第2話 未完の装薬

 奴隷商マーシュを捕らえるべく、もしくは殺害すべく行動を開始したセイラは、俺を物陰に隠したあとすぐ、マーシュへ向かって突撃していった。


 そしてセイラはマーシュに接近しながら高く飛び上がると、空中で杖を構えた。

「魔法使いが近接戦闘をするか! 防護せよテクト・オルフィ

 マーシュはコートに片手を入れ、もう片手で杖を持ちながらそう詠唱した。


 セイラとマーシュの間を半透明の障壁が現れ、両者を分断する。


「君も魔法使いでしょうにっ!」

 セイラは空中で杖を捨て、流れるように剣を引き抜き空で上段の構えをした。


 そして激しい音とともに、凄まじい速度で振りかぶった斬撃は障壁へと激突した。

 鈍い金属音が響き渡る。


 

 それは、福音の音ではないことがすぐに分かった。


 ……剣が折れた!?


「その詠唱は魔法障壁魔法のはず……!?」

 セイラは動揺のあまり、そう言葉を漏らし唖然とした。

 剣、それも西洋の大剣が、障壁の防御によって真っ二つにへし折られたのだ!


「その通り、心の声が顔にも出てるぞ。今の詠唱したのは正真正銘の十中八九で魔法障壁魔法。お前が俺の詠唱を瞬時に判断し魔法攻撃から非魔法攻撃に変えたことは褒めてやろう。だがなァ」

 マーシュは鼻を高くしたように、誇らしげにそう言った。


「非魔法障壁魔法を無詠唱で、同時に展開…!」


「はっはっ、おっしいね。半分正解。満点はこれだよ」

 マーシュは片手をコートから出した。

 その手には小さな枝のような棒が握られている。


「無詠唱はこっちの携帯式の杖だ。一つの杖で同時になんて常人にはできない。だが基礎魔法の無詠唱は上級魔法使いからしたら常識だ。こっちの杖も同時に使えば2枚展開も容易い。あと、長杖と比べればこの携帯杖の精度は劣るが、剣の斬撃を防ぐ程度の強度は誇るね」

 マーシュはそう言いながら短い杖をしまうと、再びその手を外に出した。


 するとその手に今度は、別の何かが握られていた。

 この世界には似つかわしくない、異様で機械仕掛けな鉄の塊。


 だった。


「多銃身式燧発銃。魔焼石で火を付けた時、その石が出す火薬臭に気づけたかもしれないが……生憎ここは地下街。上で暮らすお前にとっては、ここは刺激臭が多すぎたようだな」

 マーシュはそう言い放つと、ガチンという音と共に引き金を引いた。


 


 その瞬間閃光を上げた銃は重く濁った銃声と共に、4つの銃身からは火を吹くように3発の弾が一斉に発射された。

 火薬によって巻き起こった大量の白煙は、二人の周囲を覆い尽す結果となる。


 質量・強度と共に、強力な運動エネルギーを保有する弾丸。

 それは瞬く間にを突き破り、それにも拘らず速度を緩めることなく、真っしぐらにセイラへと向かっていった。


「っ―――!」

 セイラは歯を食いしばり咄嗟に右肩を抑えた。一発が命中したのだ。

 生まれた一瞬の隙。


 二人を隔てた障壁は既に崩壊している。


 立ち込める白煙の中、一気にセイラとの距離を詰めたマーシュは彼女のみぞうちを全力で、数回をもって殴打する。

 続けて半歩下がり、間髪入れず帽子を抑えながらみぞうちを蹴り飛ばした。


 一方、覆う白煙により蹂躙されるセイラが見えずにいた少女は、白煙から蹴り出されたセイラ、そして同時に地面を回転して滑る彼女の兜を視認し初めて、その状況を理解するに至った。

 「セ、セイ――……っ いや、でも……」

 少女は叫ぼうとした。だが、それは弱々しく、弱音へと変わってしまう。

 


「が…、ぁ……――――」

 マーシュによる一連の連続攻撃を受けたセイラは、受け身を取る余力もなく、鈍い衝突音と共に背を床に叩きつけ、また更にその衝撃は全身を走った。


「ん~クリーンヒットだ」

 そう言いながらマーシュは、落ちていたセイラの杖の前で立ち止まると、落ちているセイラの杖に足をかけ、「これで最ッ期ッ!」という掛け声とともにその杖を半分に踏み折った。


「ぐ、むぐうっ、がはっ………げほっげほっ!……はぁ…はぁ……」

 背を床に向け倒れ込んだセイラは、激痛でみぞおちと右肩付近を手で抑えると、咳込みながら体を横に向けてうずくまった。


 肩の銃傷はかなりの出血だ。セイラを中心にどんどん血溜まりが広がっている。

 くっそ、俺は本当にこのままここで身を隠していていいのか?


