第35話 ノスタルジックなドアベル

 高松の疑問に対して、片桐は小さく首を傾げる。


「あれ、違うの? この街で雲雀山 春宵の名前を聞く機会なんて、事件の話だと思ったんだけど」

「この街でって・・・・・・有名な作家なんですよね。全国的に」

「うん、確かに全国的に有名な作家だよ。でも、この街ではもっと有名なの。阿部市は雲雀山 春宵が亡くなった街だから」


 それを聞いた瞬間、高松の中で何かがつながりそうになる。だが、あまりにも漠然とした感覚だったため、気にせずに話を進めた。


「雲雀山 春宵って作家は、この街で亡くなったんですか? えっと、六年前に」

「そっか、知らなかったのね」


 高松の問いに片桐が答える。


「六年前の高松くんは小学生だったから無理もないよね」

「茜さんだって、六年前は中学生じゃないですか」

「私は『本の虫』じゃなくて『文字の虫』なのよ。読めるものならチラシだって読むし、中学生の頃から新聞は読んでいるわ。それが大好きな作家の訃報なら、読み逃すわけがないじゃない」


 片桐は得意げにそう言ってから、古本コーナーの棚から雲雀山 春宵作『その名前』を手に取った。物憂げな表情で表紙を撫でると、再び高松に視線を向けて語る。


「さっき私が勧めた短編小説を覚えてる?」

「確か『炭鉱が死んだ日』ですよね」


 短編小説『炭鉱が死んだ日』は雲雀山 春宵のデビュー作である。小さな出版社が出している雑誌の新人賞で、その作品が大賞に選ばれ、そこから雲雀山 春宵の作家生活は始まった。

 彼が短編集『その名前』を出版する際に、デビュー作も掲載されたのである。

 炭鉱によって発展した街に、突如訪れた転機。閉山の決定。揺れ動く困惑の時代に、人々はどんな未来を描き、どんな今を生きたのか。雲雀山 春宵の鮮やかな文章で綴られた、セピア色を思わせる短編小説。

 本好きである片桐はネタバレにならないよう、内容には触れず、高松に必要な情報を語る。


「『炭鉱が死んだ日』の舞台になったのが、ここ阿部市なんだよ。旅行で阿部市へ訪れた時に、思い浮かんだものをそのまま書いたんだって。『炭鉱が死んだ日』でデビューして有名な作家になった雲雀山 春宵は、阿部市に別荘を買ったの。作品を執筆する時は、その別荘でって決めてたらしいわ」

「出身地とかじゃないんですね。でも、阿部市にはよく来ていた。そして阿部市で亡くなった、と」


 そう言ってから高松は、片桐の言葉を思い出した。

 彼女は雲雀山 春宵の死を『事件』と語っていたのである。もしかすると『有名作家の死』を『事件』だと表現しているだけかもしれない。その可能性は充分にある。

 だからこそ、確認のために高松は問いかけた。


「それで、さっき茜さんが言っていた事件ってどういうことですか?」


 すると片桐は、少し表情を曇らせる。彼女と二年も一緒に働いている高松には、それだけで充分に伝わった。

 雲雀山 春宵は『事件』によって命を落としたのだ、と。


「調べればわかることなんだけど、雲雀山 春宵の別荘が放火されるっていう事件があってね。その時、雲雀山 春宵は・・・・・・」


 火に飲み込まれ、亡くなった。と、高松は彼女の言葉の先を想像で補完する。

 思う所は様々あれど、高松が一番引っかかったのは『放火』という単語。火災ではなく放火。何者かが悪意によって、雲雀山 春宵の別荘に火をつけた。そして、彼の命と紡ぎ出す物語を奪ったのである。

 そう捉えた上で高松は、薔薇子のことを考えていた。

 どうして薔薇子は『昨夜の事件』の犯人である飯島に、雲雀山 春宵のことを問いかけたのか。

 一つ知れば、違う一つの疑問が生まれる。大抵のことはその繰り返しだ。

 意図せず難しい表情を浮かべる高松に、片桐が顔を近づける。


「高松くん、どうしてそんな顔してるの? 悲しい事件だけど六年も前のことだし、事件のことだって知らなかったんでしょ。それに放火犯は捕まってるしね。解決済みだからって風化させていいわけじゃないけどさ」


 解決済みの事件。そして、その被害者。

 高松の中で『薔薇子が解決済みの事件に興味を示している』ことに対して、大きな違和感が生まれた。昨夜の彼女は『事件の真相』以外に何の感情も見せなかった。犯人が語ろうとした動機についても、『興味がない』と一蹴している。

 何故、真相が暴かれている事件の被害者について、飯島に問いかけたのか。薔薇子の謎は深まるばかり。

 高松が思考を広げていると、梅原書店の入り口に設置してあるノスタルジックなドアベルが鳴った。客が入ってきた合図である。


「あ、いらっしゃいませー」


 真っ先に片桐が入り口に向かって声をかける。遅れて高松も「いらっしゃいませ」と口にするが、その途中で徐々に声が小さくなってしまった。

 彼の意識が、声を出すことよりも、視覚情報の処理に割かれたからである。

 店の入り口に立っていたのは、ロングスカートを履いた、驚くほどの美人。艶のある美しさと、妖艶な怪しさを兼ね備えた、王隠堂 薔薇子その人であった。

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