第10話 女の子ビーネ

 女の子は、低めの鼻に絆創膏を貼っていて、活発そうな雰囲気なのだが、装いは上品だ。きっと良家の子女なのだろう。


 目力がある黒々とした大きな瞳はやや吊り上がっており、顎を埋めそうなほどのたっぷりとしたひだ飾りの襟は、鮮やかな黄色だ。身頃は黒のワンピースで、短い丈の下からは、ふっくらした縞模様のペチパンツが覗いている。


 ユンゲとフロイラインは同時に思った。ミツバチみたいな子だな、って。


 女の子は、うっうっ、と苦しそうに泣き、ズビッと鼻をすすると、上質そうな生地の袖でグシグシ拭う。そして、この世のすべてを恨むような恐ろしい目つきで地面をにらみつけ、また「うっうっ」と泣いて鼻を拭っているのだ。


 こんな子を見つけたらどうしたって声をかけたくなる。フロイラインは心優しい気持ちいっぱいで、「どうしたの?」と声をかけた。


「みたらわかるでしょっ」


 刺されたかと思うほど鋭い返事だった。フロイラインはユンゲに助けを求めるような視線を送ったが、はたと「今日のユンゲは使えない」と思い出して、目力で黙るよう指示を出した。


 威圧的に命じられなくても黙っているつもりだったユンゲは、そんなフロイラインのお姉さんぶった態度に腹を立てたが、ぐっと歯を噛んで罵声を押しとどめる。気を抜くと「貴様、ぶん殴るぞ」と言い出しそうで、自分で自分が恐ろしかった。


「涙の理由は、隣にいる人形が原因かしら?」


 フロイラインは、視線を合わせようと膝を曲げ、微笑みながら問う。女の子は「あたりまえでしょっ」とまた刺すような刺激的な返答だ。フロイラインは姿勢を戻してユンゲに耳打ちした。


「可愛げのない子ね」

「まあね。でも人間だ」


 二人はうなずき合う。

 人間には優しくすること。

 それは人形が人形でいる意味とも通じる、掟のようなものだ。


 特に二人は製造年から考えると年季の入った人形なので(ただし最新型より高性能だ)、特にこの掟を守る意識が強い。ユンゲはともかく、普段は自我が強いフロイラインも、この点に関しては古風であり保守的なのである。


 だから「嫌いなタイプのガキ」だと内心思うものの、気分を害して立ち去ることはしなかった。


 女の子が「そうよっ」と言ったように、彼女が泣いている原因は、隣にいる人形が関係しているだろうことは容易にわかる。なぜなら、その人形は一言も話さないどころか、ピクリとも動かないからだ。


「壊れてるのね」


 フロイラインがうっかり口に出すと、戦闘態勢のミツバチみたいな女の子は「ちーがーうーもーん!!」と否定し、天を仰いでビエエエエエと泣き叫んだ。


 ユンゲは軽率なフロイラインを肘で小突く。


「何でもかんでもそのまま言えば良いってもんじゃないぞ」

「わかってるけどさ。でも」


 見るからに壊れているじゃないか、と思うフロイライン。


 人形は人工皮膚が主流の今にあってブリキ人形だった。しかも人に似せたものではなく、バケツ型の頭に細い首、寸胴、関節がはっきりわかるブロック状の手足である。手の指は五本あったが、足は煉瓦のように四角いだけだ。


 もちろん今でもこういう型の人形は流通している。アンティーク風とかビンテージ風とかいって初期の機械人形を表現することもあるし、人間に似た人形を嫌がる人々もいるから、わざと機械仕立てを強調することも。


 でもこのブリキ人形は最新型の○○風ではなさそうだ。ブリキはくすんでいるし、目のランプも濁っている。そして何より高性能人形であるフロイラインたちの目は騙せない。


 これは古い、かなーり古い、本物の骨とう品レベルのブリキ人形だ。

 もしかしたら自分たちよりも古いかもしれない。


「コレ、あなたの人形?」


 フロイラインが指さすと、女の子はキッとにらんで、


「アハト」


 と言ってくる。


「あなた、アハトちゃんっていうのね」

「ちがうっ」


 毎度毎度、本気で刺してくるように返してくるので、面食らうフロイライン。心なしかチクチクする。女の子は「あたしはビーネだもんっ」とずずっと鼻をすすり、傍らのブリキ人形に抱きついた。


「この子がアハト。あたしのともだち。でも、でも……」


 ううっ、と多少こらえる素振りを見せたが、やっぱり女の子は「ビエエエエエエンン」と空気を震わせるように豪快に泣く。


 フロイラインとユンゲは耳を塞いで顔を見合わせた。


「あらら」

「大変だ」

「ビーネちゃんはアハトさんが好きだったのね」

「人間と友情を築いた人形アハト、ってわけか」


 人形として、この友情には謝意と尊敬を抱く。というわけで、ここは一肌脱ごうと二人は、なだめたり励ましたりして、根気強くビーネから詳しい事情を聞き出した。


 そうしてわかったのは、やっぱりビーネは服装から想像するようにミツバチのビーネ……ではなくて裕福な家の娘で、ブリキ人形アハトは古くから家に仕えている子守り人形ということだった。


 でも数日前から調子が悪く、動きも鈍くなっていたらしいが、今朝、突然「スクラップ工場に行きマス」と志願すると道をトコトコ行ってしまったらしい。


 起床してそのことを知ったビーネは、大人の目を盗んで家から飛び出し、ここまで追いかけてきたのだという。


 だがアハトの限界は想定よりも早く来てしまい……。


「うごかなくなっちゃった!」


 ビエエエエエン、エンエン。

 大泣きするビーネ。


 野垂れ死にしたアハトにすがりつき、鼻水やら涙やらヨダレを落とし、ブリキの肌を濡らしていく。


「さすが旧型。人形の鏡ね」


 自ら廃棄処分されにいくなんて。とても健気である、と思うフロイラインだが、隣にいるユンゲは「スクラップ工場!」と衝撃を受け、ガクガク震えている。


「廃棄処分なんて、スクラップ工場なんて。あんまりだ、あんまりだよ!!」


 激しく共感するユンゲに、ビーネは「うん、そうなの。そうなのっ」とコクコクうなずき、ブリキ人形のアハトから抱きつく対象をユンゲに変えた。


「キレーなおにいちゃん、あたしのきもち、わかってくれるのね」

「わかるっ、わかるぞ。人形だって心があるんだ、スクラップなんて反対だ!!」


 そしてユンゲは「ぼくが修理してやる!」と言い出した。

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