第9話 薔薇子の見ている世界
困惑の果てに、何が疑問なのかすら見失いかけている高松の問い。菊川警部は疲労を隠さず、気怠そうに答える。
「薔薇子さん、か。いいか、駿。私はお前の話をしたことなどないし、王隠堂さんと親しくなどない。ただ、こういった現場で何度か見かけたというだけの関係だ。どうしても知りたいことがあるのなら、彼女に聞いた方が早いぞ」
さらに菊川警部は「ともかく仕事を始める」と宣言し、背後の警察官たちに指示を出し始めた。
六年ぶりの対面だというのに随分と冷めたものである。そう思わなくはない高松だったが、死者が出ている事件もしくは自殺の現場だ。警部であれば、捜査を優先するのは当然だし、日本の平和を守るためにはそうあってほしい。間違いなく正しい行動だった。
「おやおや、菊川警部は随分ドライだね。だか私情を挟まないことは、守ってもらう側である市民にとっては良いことだ。けれど、このままじゃあ高松くんが可哀想だね。この薔薇子さんが出血大サービスで説明してあげよう。おっと、出血大サービスは流石に不謹慎かな、こんな現場では」
「・・・・・・随分今更なことを言いますね、薔薇子さん。それで、どうして苗字も違うのに、俺が父さんの息子だってわかったんですか?」
被害者が落下した場所へと向かう菊川警部や警察官を横目に、高松は薔薇子に問いかける。
何故か得意げな顔をした彼女は、手品の種明かしをする子どものように、思考の流れを披露し始めた。
「こんなものは推理でもないんだがね、菊川警部に離婚してから会っていない息子がいることは知っていた。もちろん、直接聞いたわけじゃないよ。私にだってそれくらいの倫理観はある、本当さ。いいかい、まずは菊川警部の癖。彼は考え事をする時、左手の薬指に右手で触れる。これは自分自身が拠り所にしている何かがあった証拠だ。つまり、婚姻経験がある。そして、婚姻に対して何かしら心残りがあることも示している。仕事中は指輪を外しているという可能性もあるが、指輪跡がないことや、清潔感が欠けていることから離婚したと考えるのが自然だね」
「倫理観はどうしたんですか」
高松が口を挟む。しかし薔薇子は意に介さず話を続けた。
「年齢的に息子がいてもおかしくない、なんて決めつけをするつもりはないが、可能性を考慮したことは認めるよ。けれど最初から息子がいることは確信していた。菊川警部と現場で初めて顔を合わせた時、彼は被害者家族に対して強い同情心を抱いていたからね。小学生の息子を誘拐された、その家族たちに。菊川警部はあの通り、仕事は仕事と割り切るタイプさ。当然、警察官として罪を憎む心は持っているはずだが、目が曇らぬ程度の熱量に抑えている。そんな彼が、怒りに震えていた。しかも不安混じりにね。つまり息子がいるってことさ。先述した情報と合わせて考えると、小学生の時に離婚し会っていない息子がいるということになる」
的確な情報に気付き、同じように推理をするかはさておき、話を聞けば『息子がいる』と判断したことは納得ができる。薔薇子の口ぶりからして、話したことが全ての理由ではないだろう。他にも細かな情報を加えて導き出しているのだが、残りの推理材料は彼女にとって当たり前のことすぎて説明するほどでもない、といったところだ。
難解な方程式の解説をする際、九九の計算などわざわざ説明しないように。
何もかもを納得したわけではないが、薔薇子の態度から『証明完了』の雰囲気を感じ取った高松は言う。
「薔薇子さんはその推理によって、父さんに離婚して会えない息子がいると確信していたんですね。じゃあ、俺が父さんの息子だってわかったのは、ついさっきですか? 父さんが俺を見た瞬間」
高松と菊川警部。二人の反応を見て親子関係を見抜いたとすれば、とんでもない洞察力である。たった一瞬のうちに向かい合う二人の変化を見逃さなかったのだ。左右の眼球を別々に動かすカメレオンの如き所業。何よりすごいのは、薔薇子ならやってのけてしまうと思わせるところだ。
しかし、薔薇子は彼の想像を軽々しく超える。
「誇張も謙遜もなく言えば、高松くんと出会ってすぐにかなり高い確率で、菊川警部の肉親だと考えていたよ。そうだね、わかりやすく例えるなら、財布の中身を半分賭けても良いくらいには」
「日本じゃあ賭博は禁止ですよ、薔薇子さん。どんな賭けなのかわかりませんけど」
「当たれば二倍、負ければ没収。ルーレットの赤黒みたいなものならって話さ。想像で考えられないのかい、高松くん。つまり自信は五割強。悪くない賭けだろう?」
「五割強・・・・・・俺を見て、五十パーセント以上も父さんの息子だって判断したんですか」
高松は素直に驚いた。普通なら、そんなの結果論であり後付けだと思うだろう。クイズの解答を聞いてから『わかっていた』と言うような話だ。それでもやはり薔薇子なら、と思ってしまう。
そして、その理由を知りたくなってしまうのだ。薔薇子の見ている世界を覗きたいと思わせられる。
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