第20話 小説の文字数

 飯島の視線から察するに、怒りの矛先は現場の責任者である菊川警部に向かっている。年長者である彼に、飯島の感情が向かうのも無理はない。

 菊川警部は気怠さを隠しもせずに、自分の後頭部を掻いた。


「まぁ、私たち木っ端役人も納税しているんですけどね、国民の義務ですし。そう怒らんでいいじゃあないですか。子どもが勝手に言ってることです、目くじら立てても仕方ないでしょ。それとも、そんなに怒らなきゃならない理由でもあるんですか?」


 どこから見ても、疲労感たっぷりで目つきの悪いただのおじさん。忙しい社会に揉まれ、くたびれたような風貌をしている菊川警部だったが、いつの間にか瞳の活気を取り戻している。他に表現のしようがないほど『刑事』の目をしていた。

 かつて向けられたことがないほどの威圧感に、飯島は思わず語調を弱める。


「い、いや、何もないが・・・・・・濡れ衣を着せられそうになって、黙っていられる方がおかしいだろう。いくら子どもの言うことでも看過できん」


 粘るように反論する飯島。

 すると薔薇子は、わざとらしく首を傾げた。


「おやおや、おかしいな。私は飯島くんに濡れ衣を着せた覚えはないよ。ただ被害者との関係を確認し、キャリーケースの中が空であることを言い当てただけだ。ついでに三つ、言いたいことがある」


 これまで黙って聞いていた高松だが、ついに心の声が漏れる。


「ついでが多いですね」

「一つ。私の記憶が正しければ、いや正しいが、飯島くんは『自殺』だと判断していたはずだ。今の言い方では『事件』であると、認めているように聞こえるね。二つ。私は子どもじゃあない。もう十九の立派な女性だよ。いいかい、モテる男性は年下の女の子を女性扱いし、年上の女性を女の子扱いするものだ」

「二つ目はただの文句じゃないですか」


 一度漏れ出してしまったことで高松は、心に言葉を留められなくなる。しかし、それ以上に薔薇子の語りは止まない。


「三つ。誰であろうと、真実を知る権利はある。そして、知り得た真実を話す権利もね。誰にも侵害されない重要な権利さ。私は私の権利を行使し、真実を語る。真実に気づいていない人たちと、気づかれていることに気づいていない人に向けてね」


 薔薇子にそう言われた飯島は、彼女が言葉の粗探しをしているのだと理解し、表情を歪ませる。


「事件だと匂わせているのは、お前たちだろうが。私はそれに話を合わせているだけだ。そっちの若い刑事の話では、自殺の線でも捜査をしているそうじゃないか。事件であると、誰よりも主張しているのはお前だろう、立派な女性さん」

「私が主張しているのは、真実であり事実なんだけどね。ああ、そう女性扱いだ。その調子だよ、飯島くん」


 繰り返しになるが、薔薇子に嫌味は通じない。彼女には他人への皮肉という意識がないからだ。

 渾身の嫌味を放ったつもりでいた飯島は、コミカルに『ぐぬぬ』とでも言いそうな顔で彼女を睨む。

「さて」と薔薇子は、少しばかり疲れた様子で言葉を続けた。


「小説に例えてみると、私が高松くんと駅前で出会ってから三万五千字以上は経過しているだろう。これは大変な文字数だよ。悠長に話している暇はなさそうだね」


 どうして彼女が時間の経過を小説に例えるのか、隣にいる高松にはわからない。けれど、それが脈絡のない例えではないと、菊川警部の表情が語っていた。薔薇子が『小説』と口にした瞬間、菊川警部が物憂げに視線を下げたのを、高松は見逃さなかった。

 この後に及んで、薔薇子と菊川警部の間に『息子としてショックを受けるような関係』があるとは思わないが、知人以上の何かはあるのだろう。

 今すぐ真相を確かめたいところだが、この場で高松が個人的な疑問を投げかける隙などない。

 高松が疑問を飲み込んだのとほぼ同時に、携帯電話の着信音が鳴り響く。全員が音の発生源を目と耳で探し始め、すぐに全ての視線が刑事竹内へと集まった。


「あ、すみません、自分です」


 竹内が胸ポケットを探り携帯電話を取り出すと、菊川警部が左手をひらひらと揺らし、電話に出るように促す。


「竹内です。はい、菊川警部なら自分の隣に。いえ、阿部新川駅前ホテルの屋上で、はい、そうです」


 どこかの誰かと会話をする竹内。そんな彼の通話を薔薇子は、静かに見守っていた。

 高松は薔薇子が他人の行動を尊重していることに、違和感を覚える。彼女ならば、他人の通話など気にせず話を続けてもおかしくない。しかし、そんな感想を述べれば、薔薇子から長い説教を受けることになる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る