第31話 触れる唇

 幕切れは呆気ないものだった。一度行動を起こした飯島は、すべての気力を無くしたように、抵抗せず竹内刑事に取り押さえられた。そのまま金属音と共に両手の自由を奪われ、顔を伏せて床に座り込んでいる。

 ようやく安心した高松は、ふっと力が抜けた。なんとか踏ん張らなければ、薔薇子ごと倒れてしまう。そう思い足に力を入れるが、脱力感に抗いきれなかった。

 倒れる。高松が薔薇子への謝罪を述べようと思った瞬間、温かく大きな手が彼の体を支えた。


「駿! この馬鹿、無茶しやがって・・・・・・」

「と、父さん」

「だが、よくやった。すぐに救護班を呼んでやるからな」

「大丈夫だよ、これくらい。唾でもつけとけば治るよ」

「いつの時代の民間療法だよ、まったく」


 周囲を心配させまいと微笑む息子に対し、菊川警部は安堵の息を漏らす。

 息子の無事を確認した警部は、そのまま薔薇子にも声をかけた。


「王隠堂さんも、怪我はないか?」

「ああ、私はこの通りさ。だが、高松くんが・・・・・・」

「心配しなくても、駿なら無事だ。コイツ自身が唾でもつけておけばいいって言ってるしな。救護班が来れば、消毒して包帯でも巻いてくれるさ」


 菊川警部の口から高松の無事を告げられ、薔薇子は落ち着いた表情を浮かべる。そのまま彼女は義足に体重をかけ、自分自身で立ち上がった。


「ありがとう、高松くん」

「薔薇子さんが無事でよかったです。でも駄目ですよ、犯人を煽るような言い方をするのは。単純に危ない」

「煽ったつもりはない。ただ事実を・・・・・・いや、事実として逆上した犯人が襲いかかってきて、高松くんに怪我を負わせてしまった。申し訳ない。これはせめてものお詫びだよ」


 薔薇子はそう言って、高松の目前で背伸びをする。元々長い彼女の脚がさらにスラリと伸びた瞬間、高松は額に触れる柔らかなものを感じた。その柔らかなものは、艶めかしいリップ音を立てて、一瞬で額から離れる。

 何をされたのか高松が気づいたのは、薔薇子の顔が目線まで降りてきてからだった。

 彼女の唇に、真っ赤な薔薇が咲いている。いや、違う。赤の液体に濡れた彼女の唇が、薔薇の花弁に見えただけだった。


「ば、薔薇子さん、血が!」


 照れやら動揺やらで平静さを失った高松が、慌てて身を乗り出す。彼女の唇を拭おうと手を伸ばしたところで、勝手に触れていい箇所じゃないと停止した。

 透明感のある彼女の肌に、血液のリップグロスはよく映える。それこそ、冗談のように話していた『吸血鬼』にも見えた。

 薔薇子は悪戯な笑みを浮かべると、右手の親指で自分の唇を拭う。


「唾でもつけておけば治る。高松くんがそう言ったんじゃないか。けれど、人間の構造上、額に唇は届かない。これはただの治療行為だよ」

「い、いや、汚いですから」

「雑菌扱いは、いくら薔薇子さんでも傷つくな。そりゃあ傷口に唇を接触させるのは、褒められた行為ではないだろうけどさ」

「そうじゃなくて、俺の血が汚いんですって」


 高松が慌てて彼女の認識を訂正すると、薔薇子は首を傾げた。


「おや、キミは嘘をついているね。私の唇が赤く染まり、高松くんは綺麗だ、と思ったはずだよ」

「それも推理ですか?」

「いや、当然の話さ。私はこの美貌だからね」

「・・・・・・そうですか」


 自信に満ちた表情の彼女に、高松はそれ以上何も言えないでいた。

 その後、警察の救護班が駆け付け、高松の傷を治療する。検査の結果、軽い切り傷ということで、消毒と大きな絆創膏で治療は終わった。

 その間にも現場には動きがあり、飯島が警察署へと連行されることになった。

 手錠をかけられたことですっかりおとなしくなった飯島が、「宮崎の奴は俺の金を」と犯行動機のようなものを語り始めようとする。

 しかし、薔薇子の言葉によって、トークショーは中止になった。


「悪いけれど、興味がないんだ。罪を犯した理由に、どうせ正当性なんて感じないからね。動機は存在しているか否か、それだけでいい。語りたいのなら、警察署でどうぞ」


 自分の罪を暴いた探偵が、自分への興味をすでに失っている。どういった心理作用なのかはわからないが、飯島は明らかにショックを受け、項垂れてしまった。もしかすると、自分の罪を暴いた彼女なら自分の気持ちも理解してくれる、なんてことを思ったのかもしれない。

 竹内刑事に背中を押され、階段に向かう飯島。意外にも薔薇子はそんな彼を呼び止めた。


「ああ、そうだ、飯島くん。雲雀山 春宵(ひばりやま しゅんしょう)という名前に聞き覚えはないかい?」


 いきなり話しかけられた飯島は、虚ろな目をしながらもゆっくり口を開く。


「・・・・・・雲雀山。確か、作家だろ、何年か前に死んだ」

「そうか、それならいい。呼び止めてすまなかった。それじゃあ、キミの今後に幸あれ」


 話を聞いた後は薔薇子は、用無しとでも言いたげな顔で飯島を見送る。

 

 犯人が連行された後も、ホテルの屋上は騒がしかった。薔薇子の推理を裏付け、完全なものにするため、何人もの警察官が集まり調査をしている。

 菊川警部は現場の担当者であるため、息子から離れ指示を出していた。

 屋上の端に座らされた高松と薔薇子は、少し待っているように言われ、警察官の動きを見守る。高松にとって、働く父親は見慣れないものだった。

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