第2話 高松と薔薇子2

 女性の名前は薔薇子。随分画数の多い名前だ。ぼんやりと形は思い出せるのに書けない漢字ランキングの上位に食い込むだろう。

 薔薇子に問いかけられた高松は、意図を理解できないまま素直に答えた。


「まぁ、少しは。中学までは剣道をしてましたし、今もバイトで力仕事をすることもありますから」

「ふむ、着痩せするタイプなんだな、高松くんは。細く見えるが筋肉質か。あの困惑の中、周りにいる大人たちよりも先に、消防に電話をする勇気もある」


 何かを探るかのように、薔薇子は高松に近づく。舐め回すように観察した後、彼女は小さく頷いた。


「ふむ、バイト先は書店だね。キミの体から、少しだがインクと紙の匂いがする。それと後ろのポケットにカッターが入っているよ。銃刀法違反に問われる可能性があるので、あまりおすすめはできない。そのカッターは書店での作業に使うものだろう。バイト終わりに取り出すのを忘れていたというところか。そして駅前にいるが、ここは単なる通り道だ。この時間に着く電車はない。つまり徒歩圏内にバイト先はある」

「あ、あの?」


 戸惑いの中、高松はなんとか言葉を吐く。突然、まくし立てるように話され、その内容が全て当たっているのだから、戸惑うのも無理はない。


「中学までは剣道をしていた、と言うが、まだ続けているね。手に真新しい傷がある。竹刀を振り続けている証拠だ。アルバイトと部活動の両立が出来ずに辞めたが、運動は続けている、というところか」


 薔薇子に自分のことを言い当てられた高松は、目を丸くする。テレビで占い師によって自分のことを暴かれた芸能人が、大袈裟に驚いている様子を視聴したことがある。今の高松には、その芸能人の気持ちがわかる。驚きを通り越して怖い。


「いきなりどうしたんですか、一体。えっと、王隠堂さん」

「薔薇子さんと呼びなさい、高松くん。王隠堂は少し仰々しくてね、嫌いなわけじゃないが堅苦しいだろう。よし、じゃあ高松くん、背中を向けて少し屈んでくれ」

「はい?」


 言葉の意味がわからない第二章である。突然、背中を向けて屈めなどと言われ、疑問を持たない方がおかしい。

 戸惑う高松だったが、薔薇子に腕を握られ、体の向きを変えられる。そのまま薔薇子は高松の肩を下方に押し付けた。


「うわ、何するんですか」

「意外と肩幅があるんだな。これは頼もしい。そのまま動くんじゃないぞ」


 薔薇子はそのまま左足で地面を蹴り、高松の背中に飛び乗る。彼女の身長は高松とそれほど差がないのだが、驚くほど軽かった。


「よっと!」

「な、なんで、俺の背中に!? ちょっとちょっと、薔薇子さん」

「何だ、高松くん」

「何だ、じゃないですよ。何で俺の背中に乗ってるんですか」


 至極真っ当な問いだ。すると彼女はそれが当然であるかのように答える。


「何か問題でも?」


 問題だらけだ、と高松は心の中で叫ぶ。あえてもう一度言うが、高松は健康的な高校三年生の男子だ。背中に女性の体温を感じ、平静でいられるわけがない。


「問題っていうか、その、柔らか」


 高松は思わず口が滑り、不要な感想を述べかける。その瞬間、薔薇子の手が彼の耳を引っ張った。


「いてててて、ちょ、薔薇子さん」

「キミがデリカシーの欠片もないことを言おうとしたからだ。年頃の女性にそんな話をすれば、恥ずかしいに決まっているだろう」

「こんなに人が集まってるところで、突然背負わせておいて何を言ってるんですか。というか、どうして俺が背負って・・・・・・」


 薔薇子を背負うこと自体に不満があるわけではなかったが、この状況に対しての疑問は大きい。高松は理由を尋ねようとしたが、自然と薔薇子の太腿を支えるべく手を伸ばしていた。

 いわゆる『おんぶ』である。

 手が薔薇子の太ももに触れた瞬間、右と左で感触が違うことに彼は気づいた。


「え?」


 左手の方はスカート越しに人の温かさと柔らかさを感じるが、右手には無機質な硬さがのしかかる。

 どこかひんやりとしていて、寂しさを覚える感触であった。

 高松が『それ』に気づいた、と察した薔薇子。彼女は何でもないことのように「この通りだ」と話した。


「この通りって、その、右足が」


 そこで高松は、これまで少しずつ積み上げられていた違和感の正体に気づく。

 肩を左右させる独特な歩き方。遺体を観察しているはずなのに屈まない。季節外れのロングコート。薔薇子からはそのヒントが出され続けていた。


「ああ、別に気を遣う必要はないよ、高松くん。私にとって右足は、この『義足』であるというだけのことだ。ただ困ったことに長く走ったり、飛び跳ねたりはできない。けれど今は走る必要がある。ここまで言えばわかるね、高松くん」

「全くわからないですよ。何で俺が薔薇子さんを背負ってるんですか?」

「私が飛び乗ったからだよ。積極的に記憶を手放す趣味でもあるのかい、高松くん。変わっているな」

「そうじゃなくて、何のために俺の背中に飛び乗ったんですか」


 無駄な問答によって時間を無駄にしてしまった高松は、改めて彼女に問いかける。

 すると薔薇子は、高松の肩を叩きながらこう話した。


「屋上に向かうためだよ。いいからホテルの中に行ってくれ。そうそう、エレベーターは使ってくれるなよ。極力、現場を荒らしたくはないからね」

「屋上? 現場? もしかして」


 嫌な予感を覚えながら、高松は言葉を続ける。


「今から屋上に向かうってことですか? このまま薔薇子さんを背負って、階段で」

「今から屋上に向かうということだよ。このまま薔薇子さんを背負って、階段で」

「一応聞きますけど、何のために?」

「一応答えるが、事件を解決するためさ」


 まだ事件だと決まったわけではない。自殺である可能性を捨てるには早過ぎるだろう。

 けれど薔薇子は、全てを知っているかのように『事件』だと断言していた。彼女の言葉は、表現し難い自信で満ち溢れている。

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