第16話 チェックメイト

「いいかい、高松くん。この場所は証拠そのものなんだよ。何でもかんでも、そう簡単に触れるべきじゃあない」

「さっきまで、勝手に調べてたじゃないですか。それじゃあ、おんぶでもしますか?」

「私は子どもじゃないんだよ? いきなり女性を背負おうとするなんて、キミにはデリカシーが欠けているね」

「そっくりそのままお返ししますよ」


 呆れ気味に高松が言う。


「でも、高松くんが椅子になってくれるのなら大歓迎だ。それなら止めないよ?」


 自分の親切心に対し、とんでもない要求をしてきた薔薇子を見ながら、高松はため息を吐く。


「もういいですよ。肩に体重預けててください。そんで、疲れたらいつでも言ってくださいね」

「ふふっ、ありがとう。高松くん」


 素直になる瞬間が彼女にもあるのだな、と高松は驚いた。いわゆる『あざとさ』のようなものは感じられず、ごく自然に出てきた感謝の言葉。そこには薔薇子の刺々しい部分はなく、彼女が年齢相応の一般的な感性を持っているように見えた。

 突然の感謝に驚き、言葉を失った高松に対して薔薇子は唇を尖らせる。


「キミの表情から察するに『意外だ』と思っているね? 失礼だな、高松くんは。キミは薔薇子さんを勘違いしているよ。私だって、感謝をする。当たり前だろう、キミと同じ人間なんだから」


 見た目は花に例えたくなるほど美しい女性。しかし、彼女は口を開けば当然のように事実を言い、ついでに毒を吐く。高松には棘のある薔薇のようにしか見えていなかった。けれど、よく考えてみれば、薔薇子は豊かな感情を持ち合わせている。照れて、微笑んで、呆れて、考えて、笑って。

 高松は事件のせいで動揺し気付いていなかったが、ふと思い出すと薔薇子は様々な表情を浮かべていた。角度によって、赤にも黒にも見える薔薇の花びらのように。

 そう気づいた高松は、思わず笑っていた。


「ははっ、薔薇子さんは下手くそなんですね」

「不愉快だなぁ。笑われていることも、どうして笑われているのか私が推理できないことも、ね。薔薇子さんは優秀だ、と誰もが言うよ」

「じゃあ、薔薇子さんの言うようにほとんどの人が見る目ないんですね。薔薇子さんの言葉を借りるなら『見るべきことを見落としている』です。下手くそですよ」

「私と知恵比べをしようと言うのかね、いい度胸だよ、高松くん。だが、これは解くことのできない謎だ。私に『下手くそ』なことなどありはしない。キミの言葉が間違っているのさ」

「いいや、下手くそですよ、薔薇子さんは」


 どうしようもないほど、彼女は感情表現が下手くそなんだ。高松はこれ以上彼女を怒らせないように、心の中で笑う。

 刺々しい毒舌も、美しさを覆うような言葉数も、全ては薔薇子の感情表現なのだろう。上手くコントロールできない感情が、そういったもので溢れ出ているのだ。おそらく優秀だと思われる彼女の頭脳では、人間関係を円滑にする会話を導き出せない。

 高松はそんな彼女が可笑しくて、こんな事件の現場だというのに緩んでしまう頬を制御できなかった。


 驚くべきは、驚くべき新情報がないことだった。全くといっていいほど、高松には目新しい何かが見つからない。

 薔薇子はチェックメイトのコールをするだけだ、と言った。彼女の言葉に偽りがないのなら、この場で事件の真相を披露するはずである。特別チェスに詳しいわけではない高松でも、チェックメイトくらいは知っている。相手のキングを次の一手で取る『王手』の中で、どんな手段を用いても逃れられない『詰み状態』のことだ。

 盤上の条件を揃え、確実に相手に負けを与える。そのためには、考え尽くされた行動とあらゆる仕込みが必要だ。

 それを踏まえると、この状況が『チェックメイト』であると高松には思えない。

 

「薔薇子さん、今から事件を解決するんですよね?」

「何を言っているんだい、高松くん。解決するほどの事件なんて、もうどこにも存在しないじゃないか。今から私は簡単な事実に気づいていない人たちに、当たり前のことを気づかせる。それだけだよ」


 これは薔薇子にとって、謎と呼ぶほどでもない事件だった。彼女はそう言っているのだろう。けれど、根本的には同じだ。隠された『当然の事実』を突きつける。それこそが事件解決。


「つまり、解決するってことじゃないですか。薔薇子さん以外には気づけなかったわけですから」

「ふむ、相対的にはそうなるのかもしれないね。キミは面白いな。わからないことをわからないと素直に言える。面白いよ、高松くん。いいだろう、私の行動が事件解決だと前提して、キミは何が言いたいのかね?」

「俺はこんな事件に遭遇するの初めてですし、素人ですからわからないんですけど。解決するためには犯人が必要なんじゃないですか?」


 素朴だが核心を突く高松の疑問に、薔薇子は呆れた表情を返した。

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