 兜の脱げたセイラを見てすぐに分かった。可愛いじゃない。

 こんな騎士という仕事を果たす彼女はまだ、俺と同じ年齢の女性であると。もしかしたら俺より年下かもしれない。


 そんな彼女が今、 泥を塗りたくったような汚濁の地面の上で、血を流しながら、涙を堪えながら倒れているのだ。

 今に分かったその金髪の短いポニーテールも、汚れてその艶を失っている。


 まだ、セイラは辛うじて意識を保ち続けている。

 だが、不規則に上下する体から彼女の呼吸がおぼつかないことは明確だった。


 呻くような声と鼻をすする音は、俺の中で何かを沸々と、だんだんと煮えたぎらせているような気がした。

 

「これでお前はまともに戦えない。ふははは!……ん?」

 マーシュはそう言って高笑いした。

 だがすぐに、マーシュにとって信じ難いことで起こる。


 そうそれは、折れた剣を地面に突き刺し、震える体を制しながら、ゆっくりと体を起こそうとするセイラの姿だった。

 彼女が赤く燃やすのは、目の奥に灯る信念なのだ――――


 しかし、生物はどれだけ意志が強かろうが、肉体のには抗えない。


 肩の銃傷、全身の打撲、その他諸々の合併症状。疲弊し切った体を彼女は支え切ることができず、バランスを崩したセイラはまた、へたりこむようにその場に倒れた。

 

 剣も手を離した拍子に、地面へと倒れる。

 ただセイラはもう眉をひそめ、マーシュを睨むことしかできなかった。


 そしてマーシュは、その兜の無いセイラの憔悴した、傷だらけの顔を見るとまた失笑を始めた。

「ふ、ふはは! お前はもう戦えないのさァ! あーあ、滑稽に尽きる。そのしかめっ面は本当に醜い魔女バーバヤーガのようだなァ」

 また一歩、一歩ずつセイラに近づいていく。


 俺はあいつの被る仮面の奥から滲み出る、そのニタニタとした顔は想像するだけで吐き気がしてきた。


「お前は苦労したんだよなァ、 女に生まれなかったら良かったのになァ、名前はセイラとか言ったか? 庶民臭い貧相な名だ。お前の両親も大層に醜―――」


「母親を侮辱するなっ……!!」

 セイラは大声を出してそう叫び、マーシュを睨んだ。


 マーシュは気迫に驚いて立ち止まったが、すぐその場でわらいだした。

「母親? ほーなるほど、お前の母も魔女だったのかァ、父には捨てられたんだろうなァ、魔女のお前が産まれちゃって。それでみんなに忌み嫌われたと」


 マーシュは再び一歩ずつ近づき始める。

「見返そうとでも思って王立騎士団に入ったのかァ? 上級魔法使いレベルの俺と下級魔法使いレベルの雑魚を戦わせる上層部の判断からして、お前のことは捨て駒、いや、親子共々生きてるだけで邪魔な小蝿としか思ってねェーよ」


「……違う。ちがっ、ち…なん…で……そんなこと………―――」

 セイラは徐々にマーシュから目を逸らし、下を向いた。


「華奢な体で一生懸命に努力をしたのに、ほーら、意味ないぜ? 俺は努力なんてせず才能一筋でお前と歴然な差をつけているんだよなァ!! 所詮努力とは無価値なのだ。性別、民族、身分、才能、それら全ては覆せない」

 マーシュはへたり座るセイラの目の前で腰をかがめると、戦意喪失したその頭にマスクのくちばしを突きつけた。


 赤くなった彼女の目の水滴は、彼女の目を儚く光らせている。

「近くで見たらもっと醜いなァ。お前がいくら生きて塵を積み上げようと山はできないんだよ。そうだ。その折れたナマクラであんな薄壁すらも貫けない貧弱な腕を使って、自分の首でも切って自害し―――」

 そうマーシュが言い切ろうとした瞬間、物音がした。


 二人の視線は、すぐにその方向へ駆け巡る。

 そこにいたのは、あの少女――であった。


「おいマーシュ、それ以上口を開いてみろ」

 俺は杖を両手で握りしめ、マーシュにめがけて睨み、そう警告した。

 さっきマーシュが落とした杖だ。それを俺は構えている。


 そしてそれを好奇な目で見つめるマーシュだったが、一方のセイラは違った。


 馬鹿……物陰に隠れててって………


 セイラはそう思い、少しでもマーシュの注意を引こうと声を出そうとした。

 しかし、彼女の口は少し開いただけだった。唇が、舌が震える。

 

 マーシュの眼前。今、彼の気が変われば、すぐにでも殺せるだろう。

 ああ、これは怯えか。この期に及んで、私は………


 セイラはそう思いながら、地面に向かって、うずくまるように倒れた。

 

 恐怖心はまだあった。あいつに杖を向けて俺がただで済まないかもしれない。俺が魔法を使えるのか、ましてやその使い方さえ知らんない。

 俺は今や少女の体だし、身体的には絶対に勝てないかもしれない。


 だけど……もう我慢できない。

 

 俺は前世で一度すら抱いたことのない、マーシュに対する激しい憎悪と悪に対する絶対的な対抗心と正義感が、俺のそのを掻き消していた。


 俺をマーシュから救ったセイラを場外から無力に見ていても、ただ辛いだけだ。いや、そもそも、人が傷つけられているのに知らない振りなんて俺にはできない。

  あんなことを平気で言うやつを絶対に許せない。


「誰が閉じると言うのかね? よ」

 マーシュは馬鹿にしたように首を傾けてこっちを見た。


「ぶち殺してやる、この世でそれ以上無駄口叩けると思うなよ?」

 このときの俺にとってはもはや、体が小さく、声が高く、そして髪が長い、銀髪の少女であることなんて気にしてはいなかった。

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