第19話 刺激を受けた炭酸

「忘れるような金額ですかね。飯島さんが宮崎さんに出資した金額は二百万円だ。あなたは自分のことをただの会社員だと言っているが、ただの会社員が二百万円の出資を忘れるもんですか?」

「地方公務員にはわからんだろうが、会社員は将来が不安でね。こんな不景気だ、投資くらいするさ。そもそも投資は、目先の利益を求めるものじゃない。長い目で、それこそ一度忘れて見守るくらいがちょうどいいんだ」

「・・・・・・まぁ、いいでしょう。ともかく、個人的な繋がりがあった。それは間違いないようだ」


 飯島の反論に対し、事実確認だけを終えた菊川警部は、話の主導権を薔薇子に戻す。


「さて、これで飯島くんと被害者の繋がりが証明されたね。私にとって大切なのは、その確認だったんだよ」


 いきなり話し始めた薔薇子に驚き、飯島が怪訝な表情を浮かべた。


「君は何を言っている。私が宮崎と繋がっていたから何だというんだ。私はただの通行人で第一発見者だぞ。こんな尋問まがいなことをされる覚えはない」


 再び苛立ちを露わにする飯島。彼は情緒が不安定なのかと思うほど、感情の揺れ動いが大きい。

 そんな彼に対して、薔薇子は「本当に?」と問いかけた。全てを見透かすような瞳は、石にでもされてしまうのかと思うほど、鋭く胸を刺す。


「あ、当たり前だ。一体何を言っている。警察も何をしているんだ。こんな、素人の娘が現場で勝手なことを言っているのに、どうして誰も止めない! おかしいんじゃないのか?」

「いい質問だね、飯島くん。人は勝てないのさ・・・・・・真実を知りたいという欲求にね。それも隠そうとすれば隠そうとするほど、知りたくなる。歴史上、禁じられた果実は食べられ、禁じられた酒は飲まれ、禁じられた書物は読まれてきたように、ね」

「私が何かを隠している、とでもいうのか」


 敵対心にも近い目を薔薇子に向ける飯島。

 これまで通りなのだが、薔薇子に嫌味や皮肉の類は通じない。彼女はマイペースに会話を続けた。


「そういえば、ちょうど隠しやすそうなものを持っているね、飯島くん。そのキャリーケース。私はね、ちょっとした個人的事情で、人よりも体重移動や荷重移動に敏感なのさ。随分、軽いキャリーケースなんだね。中に重さを全く感じない。何も入っていないのなら、重ーい真実を隠すにはぴったりのサイズじゃないか」

「ふん、そんなことか。何を言うかと思えば、私は福岡から出張に来ているんだ。阿部市にはそうそう来ないし、土産を買って帰るつもりでキャリーケースは空けている。仕事自体は工場の視察でな、スーツ以外に荷物は必要ない」


 言いながら飯島は、軽々と自分のキャリーケースを持ち上げて見せる。カラカラと何かが中で転がるような音がするので、完全に空というわけでもなさそうだ。それでもほとんど空洞になっていることは間違いない。

 薔薇子の言う通り、飯島のキャリーケースは空。だが、それだけだ。キャリーケースが空だからといって、何かを怪しむほどではない。

 この話がどこに進んでいるのかわからず、高松は薔薇子の手から体重だけを受け止めていた。


「それで?」


 飯島が言う。


「私のキャリーケースが空だったら、なんだというんだ。開けて見せてもいい。何も隠してはいない」


 これは薔薇子の言った『隠しやすそうなものを持っている』に対する返答なのだろう。

 だが尊大な荊棘の姫に、ちょっとした反抗など効きはしない。薔薇子の表情は『自分の思い通りに動く人形』でも見ているかのようだった。


「どうしたんだい、飯島くん。事実を大きな声で語って、鬼の首でも取った顔をしている。動物が大袈裟に吠えるのは、怯えを感じた時だそうだよ。ほらほら、そんなに怯えなくても怖くないですからねー。ふぅ、存外疲れるな、人を馬鹿にした態度というものは」


 彼女の言葉を聞いた高松は、二つの理由から顔を引き攣らせてしまう。まず、普段の薔薇子に『人を馬鹿にしている』という意識がないこと。そして、このような場面で『人を馬鹿にした態度』を試してみたこと。突拍子がないにも程があるというものだ。

 何を思ってそんなことをしたのかはわからないが、飯島を煽る効果は抜群だったらしい。


「馬鹿にしやがって! 私が怯えているだと・・・・・・一体何に怯えると言うんだ」

「私に聞かれても知らないさ。けれど、大抵の人間は自分に怯えるものらしい。怯えていないのなら、それほどわかりやすく『怒っている』と主張する必要はないんじゃないかな?」


 いや、これだけ煽られれば怒るのも無理はないだろう、と高松は飯島に同情の念を送る。

 言葉もそうだが、彼女は薄ら笑いを浮かべ続けていた。表情すらも飯島の神経を突く。

 ついに我慢の限界を迎えたのか、飯島は右足で屋上の床を蹴り、犬歯を見せびらかすようにして怒鳴り散らかす。


「ふざけるな! 私は第一発見者として、捜査に付き合ってやっているんだぞ。わざわざ屋上にまで呼ばれ、こんな小娘に馬鹿にされる謂れはない! 警察官でもない娘に、何の権利もないだろう。いいか、正式に訴えてやるからな。お前たちもだ、木っ端役人ども。税金で食っているくせに、納税者の権利を侵害するのか」


 これまで蓋をしていた飯島の感情が、刺激を受けた炭酸のように弾けた。

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