第8話 街を散策しよう

 フロイラインとユンゲの二人は、何十年と旅をしてきた。

 その中で、あらゆる人間、あらゆる文化を見てきた。

 そして時代の変化も知っている。技術もずいぶん進歩した。


 それでも二人と同じ性能、あるいは近い性能の機械仕掛けの人形でもいいのだが、一度でも見たことがあるだろうか。いいや、ない。人間に近い人形はいたが、フロイラインとユンゲのように、人間だと信じてしまう人形には、いまだかつて出会ったことがなかった。


 それはつまり、二人ほどの人形を作る技術者に会ったことがないのと同じ。手紙を置いて行ったドクター。この人物——そもそも人間かどうかも不明だが、もしも二人を修理できる者がいるとするならドクターだけだろう。


「でもドクターを見つけたくても手がかりがないもの。緑の魔女同様にね。わたしたち、あちこち旅してるけど何の収穫も得てないじゃない」


 さくさくとクッキーを噛むフロイラインに、恨めしい視線を送るユンゲ。彼女は深刻さが足りない。ぼくが壊れて一番困るのは自分のくせに。本当に腹が立つ……いやいや落ち着け。


 ユンゲは深呼吸した。怒るなユンゲ、心広く平穏に保つんだ。


「あなたも食べる?」

 フロイラインが向かいの席を顎で示す。

「座ったら? そんな床にへばりついてないで」


「いらない」

「おいしいわよ」

「いらないってば!」


 シーン、と気まずい数秒間ののち、


「それじゃあ、出かけましょうか」


 ぱっぱ、と手やスカートに落ちた菓子の欠片を払い落とすフロイライン。するとユンゲが低い声で言う。


「ひとりで観光か。のんきなこった」

「あなたも行くのよ、ユンゲ」

「嫌だね」

「手がかりを探すの。短気をなおしたくないの?」

「……見つかるわけないだろ、手がかりなんてさ」

「ったく、ユンゲ、あなたねえ」


 ハア、と呆れるフロイライン。あまりに深々したため息に、床の上で座りこけているユンゲは居心地が悪そうに尻をもじもじさせた。


 彼だってわかっている。いじけてたって仕方がないってことくらい。でもフロイラインのように、やみくもに希望を抱くなんてできないのだ。


「ホテルで愚痴ってたって何の解決にもならないでしょ、ユンゲ」

「それはわかってる」

「だったら外に出て、少しでも手がかりを探しましょうよ」

「わかってる、わかってるけどさ」


 グチグチ、ショボショボと言い訳するユンゲに、フロイラインは「あっそ」とぴしゃりと突き放した。


「だったら、あんたは一人いつまでも、ぐずついてたらいいじゃない。わたしは出かけますからね」


 フロイラインはそう宣言すると、トランクの中からお出かけ用の小さなバッグを取り出す。コインばかり入っているガマ口財布とハンカチ、うっかり忘れがちな自分のためにメモ帳と鉛筆を一本バッグに入れて、肩から斜めに掛けると準備万端だ。


「じゃあね、行ってくる。暗くなる前に戻るつもりだけど、晩ごはんはすませてくるから。バイバイ」


 そしてフロイラインは本当に出て行ってしまった。ちょっと待てば「ユンゲ、早くして」と戻って来るかと思って待っていたのだが、その気配はない。


「まさか本当に一人で出かけるなんて」


 不安で胸がバクバクした。二人は常に一緒のはず。片割れを失ってどうやって生きて行こう。床でへたっている場合ではない。


「あんな少額コインばっかりのお金で何を買うつもりなんだ。無銭飲食で捕まるぞ」


 ユンゲはパタパタと大急ぎで準備を整えると、いつも提げている大きな肩掛けカバンを持って宿の部屋を出る。階段を駆け下り、エントランスを突っ切り外に出たところで、キュッと立ち止まる。


