第5話 花盛りのロージータウン
ロージータウンは年中バラが楽しめるとの触れ込みだが、ユンゲの目には街中がバラに埋まっている、と感じた。
メイン広場の噴水にバラがたくさん浮かべられているのは当然で、噴水の上も縁どりも装飾の絵柄もバラ、バラ、バラだ。
メインストリートの両側はノイバラが咲きほこり、白い房前の花を重たげに揺らしているし、店舗も家屋も屋根は必ず蔓バラで覆うよう法律で決まっているのかもしれない、ひらひら散る色とりどりの花びらが常に風に乗り流れてくる。匂いでむせ返りそうだが、視覚だけでもむせ返りそうだ。
「すごいわ。本当にバラの街ね。わたしバラのお姫様になった気分」
スカートの裾を軽くつまみ、くるくる回るフロイラインは確かにお姫様みたいだ。バラ尽くしの景観にぴったりの愛らしさを惜しげもなく振りまくから、通りの視線を集めるには十分だ。彼女は可愛い。とても可愛い。だがそれがムカつく。
ユンゲは苛立ちを隠さずに言った。
「はしゃぎすぎだよ、フロイライン。ぼくらはただ観光してまわってる旅人じゃないんだよ。無駄に目立ってどうするんだ」
バラの花のように微笑んでいたフロイラインの表情が、すんと消えた。
「怒りすぎよ、ユンゲ。何が嫌なの?」
「君が子どもみたいに騒ぐからさ、フロイライン。ぼくは静かな旅をしたい。君が行きたい場所を選んだんだから、態度くらいは、ぼくの言うことを聞けよ。まるで子守りしている気分だよ。今日は君が姉だろう、フロイ。しっかりしろよ」
フロイラインは何か言い返しかけた。でも下唇を噛むとむっと黙る。その態度がユンゲのイライラを刺激する。
「ともかく」とユンゲはイラつきを抑えて言った。
「滞在先を決めよう。それから散策だ。運が良ければこの街で緑の魔女の手がかりが見つかるかもしれない」
フロイラインは下唇を突き出した。それから小声で愚痴る。
「急ぐ旅じゃないのに。今日のユンゲはどうかしちゃってる」
「どうかしてるのは君だろう!!」
怒鳴りつけたユンゲにフロイラインはぎょっと目を丸くした。突然の大声に、周囲も興味を引かれている。さらにはユンゲ自身も自分の短気な反応にびっくりしていた。
「あ、あ……」
これは自分が悪かった、と謝ろうとしたのだが、フロイラインは聞く気がないらしい。くるりと背を向けてしまった。
「フロイ、ごめんよ。そうだ、君、さっきの配達人の彼から、おすすめの宿を教えてもらってなかった? まずはそこへ行ってみようよ」
確か「安くてサービスの良いホテル」があると話していたはずだ。フロイラインも、「いいわね、そこに行ってみる」と嬉しそうに返事していたのも覚えている。
ユンゲは、フロイラインに機嫌を直してもらおうと宿の話を持ち出した。でも彼女は不機嫌なまま「聞いたけど宿の名前は忘れちゃった。どうせわたしは記憶のネジが足りないバカだもん」といじけている。
「ぼくが覚えてるよ。場所もね。メインストリートを東に行ってアイスクリーム屋の角を曲がるとあるって話だった」
アイスの話も出したのだ。フロイラインの機嫌は直る。
と思ったユンゲは楽観的すぎたようだし、フロイラインのうらみつらみは深かった。
「あなた、盗み聞きしてたのね」
フロイラインは、これでもかというほど不快そうに見てくるものだから、再びユンゲの怒りが沸騰した。
「盗み聞きするわけないだろ。あの場にいた乗客は全員、聞こえてたさ。君がバカでかい声で話してるからね。周囲に気を配るってことが出来ないのか、フロイライン。今だってせっかく仲直りしようとしてるのに、ぼくの気づかいを無視してその態度とくる。こんなんじゃ旅を続けるのは無理だ!」
よくしゃべること、とフロイラインはすまして答えた。たいくつそうに毛先を指にくるくる絡めている。
