第4話 阿部新川駅前ホテル屋上

「はぁ、はぁ、はぁ、ようやく屋上だ」


 高松は屋上をぐるりと囲む黄色の柵を掴んで、震える足を労るように立ち止まった。腰の高さほどしかない柵は、落下防止として考えると心許ない。しかし、手摺としてはちょうどよかった。

 体重を預けるために握った柵を見て、高松は思い出す。薔薇子が指摘していた遺体の爪。そこに付着していた黄色塗料を剥がしたようなもの。確かに柵の色と酷似していた。


「これが黄色の・・・・・・」


 高松が気づきを得ている間に、薔薇子は彼の背中から降りて、自分の足で屋上に立つ。

 たった十階上っただけだが、高松はやけに空が近く感じる。人を背負って上る大変さがそうさせているのだろうか。

 ぐるりと屋上を見回すと、貯水タンクやアンテナ、空調設備なんかが目に入る。他にも小さな部屋のようなものがあり『巻き上げ室』と書かれていた。しかし、人影も気配もない。


「屋上ってもっと開けた場所だと思ってたけど、色んな設備が置いてあるんですね」


 高松が感想を共有するべく薔薇子に話しかける。しかし、彼女はすでに駅側の方へと歩みを進めていた。


「あ、ちょっと待ってくださいよ」

「高松くん、これを見てみろ」


 おそらく男性が飛び降りた、もしくは落とされたであろう場所に到着した薔薇子は、自分の足元を指差す。

 彼女の足元で、遺体に欠けていたものが誰かを待っていたかのように、不気味な存在感を放っていた。綺麗に揃えられている使い込んだ革靴。

 下で仰向けになっている遺体に履かせれば、ちょうど良さそうな靴だ。


「これは、あの人の靴ですよね。綺麗に揃えてあるし、柵の外に向けられてる。これを見る限り、やっぱり自殺なんじゃないですか?」


 靴を並べてその上に遺書を。ドラマや映画なんかでありがちな描写だ。この現場には遺書こそないものの、綺麗に揃えられた靴は自らの意思で飛び降りたのだ、と言い聞かせてくる。

 高松の言葉を聞いた薔薇子は、少し呆れたように目を細めた。


「高松くん、キミは『アイドルがトイレに行かない』と信じているタイプなのかい?」

「はい? 何の話ですか?」

「投身自殺において、靴を脱ぐ。これは創作の中では良くある話だね。しかし、実際の現場ではそれほど多くないそうだよ。これから死ぬというのに靴を脱ぐ必要がどこにある? まぁ靴を置くことで、これは事故ではないと主張している可能性も捨てきれないが、それなら遺書を置いておくほうが確実だ。何より、投身なら駅前のホテルを選ぶ理由がないとは思わないかい?」


 それほど人口の多い街ではないとはいえ、この時間の駅前には人が多い。わざわざ、他人を巻き込む可能性がある方法を取る必要はないだろう。

 これは高松にも理解できた。


「確かにそうですけど、じゃあ、この靴はどう説明するんですか」

「いい質問だね、高松くん。綺麗に揃えられた靴が『事故ではないと主張している』、これは私の言葉だ。そう、この靴は主張しているんだよ。事故ではなく自殺に見せかけた殺人事件だ、とね」

「自殺に見せかけた殺人・・・・・・」


 思考が追いつかず、言葉を失う高松。確かに薔薇子の言うように、投身自殺において靴を脱ぐ意味はそれほどない。創作上の演出であることも理解できる。わざわざ靴が揃えて置いてあるのは『自殺に見せかける』偽装である可能性も否定できない。

 けれど、決めつけるのは乱暴だとも思う。


「揃えられた靴だけで、殺人だと断定できるものなんでしょうか。確かに、薔薇子さんが言っていることもわかりますけど、可能性としての話じゃないですか」


 高松が言うと、薔薇子は柵の外を眺めながら微笑んだ。


「高松くん、キミは慎重に考えるタイプなんだね。石橋を叩いて渡るどころか、鉄製に変えないと渡れない。そんなタイプだ。時には大胆に決めつけて考えることも大切なんだよ」

「そりゃ、人が亡くなっているんですから、慎重に考えるべき・・・・・・というか、俺たちが考えても仕方ないでしょう。もう警察が来てるんですし、屋上に犯人はいなかった。もうできることは終わりじゃないですか?」

「確かに、ホテルの下には警察車両が集まっているし、警察官も多い。だがね、高松くん。これは石橋だけれど、安全性が担保されている石橋だ。ここから下の遺体を見てごらんよ」


 指示された通り高松は、柵に近づき外を見る。駅前を赤のライトがグルグルと照らしていた。一目で何かあったとわかる光景。見る限り、数名の警察官が周囲の人間を遠ざけると同時に、遺体を調べていた。

 咄嗟に高松は身を屈めて、警察官が上を向いても見えないように隠れる。

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