第23話 竹内刑事
「他の痕跡ってなんですか?」
「相変わらず性急だな、高松くんは。私に相手を焦らすような趣味はない。聞いていればわかるよ。被害者が残した爪痕から一メートル弱離れた、ここ」
言いながら薔薇子は、『他の痕跡』を指差した。
「ここの塗料が不自然に剥がれている。そもそも屋上を囲む柵は、ところどころ塗料が浮いていて、錆も見える。安全性を疑いたくなるような劣化だ。鱗が剥がれ落ちた魚のように、ポロポロと不規則に塗料が剥がれた場所はいくつかある。それに比べて、この場所は少し異質じゃないかい? 柵の最上部。横に伸びる手摺部分に何かを巻きつけた跡があるのさ。まるで蛇でも通ったようだね」
彼女の指摘通り、その部分はぐるりと綺麗に塗料が剥がれている。確かに他の劣化部分と比べ、妙な形をしていた。けれど、それが蛇の痕跡でないことは誰にでもわかる。
「・・・・・・ロープか何かを巻き付けた跡みたいですね」
高松が素直に所感を言葉にした。どうやら薔薇子はそんな彼の真っ直ぐさが嫌いではないらしく、満足げに頷いている。
「その通り、これはロープの跡さ。巻いたロープを強い力で引っ張り、摩擦を生みながら塗料を剥がした跡。随分と乱暴な跡だね」
「でも、どうしてこんなところにロープの跡が・・・・・・?」
「いい質問だね、高松くん。そこから思考を発展させていれば、百点を追加して百点満点にしてあげるところだ。これはアリバイ工作さ」
百点を追加する、ということは、現状ゼロ点じゃないか。高松はそう思いながらも、薔薇子の話に耳を傾けた。
「説明するまでもないが、アリバイ工作とは『現場不在証明』の偽装だ。事件発生時、現場にいなかったと偽装するもの。ここでいう事件発生時は『被害者の死』が確定した瞬間。このロープの跡は、まさしくそれだよ」
おそらく薔薇子は、彼女なりに最大限わかりやすく説明しているつもりだろう。その上、先ほども言っていたように『焦らしている』つもりもない。
けれど他の者にとっては、遠回りをして話しているのだと感じてしまう。
痺れを切らした飯島は、焦ったように口を開いた。
「その跡がどうしたというんだ。それが本当にロープの跡だとして、私を犯人扱いすることと何の関係がある?」
「まぁ、待ちたまえよ、飯島くん。ロープや糸は順番に何かを繋ぐものだ。順を追っていかなければ、何もわからない。結び目を解く時だってそうだろ? 私は今、その説明をしているのさ。観劇はお静かに。最低限のマナーじゃないかな」
「観劇だと? ふざけるなよ」
「ふざけてなんかないさ。キミが始めたお粗末なマジックショーだろ、これは」
恫喝のような飯島の言葉に、薔薇子は不退転の意思を宿した目で答えた。彼女にとって、これは答え合わせですらない。ただ答えを正しく発表しているだけだ。そこに他者の介入を許す余地など存在しない。
薔薇子はそのまま言葉を続ける。
「マジックってのは魔法を錯覚させなきゃならない。マジシャンにとってネタ明かしが御法度なのは、魔法だと思わせる魔法が解けるからさ。この程度のマジックじゃあ、魔法とは言えないね」
言ってから彼女は、菊川警部に左手の人差し指を向けた。
「菊川警部、言っておいた高所作業車の用意はそろそろできたかい?」
「・・・・・・そんなすぐに高所作業車なんか、準備できるはずないだろう。一応依頼はしているが、今日中には無理だ」
呆れと諦めを混ぜたような顔で答える菊川警部。常識で考えてくれ、とでも言いたげだったが、薔薇子にそんなものを求めるのは無駄だととも思っている。
その認識は正しい。薔薇子は高所作業車が用意されていなかったことに不満を表し、軽蔑の目を菊川警部に向けた。
「どうしてそうも動きが遅いのかな。雨風で証拠が消えることだってある。大いにある。そうなれば、キミたちは一つの真実を見逃すことになるんだよ? 他の都合なんて、真実には勝らない。とは言っても、無理なものは無理か」
不可能なことは不可能だと理解できるのなら、文句を言う必要はないだろうと高松は思う。けれど、薔薇子にとっては文句ではなかった。そうしなければこうなる、と教えているだけ。彼女の善意だ。だからこそ、薔薇子はすぐに代替案を提案する。
「代わりに安全帯と足場材を用意してくれないか。それと竹内刑事、キミはバランス感覚に自信はあるかい? いいや、ないはずがない。身体能力には覚えがあるはずだ。そうでなければ、刑事でいられるはずがない」
安全帯と足場材。その二つを要求された菊川警部は、返答するよりも先に携帯電話を操作し始めた。電話の向こうに指示を出す警部の横で竹内刑事が呟く。
「すっごいことを言われたような気がするんですけど」
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