第8話 父と息子
けれど、不思議なことに『王隠堂 薔薇子』という仰々しく彼女の横柄さと美しさ、突飛さを表す名前は高松の心を軽くする。根拠なき自信には思えない。
「薔薇子さん・・・・・・本当にあなたは一体、誰なんですか?」
「おっと、私に興味津々ってところかな。薔薇子さんに惚れると、火傷じゃ済まないぜ? 私は吸血鬼じゃあないが、人間の血に縁があるものでね」
「人間の血に? いや、惚れませんけど」
高松の中で疑問は積み重なるばかりだ。暇もないのに新しい本を買ってしまう者のように。ベッドサイドに、内容すら忘れてしまいそうなほど重なって、目を閉じた時に気になってしまう。
知的好奇心の厄介さ。それは、わからないものほど魅力的に思えることだ。さらにさらにと、深みに嵌ってしまう。それも自ら。
薔薇に触れる時は気をつけるべきだ。棘が刺さってからではもう、後戻りできない。
「惚れませんけど、か。女性に恥をかかせるものじゃないよ、高松くん。女性が自信満々に惚れるな、と言ったら、キミはこう答えるべきだ。残念です、とね」
「とっても残念です」
「嘘つき」
どう答えればよかったのか。高松は声に出さず、体内で言葉を消費する。
その上、更に高松を困らせたのは『嘘つき』と言う時だけ、薔薇子が可愛らしい表情を浮かべたことだ。上唇を尖らせ、悲しく潤んだ目で心の奥を突き刺してくる。
「つっ・・・・・・揶揄わないでくださいよ。ただでさえ、こんな状況なのに」
「ははっ、警察が来るまでの時間潰しだよ。もう少しだけ時間がある、せっかくだし屋上を歩きながら話をしようか」
そう言って薔薇子は、柵から離れ先ほど話にも挙がった『巻き上げ室』の方に足を向けた。
やや左に傾くような彼女の歩き方は、やはりどこかぎこちない。長年義足での生活を続けているようには見えなかった。そして高松を含め多くの人間が、義足や歩き方あるいは足音についてわざわざ口を開くことはない。閉じた傷を開くことなど、誰も望んではいないのだから。
高松は薔薇子の落ち着きがない視線を気にしつつ、彼女の背中を追いかける。
「話をしようって、薔薇子さんは何も答えてくれないじゃないですか」
「認識の齟齬に過ぎないよ、高松くん。それにこんなにもロマンティックな状況で、相手を批判するのは良くないね。知りたいことがあるのなら、自分の手で掴むべきだ。例えば、私を抱きしめて唇でも奪えば、私は何かを話し始めるかもしれないよ」
「く、唇って、薔薇子さん! ふざけないでくださいよ。そもそも薔薇子さんは、どうして事件を解こうとしているんですか」
「今までで一番良い質問だよ、高松くん。それはね、私が私であるためさ。推理こそが王隠堂 薔薇子の存在証明」
「存在証明? 本当に薔薇子さんは・・・・・・」
何者なのか。高松の中で、その疑問だけが強く光り輝いていた。
彼は事件の真相よりも、薔薇子が何者で、何のために事件を解こうとしているのかが気になっている。これも薔薇子の言う知的好奇心なのだろうか。なるほど、不謹慎である。
高松の問いに答えたのは薔薇子ではなく、声の低い男性だった。
「新聞にはこう載る、情報提供者A。またあなたか、王隠堂 薔薇子さん」
声の方向に目をやった高松は、階段から顔を出している男と目が合う。ボサボサの髪からは清潔感など見受けられない。男性の充血している目は疲労のせいだろう。
汚れの目立たないような黒いスーツと、一見して立場がわかる腕章。
薔薇子に言われるまでもなく、高松にはその男が何者なのかわかった。
「やあやあ、よく会うね。菊川警部」
菊川警部と呼ばれた男の背後には、制服を着た警察官が二名立っている。
この際、警察官の容姿など気にしなくていい。それよりも無精髭を生やし、不健康そうな痩せた顔をした菊川警部の方が問題だ。
彼は嫌気がさしたような表情で、薔薇子と高松を交互に眺める。
「どうしてここにいるんだ」
そんな菊川警部の言葉に対し、薔薇子はこう答えた。
「それはどっちに聞いているのかな、菊川警部。この薔薇子さんか、それとも五年以上前に別れた息子にかい?」
「・・・・・・一応聞くが、駿に聞いたのか?」
「一応答えるが、私は高松くんに何も聞いてはいないよ。そんなものは高松くんの表情を見ればわかるだろう、菊川警部」
薔薇子はそう言いながら、高松の顔を指差す。話題の中心であるはずの高松は、声が出ないほどの驚きで目と口を開き、ただ菊川警部を見ていた。小刻みに震える唇が、彼の動揺を表している。
「父さん・・・・・・父さんがどうしてここに」
高松の口から出てきた疑問に対し、菊川警部は額を手で覆ってため息を漏らすしかなかった。
「まさかお前がいるとはな、駿。その、母さんは元気か?」
「あ、ああ、母さんは元気だけど・・・・・・何で父さんがここに? それに薔薇子さんとも知り合いみたいだし、薔薇子さんは俺たちのことをよく知ってた。どうせ薔薇子さんに聞いてもはぐらかされるから、父さんが答えてくれよ」
高松が驚いた要因はいくつかある。時系列順で説明するなら、最初は『菊川』という苗字。そして会っていない六年間で驚くほど老けた父親の姿。次に父親が警察官であり、警部という立場にいること。とっておきは薔薇子と知り合いであることだ。
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