第30話 逮捕

「いや、わた、私は、何も」

「そうそう」と薔薇子は続ける。


「飯島くんのキャリーケースの中には、被害者の毛髪や皮膚片、指紋や唾液。そんな痕跡が残っているよ。ほらほら、反論はどうした、飯島くん。そんなに瞳孔を開いて、冷や汗を流して、何をしているんだい? ほら、早く囀りなさい。自分は犯人じゃないと、嘘を重ねなさい」

「わた、私は、違う、私は、何も・・・・・・」


 飯島はわなわなと薔薇子の言葉に震えていた。

 危険だ、と高松は本能的に感じる。目から入ってきた情報を脳が処理し、危険信号を心臓に送った。ドクンドクンと血液にのせて、心臓から身体中に指示を出す。


「薔薇子さん」


 声をかけたが、薔薇子の言葉は止まらない。


「どうしたのかな。戦わないのなら投了すべきだ。罪を全て自白し、自ら両手を差し出すのさ。冷たい手錠をかけられ、薄暗い牢獄に向かいなさい」

「薔薇子さん!」

「なんだい、高松くん。困っていそうだから、解決方法を教えてあげているんだよ。この場にいたら針の筵じゃないか。さっさと罪を認めた方が楽になる」

「そうだとして、その言葉は『煽り』にしか聞こえませんよ」

「私が煽る? 何故?」


 心の底から不思議そうにする薔薇子。


「言葉は相手の受け取り方が全てなんです。伝え方で、意味が変わってしまう」

「これが小説なら、純粋に言葉の意味が伝わるんだけどね。声に出すと余計なものが乗っかってしまう。不便なものだ」


 薔薇子が人間の感情について私見を述べている中、菊川警部と竹内が飯島に歩み寄る。


「飯島さん、詳しい話は署で聞かせてもらいますよ。そのキャリーケースも、証拠品として」


 菊川警部が声をかけた瞬間、飯島は南国の大きな鳥を真似ているのかと思うような音を吐き出した。


「あああああああああ!」


 奇声を発し、前に足を踏み出す飯島。次の行動は簡単に推測できる。


「確保だ、竹内!」

「はい!」


 警部と刑事が慌てて犯人に飛び掛かった。けれど、飯島までの距離が邪魔をする。

 若く動きが早い竹内が確保する前に、飯島は二歩目、三歩目と踏んでいた。空のキャリーケースを振り上げ、自分の罪を暴いた探偵へと向かう。


「お前がいなければ!」


 今更、薔薇子がいなくなっても、どうにもならないだろう。だが、もはや理性的な理由など彼には存在しない。追い詰められた結果、一番憎悪を溜めていた相手に飛びかかっただけだった。

 

「きゃっ!」


 薔薇子から彼女らしくない声が漏れる。身の危険を感じ、飾りっ気のない感情が溢れるのは、いたって普通のことだ。空とはいえ、大きめのキャリーケースが女性の頭上目掛けて振り下ろされている。怖くて当然だろう。

 彼女の背後でいち早く飯島の攻撃に気づいていた高松は、強張る薔薇子の肩を左手に抱き寄せ、自分の体をキャリーケースに差し出した。

 目の奥がチカチカするほどの衝撃が走り、高松は体勢が崩れそうになる。けれど、自分が倒れれば薔薇子まで地面に投げ出され、傷を負うかもしれない。右足が義肢の彼女では、踏ん張りきれないだろう。

 そう考えた途端、高松は自分の中に湧き上がる感情を抑えきれなくなった。

 罪を犯したのは自分だろう。多少、言葉が過ぎたとしても、薔薇子は罪を暴いただけだ。こんなものは、ただの『逆ギレ』だ、と。


「こんなことをしても、逃げられるはずがない。これ以上、罪を重ねないでください」


 高松は額から全身に響く痛みに耐えながら、飯島に言う。しかし、殺人犯は誰の声も聞こえない様子で、不規則な荒い呼吸をするだけだった。


「駿!」


 父親の声が高松に届く。


「高松くん!」


 続いて薔薇子の声も。

 一体何かと思う高松だったが、額から何かが垂れてくる感覚と右目に映った真っ赤な雫で、状況を察する。

 キャリーケースの車輪が、高松の額を切り裂いたのだ。それでも高松は薔薇子の肩を離さない。彼女の盾となり守らなければならないと、高松の心が叫んでいた。


「大丈夫です。これくらい、なんてことありません。皮膚が一枚切れただけですよ。それより、動かないでくださいね、薔薇子さん」

「高松くん・・・・・・」


 薔薇子が何かしらの感情で顔を硬直させている間に、竹内刑事が飯島を確保する。


「飯島 悟! 殺人容疑及び暴行の現行犯で逮捕する!」


 慌てて手錠を取り出す竹内に、菊川警部が言葉をかけた。


「竹内、時間」

「は、はい。二十一時十六分、逮捕!」

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