ともかく侮蔑の言葉だと理解した高松は、彼女が不機嫌である理由がわからずに首を傾げた。


「どうしたんですか、薔薇子さん。言葉が刺々しいですよ」

「薔薇の棘と薔薇子さんを掛けたつもりなのかい? 非常に残念で心苦しい感想になるけれど、面白くない」


 やはり薔薇子は不機嫌である。元々、毒も棘もあるような女性だが、一段と鋭さが増していた。

 しかし、不機嫌な理由について尋ねようものなら、怒涛の反論が待っているだろう。高松にもそれくらいはわかった。

 仕方がない、と諦め混じりに話の方向を修正する高松。


「あの、薔薇子さん。俺に会いにきてくれた理由って?」


 そう高松が問いかけると、薔薇子は斜めに掛けている小さなカバンから、ポチ袋を取り出した。お年玉を貰う時にしか見ないアレだ。

 紙幣を入れるしか用途のない小型封筒を見た瞬間、薔薇子に千円を貸していたんだと彼は思い出す。


「あ、もしかして電車賃? これを返すためにわざわざここまで来てくれたんですね」

「言っただろう。借りは必ず返す主義なのさ、薔薇子さんは」


 言いながら薔薇子は、高松にポチ袋を手渡した。正月前後に売られていることが多いためか、縁起のいい『松』が描かれている。高松はそれを受け取ると、自分の胸ポケットに入れた。


「はい、確かに受け取りました」


 これで二人の間に貸し借りはなし。薔薇子が会いに来た理由もわかって、高松としてはさっぱりとした気分だ。

 薔薇子の方も『借り』にこだわり、高松のアルバイト先まで訪れたほど。しかし、何故か彼女は腑に落ちないという表情を浮かべていた。


「高松くん」

「はい?」

「キミは左右を確認せずに横断歩道を渡るタイプなのかな? 金銭のやり取りに関しては、穴が開くほどの確認をすべきだよ。もしも私が悪人であれば、偽札を入れているかもしれない。千円札が入っていないかもしれない。けれど、高松くんは『受け取った』と言い、ポケットにしまった。この時点で、もう私は『返した』ということになるのさ。悪意というのは、アスファルトの割れ目から生える雑草のようなもの。いつどこにだって存在するんだよ」


 捲し立てるように、例え話をする薔薇子。言い方はともかく、彼女の言葉は残酷なほどに正しい。

 けれど高松は、それを理解した上で優しく微笑んだ。


「意識してなかったけど、俺は薔薇子さんのことを信じたいんだと思います。金銭に無頓着な方でもないので。一度信じたのなら、疑いたくないですし、そもそも悪人ならそんな話しませんよ。このポチ袋に入っているのは、間違いなく千円です。だって、薔薇子さんは真実しか語らないじゃないですか」


 雄弁は彼女の善意。高松はそう受け取っていた。

 自分に対して、真っ直ぐすぎる信頼を置く高松に一瞬の戸惑いを抱いた薔薇子は、珍しく目を逸らす。


「まったくキミは・・・・・・もういいよ。忠告はしたことだけ覚えておいてくれ」


 高松はそんな薔薇子に対し、思わず『薔薇子さんは優しいんですね』などと言いそうになる。言葉が喉を通る直前で、勿体無いと思い、薔薇子の瞳に映る商店街の風景を見つめた。

 交わらない視線の中に、彼女の感情が窺える。

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