第29話 薔薇でついた傷

 薔薇を摘もうとして手についた傷を、欲望と悪意に溺れた彼の心が気づいていない。

 答え合わせをしてしまえば、何でもない簡単なことだ。けれど、致命的ともいえるミス。

 夜の闇に隠れそうなトリックを解き明かしてきた、『探偵』王隠堂 薔薇子が全員を代表して答える。


「その時間『電車はなかった』んだよ、飯島くん」

「は、はあ!? 時刻表を調べてみろ。その時間に電車が」

「なかったんだよ、今日に限ってはね。だから私は『高松くんのバイト先が近いこと』を推理できたし、『菊川警部が連れている警察官が少ないこと』も理解できた。ああ『全体的に警察官の動きが悪かったこと』も概ね、それが理由だと受け入れられる」


 受け入れてはいなかっただろう。高松や菊川警部らは、そう心の中で呟く。もちろん、薔薇子に直接言うのは無駄だと考え、言葉にはしない。

 春過ぎの妙に冷たい夜風が吹き、熱のこもった現場を冷やした瞬間、薔薇子は微笑を浮かべ言葉を続けた。


「阿部新川駅から福岡方面に向かって一駅。『美能駅』ちょうどその辺りで、人身事故が発生した。それによって今日の十九時以降、福岡方面から阿部新川駅に向かう電車は全て運行停止していたんだよ。キミが電車を降りてすぐだなんて、ありえないのさ」

「な、何を言って・・・・・・そんなわけが! そんなことが」

「菊川警部」


 自分の言葉だけでは『説得力がない』と判断されていることに気づき、薔薇子は菊川警部の名前を呼ぶ。

 素人の娘よりも現場を仕切る警部の言葉の方が信じられるのは、客観的にみて当然だと薔薇子にもわかっていた。


「事故発生時間は十九時七分。運行停止が発表されたのは、十九時十一分。運行再開は二十時四十二分だ。現在の時刻は二十一時十二分。運行は再開しているが、二十時前後に福岡方面から到着する電車はなかった。これは間違いない。ただの事故ではなく、事件である可能性も考えられたため、私や竹内も動員されていたからな」


 菊川警部の補足を聞き、飯島は唇を震わせた。焦りや恐怖など寒色の感情が、今にも口から出そうなほどに、狼狽する容疑者。


「な、嘘だ。そんなはずは・・・・・・」

「残念ながら真実だよ、飯島くん」


 人の心を掴んで離さない美しき薔薇の姫は、突き刺した棘が抜けないよう、追い打ちをかける。


「キミは小さな売店しかない阿部新川駅で一時間以上も、一体何をしていたのかな? 答えは簡単だ。被害者を運び、ホテルの屋上へと向かって、トリックを仕掛けた」


 薔薇子はそう言い放った。

 そこで高松は、まだ不足している情報に思考が至る。


「あれ、薔薇子さん。それほど人目がない駅とはいえ、人を運んでいたら流石に見られますよね。けど、そんな目撃情報があれば、事件が発生する前に通報されているはずです」

「何を言っているんだい、高松くん。すでに答えは教えてあるだろう? 思い出したまえ、私はこう言った。『重ーい真実を隠すにはぴったりのサイズじゃないか』とね」

「まさか・・・・・・」


 高松の脳内で、一気に時間が巻き戻る。薔薇子が飯島の荷物について言及した場面。その時、彼女はじっとりと湿った視線を、キャリーケースに向けていた。遠くから中を覗き込むように、そっとじっと。


「あのキャリーケースに被害者を?」


 そう高松が言葉にすると、飯島は慌ててキャリーケースを体の後ろに隠す。今更そんなことをしても無駄だとわかっているはずだ。ただ、本能的に隠してしまっただけだろう。

 彼はキャリーケースを隠したことで、やましいことがあると曝け出してしまっていた。

 状況と行動が全てを示しているが、薔薇子の追撃はまだ終わらない。


「被害者は別の場所で睡眠薬を飲まされ、眠らされた。ぐっすり眠った被害者はキャリーケースに詰められ、ホテルの裏口から非常階段を使い屋上へ。このホテルの裏口の柵は簡単に開けられる仕組みになっているし、監視カメラも不十分だから、そう難しい話じゃあない。被害者を司法解剖に出せば、体内から睡眠薬が検出されるだろう。ホテルの非常階段には、小さな車輪を引き摺った跡が残っていたから、照合すれば飯島くんのキャリーケースと一致する。どうだい、これは決定的な証拠じゃないかな?」


 煽るように問いかけられた飯島は、ギリギリと歯を鳴らす。次第に歯軋りの音は、上下の歯をぶつけ合う『震え』の音に変わっていた。顔中から尋常ではない量の冷や汗を流し、過度なストレスのせいか目は真っ赤になっている。

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