暗黒街の奴隷魔女~過酷な異世界でどう生き抜く~
いくら
第1話 醜い魔女
本当にどうなってるんだ。
ここはどこ? 昨日の記憶がない。
視界には暗く、汚れた、6m四方ほどの空間が広がっていた。体は空間の入口に対して対称の壁に持たれ込み座っている姿勢で、触れた体はひんやりと冷たいコンクリートのような感触が伝わっている。
そしていまだかつてない異臭。壁や床からこの匂いが染み出しているのか?
まぶたが重い。頭がボーっとする。いや、頭が重い?
頭を触り、髪の毛を確認してみる。なんと髪の毛が異常に長いのだ。
そしてここで、首に錆びついた金属製の首枷のような何かが取り付けられているのが分かった。
填められているのが分かった瞬間、首の皮膚に猛烈な痒みと違和感が走る。
違和感を少し気にしながらも髪を手で流していった。
そしてその流れがちょうど床まで続き、まるでロングヘアの女性のように……
………!
「かっ、鏡!」
そう言って勢いよく立ち上がった。
髪の毛がふわりと浮かび上がる、経験にない感覚が頭の神経に伝った。
そして声は高く、焦ってよく裏声を出す俺でも到底出せない声色だ。その上、立ち上がったときの目線は身長が40~50cm縮んだかのようにあまりに背が低くすぎる。
あと服装もスーツを着ていたはずだが今は違う。
今来ているのはボロボロの黄ばんだ白いリネンのワンピース。
しかし都合良くこの部屋に鏡は無かった。いち早く確かめたいって言うのに。
たしかめるといえば恒例のちn……も無ェ!!
一体なんでこんな……いや、夢か。
そうだこれだ。こんな馬鹿げた空想が起きるわけ無い。
そう思いながらあたふたしていると突然、空間の入口から人の気配を感じた。
俺は思わず振り向くと、そこにはなんと自分の何倍もある人影が覗いていたのだ。
「やっと起きたか。急に意識を失ったかと思えば、急に大声で騒ぐし、はぁ……」
ペスト医師の仮面のような仮面を被り長丈の古びたコートを羽織るシルクハットのこの人は、俺を見下ろしてそう言った。
「お、お前誰… いやいやいやそれどころじゃない! 今鏡持ってたりしない?」
「俺の名前を忘れていたのか? はぁ、中央大海の魔女狩り、将軍マーシュだ。理解したか? で、鏡…はあるが、それはお前にとって必要ないものだろう?」
マーシュはそう言って俺の顔に仮面のくちばしを突きつけた。
「なあ、隷属魔法も忘れたわけではないよな? 鏡は少しだけ見せてやってもいい。だが発言には気をつけろ」
マーシュは小さな鏡の破片を内ポケットから取り出し俺に渡した。
俺はその鏡をすぐに覗き込む。そこには……幼い、白銀髪の少女が写っていた。
本当に、どうなってしまったんだ―――
理解が追いつかない。これは絶対に夢だ。
でも五感は正常。自覚も夢と現実で言うと現実に近い状態。
それに、脳は紛れもない現実世界と示してる。夢じゃない。
あれか「かみさまのちから」?
そして隷属魔法。
……?
奴隷契約してきそうだけど、もしや自然学=魔法のこと? それか神学的なにか?
とはいえまだ魔法をこの目で見たわけじゃない。
こんなことが起こっているなら、魔法の有無はどちらも有り得る。
でもやっぱり体がどこかの少女になってる時点でありそうだけど……
―――転生?
「おい、早く返せ。あともう休み終わったろ、ほら首を見せな」
マーシュはそう言って、ひったくるように鏡を取り、ザラザラとした革手袋を付けた手で俺の顎を無理やり上げた。
首枷がむき出しになる。
「なにして……や、やめ」
しかし非力な力ではマーシュの力には少しも抗うことができず、両手は片手で上に持ち上げられ、俺は壁に背を押し付けた逃げ場のない状態でただただ怯えるだけだった。
マーシュは首枷の栓を外して開き、代わりに錆びついた鎖に付け替え閉じた。
「奴隷じゃあるまいし、なんでこんなの付けないといけないんだ…」
「お前本当に……まあいい、教えてやるよ。だが歩きながらだ。ほら早く歩け」
マーシュはそう言い首枷に繋がった鎖を一度引き、半場強引に俺を6m四方の部屋から出した。
部屋の外は地下の街道のような細長い通路が広がり、老若男女問わず何人かの人が道の端でうずくまり、倒れていた。食べ物がないのだろうか、誰もが痩せている。
床はしっとりと湿り気があり、近くには猫の死骸が転がっていた。
また天井からは水がひたりと定期的に落ちていて、外ではその音だけが静かに聞こえている。
部屋を出ると、まず目に入ったのは先程から続く強烈でかつてない異臭の正体。
死臭だった。
ゴミのように置かれた死体は、部屋の入口のすぐ横で横たわっていた。
死体なんて、葬式以外では見たことがなかった。
それにこれは腐乱状態。身ぐるみも剥がされてボロボロだ。
蝿がむき出しの中身の上でうようよとしているのが決め手のなり、思わず口を抑え込んでしまった。
「ひ、人……なんで死、体がここに……」
「あーなんで死体がって? 一週間前だっけなァ、今の部屋に浮浪者が住んでいたから、これから俺が使うってことで殺した」
「えっ」
「安心しろ。この死体はクソより汚い布片を付けた下流労働階級の死体だ。こういう腐った連中には糞袋を喰らわしとけばいいのさ、お似合いじゃないか」
マーシュは道端に倒れる人々を指差してそう言った。
人々の顔に生気はなく絶望的……いや、人々の顔はみな植物連鎖の下位を生きる獣の形相だった。
「まあできないだろうが逆らうんじゃねーぞ? とにかくいいから歩けって」
マーシュは鎖を引き、二人は暗い道を歩いていった。
マーシュの後ろを歩く俺は、マーシュの背中を見る。彼の後ろ姿には、長い棒のようなものが四、五本差し込まれた筒状のカバンを背負っていた。
俺はマーシュに逆らったら、どうなってしまうのだろうか。
---
隷属魔法とは、相手を自らの隷属下とする魔法。
隷属者はその主人である魔法の発現者の命令には刃向かえない。
正真正銘の奴隷状態となってしまうのだ。
実際、自分に命令してもらおうと頼んだけど訳があるらしくそれは叶わなかった。
そして今、俺がいるのは『メルスラーブ』と言う町の地下であった。
この国で巻き起こされた産業革新によって、肥大化して抑えられない人口、劣悪な公衆衛生、瘴気による感染症の流行などが急速に進み、各都市では大規模な暗黒街が地下で根を張っているのだ。
今居るここもその一つだそう。
しかし俺がいた世界と言うより、産業革新なんてまるで18世紀後半の欧州だ。
つまり過去への生まれ変わり…だ?