「で、そのホテルに行くの、行かないの?」
「行くさ。君もついて来いよ、いいな!!」
たとえ喧嘩していようと互いの顔が見たくない(どうせ同じ顔をしている)と思っていようと、二人は常に行動を一緒にする。そういう風に今までしてきた。
二人はこの世で目覚めた瞬間から「そういうもの」と信じて疑わない。だから、いくら不満だろうがルールを曲げようとは思わなかった。
ユンゲがせかせか歩く後ろを、フロイラインがカルガモのようにぴたりとついて歩く。何度かユンゲが目的の宿の場所を尋ねたり、ショーウインドーの前で立ち止まったりしたが、道中、二人は一切会話しなかった。
そして到着した宿は、本当に安くてサービスの良い宿なのかと疑うほど立派なものだった。いかにも高級そうだ。太い柱が何本も立っている。案の定バラ尽くしだし。
そしてやっぱり高級宿だったのは、カウンターで料金を聞いてはっきりした。それでもユンゲは他を当たるのも面倒で、この宿に宿泊することに決めた。
「フロイライン」
部屋に入り肩掛けカバンを窓際のテーブルに置くとすぐ、ユンゲは文句を言った。
「君が人形だと明かさなかったせいで高級宿に泊まることになったぞ。今回は仕方ないけど、次の街では安宿に泊まる、あるいは野宿だ。いいな」
「わたしのせいなの?」
ベッドに腰かけ、マットレスの具合を確かめていたフロイラインが、さすがにもう黙ってはいられないと言い返してくる。
「文句があるなら辞めたらよかったのよ。あなたがここに泊まると決めたのに、どうしてわたしのせいにするの。わたしは、あなたについて来ただけよ」
「君が人間のふりをするから、こんなバカ高い宿を勧められてしまったんだろう!」
「はあ!?」
フロイラインは跳びはねるようにベッドから立ち上がる。
「わたしは人間のふりなんてしてない。いつものフロイラインだったし、今もそう。違うのはあなた、ユンゲだわ。どうかしちゃってる、八つ当たりが酷すぎる」
郵便配達の青年が嘘をついたわけではない。確かにこの高級感溢れる空間に対し、格安で泊まれる場所だった、人間料金では。
人形だと目玉が飛び出る金額だった。サービスを期待するしかない。
これで人形はおざなりにしか相手してもらえないなら、今からでもキャンセルするのが賢い選択だ。しかしユンゲは梃子でも動かぬ頑固さで、それはしないと決めていた。
そしてそんな頑なさを感じたフロイラインは、さすがに自分まで腹を立てている場合ではないと気づいた。
「ユンゲ、あんた自分が何を言ってるか反芻したほうが良いわよ。めちゃくちゃだわ」
棘のある言い方だったが、その声音は優しくなっていた。なだめるよう、ゆっくり近づき、ユンゲの肩に触れようとした。でも。
「フロイが歩き疲れたかと思ってここに決めたのに、文句を言うな!」
ユンゲはぴしゃりとその手を跳ねのける。
「フロイラインはわがままだ、ぼくは水上バスに乗りたかったし、バラよりオレンジが食べたかった。こんな高級宿にだって泊まりたくない、あの猿みたいな男も気に食わなかった。アイツとばかり話して、フロイは全然ぼくを見なかった!」
「まあユンゲ」
フロイラインはすっかりまいってしまった。今日は弟のユンゲが、ぽろぽろと涙を流して「うわーん」と泣きだす。
「あらあらあら」
フロイラインは慌てたあと、「そうだ」とひらめいた。
「よちよち、ユンゲちゃん」
人間の赤ちゃんに、乳母人形がこうやっていたのを見たことがある。フロイラインはユンゲを抱きしめると、その白い絹糸のような髪を撫でる。
「おねえちゃんが悪かったわ。あの青年に嫉妬したの? でもわたし、彼が何の仕事をしてたかも、もう覚えてないんだけどねえ」
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