第25話 感情的で暴力的


 高松の頭の中で、被害者が落下した直後の映像が甦る。『飛び降りだ!』と誰よりも早く、声を上げた者がいた。凄惨な遺体を目撃した直後であり、誰の記憶にも残りやすいだろう。

 さらにその者は、ご丁寧に警察へと通報を始めた。周囲の人間を巻き込むよう、救急への連絡を他の者に任せて。

 歪んだ考え方だろうか。薔薇子に先入観を植え付けられているだけで、声を上げることも、警察へ通報することも、同時に救急への連絡を行うことも、ごく自然な正しい行動かもしれない。疑わしいと思えば、なんでも疑わしく見える。そういうものだ。


「ふざけるな! ホテルの下にいて、警察に通報しただけで犯人扱いしているのか! 警察への通報は国民の義務だ」


 飯島の怒りは尤もといえるだろう。この時点、ここまでの話だけでは、薔薇子の思い込みが混じり偏った妄想に過ぎない。


「どうにも感情的で暴力的だな、飯島くんは。こんなものは数ある証拠の一つ、ですらない。ただの確認だよ。黙って聞いていれば全てがわかる。それとも聞いているのが怖いのかな?」

「き、聞く価値がないと言っているんだ」

「絵画も小説も建築物も完成してから価値が生まれる。そういうものだろう? 完成前に難癖をつけるのは、マナー違反だぜ。飯島くんが話を急ぐのなら、仕方がない。少しだけペースを上げようか。私もずっと立っているのは大変でね。まだ慣れていないんだ」


 薔薇子はそう言うと、高松の肩から手を離す。自分一人で立つのかと思えば、もう一歩高松に歩み寄り背中を向けた。


「すまない、高松くん。私の背中を支えてくれないかい」

「え、背中ですか?」

「両手で私の肩を支えて欲しい。そろそろ腕が痺れてきてね。この事件が解決するまで、私が立っていられるよう力を貸してくれ」


 ここまできて、断る理由なんてあるはずもない。高松は言われるまま、華奢な薔薇子の両肩を支える。細くて柔らかい体は、運動経験のなさを思わせた。そもそも筋力が弱いのだろう。

 高松に支えられた彼女は、自由になった両手で演説を続ける。


「さてと、飯島くんは物的証拠が欲しいらしい。一つずつ並べていくから、我慢できなくなったら言いなさい」


 さながら、樽に入った黒髭の海賊を飛ばす玩具のように、証拠という剣をこれから一本ずつ刺していく。そう宣言しているようだった。


「まずは、先ほどまで話していたロープの跡。これがこの事件と関係があると証明するために必要なものは何か? それはもちろんロープだ。ロープがなければ跡なんて意味がない。足跡があろうと、ウサギが居なければアリスには辿り着けないからね」


 彼女は薄く笑いながら、両手で兎の耳を表現する。


「ではロープはどこにあるのか。本来なら犯人はそんな証拠、すぐに消したいはずだよね。当然、計画通りに事が進んでいれば、もうロープは回収されていただろう。けれど、そうはならなかった。犯人にとって不都合なことが起きたのさ」

「不都合なこと?」


 高松が問いかけた。


「キミは質問が多いね、高松くん。でも、その調子だよ。話の潤滑油として役立つ、思考不順だ。探偵の隣には惚けた相棒がつきものだろう。不都合ってのは、常識外の行動を取る者の存在だよ。被害者が落下した後、犯人はお粗末なトリックをなかったものにするため、ロープの回収を予定していた。回収の条件は大きく分けて三つ。自分が自由であること。周囲の興味が自分、またはロープのある場所から外れていること。もう一つは、ロープが回収できる場所にあることだ」


 薔薇子が並べた条件は、至極当たり前のものばかりだった。証拠品を回収するための『当然』を並べているだけ。彼女の中で『言わなくてもわかること』と『言わなければわからないこと』が曖昧なのだろう。そのせいで言葉が多くなったり、足りなかったりする。


「犯人にとっての不都合は、まず自分の行動が制限されたことだ。予期せぬ存在によって、自らが注意喚起のため動くしかなかった。断るとあまりにも不自然になる状況だったからね。そのせいで、犯人は周囲の視線から外れることが難しくなったのさ。当然、ロープを回収するのも難しい」


 今度は言葉が足りない。何の話をしているのか、完全には理解できない高松だが、わかることもある。

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