「なあんだ、待っててくれたのか」

「あと十秒で行っちゃうところだった」


 バラが植わる花壇の端に腰かけているフロイラインを見つけたユンゲは、ホッと息をつく。心なしかフロイラインも安堵しているように見えた。


「じゃあ行こうか」

「ええ、行きましょう」


 二人は腕を組んで仲良く歩き出した。


 まずはメインストリートを見てまわる。観光客でいっぱいだ。でもよく観察してみると半分は人形である。精巧だがユンゲたちほどではない。


 金持ちたちは連れ歩く人形も金持ちのように振舞わせるのが好きだ。だから話し方も歩き方も、着ている服や身に付けているアクセサリーも、上質で高級なものばかり。それに比べるとユンゲたちは貧相に見える。


 だからたぶん、貧しい人間だと思われたのだろう。ちらちらと送られてくる視線は、場違いですわよ、と言わんばかりに非難がましい。


「この通りは高級店ばかりだね」

「バラの香水、バラをイメージしてカットした宝石、バラモチーフの装飾品」


 両脇に立ち並ぶ店はどこもお上品でお高くとまっている雰囲気だ。


 フロイラインは、膨らんだスカート部分がリボンで作ったバラで埋まっているドレスをショーウインドーで見つけて立ち止まったが、すぐに首を振る。


「実用的じゃないわね。歩くのが大変そう」

「でもフロイが着たらとても似合うだろうな」

「試着してみようか?」


 ユンゲは首を伸ばして店内に視線をやる。髪をぴたりとなでつけた店員が、こっちをしかめっ面で見ていた。


「あの店員も人形だね。ぼくらはこの店の客層に合致しないみたいだよ」

「入店禁止かな」

「かもね」


 二人はべー、と舌を出して店員をからかうと、その場を駆け足で立ち去る。


「ユンゲ。あんた調子いいじゃない。壊れてないのかも」

「少し気分が良いよ。でもあんまりバラ尽くしの街を見てたら、イライラしてきた」


 その言葉の通りだったらしい。メインストリートから脇にそれて進み、しばらくしたところで、ユンゲは「もう疲れた!」と大声を出した。


「あっちに行ってみましょうよ。湖が見えるはずよ」

「湖なんてたくさん見たじゃないか。その上を走って来たんだから」

「でも」

「君は男とくっちゃべってたから、ろくに見てなかったんだろうよ。キラキラ光る湖面がどこまでも広がってて、その上を走る列車の滑らかな滑りときたら」


 あーあ、見逃して。もったいないことするな、フロイライン。


 と、ユンゲはたいそう嫌味ったらしく言った。フロイラインは相手を突き飛ばしたくなるほどむかっ腹が立ったが、ユンゲは故障しかけているのを思い出して、ぐっと踏みとどまる。


「わかった。あんたは湖はもううんざりってわけね」

「湖もバラもうんざりだ」

「だったらいっそロージータウンを出て、ご希望通り、水上バスでオレンジいっぱいの半島を目指す?」


 フロイラインとしては、かなり寛大に提案したつもりだった。でもユンゲは激高した。


「今日来たばかりでもう帰るのか、この浪費癖の薄らとんかち!」

「はあ!?」

「ホテル代はどうするんだ。あんなにたくさん支払ったのに一泊もしないのか。よく考えてから物を言うんだな、このっ、あんぽんたん!!」


 フロイラインは顔を真っ赤にして目を吊り上げた。

 ユンゲは慌てて口を押さえる。


「違うんだ、フロイ。ぼく、こんなこと言うつもりじゃ」

「あんた、口を縫いつけてやろうか」

「そうしたほうがいいかもしれない」


 しおしおとうずくまり小さくなるユンゲに、フロイラインの真っ赤な熱も引く。


「そう気にする必要ないわ。わたしも真に受けすぎたから。あんたがポンコツになりかかってるって、ちゃんとわかってる」

「ぼく、廃棄処分だ」

「わたしがそうはさせないから」


 ぽんっと肩を叩き、ユンゲを立ち上がらせるフロイライン。


「とりあえず湖を見に行きましょうよ。海みたいに広かったもの。人間は悩みがあると海を見るって聞いたわ」


「本当?」

「何かで読んだ気がする、ううん、誰かがそう言ってたのかな?」

「でもぼくら人形だよ」


「そうね。でも人間になるために旅する人形だもの。人間と同じ行動をとっても何もおかしくないでしょうよ」


 それに、とフロイラインはユンゲを黙らせるほど怖い顔をした。


「わたしは湖を見に行きたいの。つべこべ言わず、ついて来て!」

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