第18話 蛙を前にした蛇

 そんな沈黙を合図にして、薔薇子は高松の肩を叩く。


「高松くん、最後まで私を支えてくれよ。さぁ、いこう。薔薇子さんのショータイムだ」

「いちいち不謹慎なんですよ」


 高松と薔薇子は、飯島たちの隣を通り、被害者が落下したであろう場所に立つと、柵に背を向けた。高松としては、薔薇子の体重移動に合わせるよう動いただけなので、その目的はわからない。

 終始、これでいいのだろうか、と探り探りである。

 どうやら薔薇子にとって思い通りの動きだったらしく、彼女は満足げに口を開いた。


「いやいや、キミの気持ちはわかるよ、飯島くん。お役所仕事というものは、動きが悪くて嫌になるね」


 突然、薔薇子は飯島に声をかける。何をいうのかと思えば、苛立っている飯島に共感し始めたのだ。

 高松の胸には違和感しか存在しなかった。あの『薔薇子』が共感から会話を始めようとしている。

 そんな彼女の言葉に戸惑いながらも、飯島は頷いた。


「あ、ああ、まったくだ。私だって暇じゃないし、もう二十一時を過ぎている。こんな時間まで子どもたちを、しかもこんな現場に拘留して、警察はどういうつもりなんだね」

「その通りだよ。こんな健全な女性を夜遅くまで返してくれないなんて、倫理観はどこへ行ったのか。この国の行く末が不安で仕方ないよ、私は」


 どの口が言うのか、と高松は左肩に寄りかかる薔薇子に視線で伝えてみる。もしも彼の表情を見ていれば、薔薇子は推理によって感情を読み取るかもしれない。けれど、視界外の視線を空気だけで察するなど、彼女には無理な話だ。高松の声なき呟きは無視され、続いて飯島が言う。


「この子の言う通りだ。早く帰してくれないか。私もこの子たちも」


 薔薇子はその言葉を待っていたらしく、狡猾な笑みを浮かべた。


「ああ、心配ないよ、飯島くん。もうすぐ私たちは帰ることができるよ」

「ほ、本当か?」

「もちろんさ。『私たち』はね」


 蛇に睨まれた蛙とはよくいうが、薔薇子の表情は『蛙を前にした蛇』のようである。

 そのまま薔薇子は、菊川警部に視線を移した。どうやら菊川警部もその目に恐れを抱いたらしく、一瞬だけたじろぐ。

 薔薇子の視線は合図だった。菊川警部に共有されている彼女の推理。それに基づき、動き出すタイミングの示唆である。

 慣れた様子で菊川警部は一歩前に出て、黒皮の手帳を広げた。


「えー、飯島さん。先ほど竹内が聴取させていただいたんだが」


 そう言われた飯島は、自分を屋上まで案内してきた刑事を見る。まだ若い刑事の名前が竹内なのだろう。


「聴取内容の確認をしたくてね」

「またか? 何度も話したはずだろう!」

「そう言わないでください、これも我々の仕事なんでね。ところで飯島さん、あなたは竹内の方に被害者との繋がりがない、とおっしゃいましたね。しかし、我々の方で調べたところ飯島さんは、被害者である宮崎さんの会社に出資している」


 菊川警部が事実を突きつけると、飯島は明らかに動揺しつつ口角をあげた。


「あ、ああ、そうだった。随分昔にそんなこともあったかな。そうか、被害者はあの宮崎だったか。しばらく会っていなかったし、遺体を見た衝撃で失念していたよ。知っている頃と顔も変わっているし、血の中にいたんじゃあな。確かに知り合いではあったが、今は付き合いがない。それにあの遺体については、何も聞かされていなかったんだ。宮崎だと言われていれば、私もわかったよ」


 確かに飯島の言い分は理解できる。一見嘘のようにも思えるが、被害者が知り合いであると認識していなかったのなら、飯島の言う『繋がりはない』は正しい。

 それよりも高松が気になったのは、先ほどまで強気だった飯島が、空気を和ますように柔らかい口調と表情になっていることだ。

 すると、高松のすぐ隣で小さな声が聞こえる。小鳥のような綺麗な声だ。


「人はね、高松くん。追い詰められると状況にふさわしくないとわかっていても、笑ってしまうものなのさ。真剣な記者会見なんかで、笑みを浮かべてしまい炎上する人がいるだろう? あれは、精神的に逃げようとして、自分の意思とは関係なく勝手に笑っているんだ。今の飯島くんのようにね」

「追い詰められて?」

「特等席で見てなさい。キミの特権だよ。それも薔薇子さんの副音声付きでね」


 二人が小声で会話をしている間にも、菊川警部の言葉は続く。

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