「とりあえず今日と明日中にはこの町を出る。長く滞在しすぎたからな。だから休まず歩けよ?」
「はい……なにか、追われているんですか?」
「今の時代に人間の奴隷はどの国でも犯罪行為だ。もちろん魔女であっても。この町に高価な杖があるなんて誤情報に惑わされたせいだ、あの厄介なメルスラーブ警察に目を付けられるなんて。はぁこのやろ」
「そ、そうなんですね…」
口が軽い将軍様なのか、ペラペラと喋る。
と言うかペスト医師のマスク被っていたら警察に目を付けられて当然だろというのはさておこう。
しばらく二人で歩いていると、少し広い開けた空間に出たときにマーシュが突然その足を止めた。
地下からは水がまたポタポタと落ちている。
雨が降っているのだろうか。それとも水道漏れなのだろうか。
「どうしましたか? なにかあり――」
「ははっ、まさかお前だったか!!」
マーシュがそう言ったと同時に、足を構えコートに手を入れ中から杖を瞬時に取り出した。
握られた杖の先端は立体的な百合紋章で装飾されており、まさに魔法の杖。
そしてその直後、マーシュの前方から長い棒を持ったヘルメット姿の白い甲冑兵一人が、そのマーシュの体に直撃した。
腰には剣を携えており、ヘルメットの隙間から見える金髪の髪とともに揺れている。
恐らく前方から体当たりしてきたのだろう。
マーシュは背中に背負っていた棒を吹き飛ばしながら、そのマーシュ自身も吹き飛ばされ、後方の壁に激突する。
俺の首に繋がっていた鎖も吹き飛ぶ前に奪い取る。
吹き飛ばされた場所は木造りだったようで、木は衝撃に耐えられず貫通していた。
土煙が舞っていてマーシュの状況が良く見えない。
「『お前』とは辛辣ね。それに初対面でしょ? とにかく、君は地方警察から殺害許可が出ている……死にたくなければ武器を捨てれば?」
彼女はマーシュが飛ばされた方向に向けてそう言った後、俺の方に目を向け変えた。
「あなたはもう大丈夫。怖くなかった? もう大丈夫だからね」
彼女はそう言って俺の頭を撫でた。
武装を見て気づいていたけど、女性の騎士だったか。
若くて華麗な女性だ。元の俺の体と照らし合わせるなら同年代?
女性騎士と俺は数歩下がり、マーシュとの間合いを置く。
そして、この騎士が左手に持っていた棒も魔法の杖だと分かった。
水色の五芒星の立体構造が杖の先に装飾され輝いている。
土煙が晴れだすと、むくりと起き上がったマーシュが見えた。
「その勲章は中級のだな? 殺り甲斐がある。
服に付着した土を手で払いながらそう言う。
「ああそう、私は君が仰る通り、
「|やかましい!
マーシュが起き上がりながら杖を構えてそう唱えると、女性騎士はそれに対応して俺を担ぎながら高速で回避行動を取った。
避けた位置では閃光が爆音とともに轟き、静寂な地下空間一体を反響させる。
手榴弾とか閃光弾とか、そう言うのとは違うまさに魔術的な光。
俺は魔法と言うものの存在が確証されたこととこの魔術的な光に圧倒され、驚きのあまり口が開きっぱなしだ。
魔法があり、時代が違い、そしてこの身体。
ここは別世界………!!
「まじか……あ、セイラ……って君は一体……!?」
「私は悪い魔法使いをぶち殺して、君のような子供を助けている王直属の騎士だよ。それで君、彼になにか魔法かけられたりしてない? 例えば……隷属魔法」
優しい口調で物騒なことを言ったセイラは、マーシュを指差してそう言った。
「そ、その魔法かけられて……ます、他は…知らない」
「そう……分かった。でも今の彼は君に命令することはないと思うよ。じゃあ私はあいつをぶち殺してくる」
「ちょ、ちょっとセイラさん…!」
そう言い残してセイラは踏み込んだ地面を蹴り、マーシュへと再び突撃していった。
---
セイラはマーシュへと接近しながら、空中で杖を構えた。
「魔法使いが近接戦闘をするか!
マーシュはコートに片手を入れてそう詠唱した。
セイラとマーシュの間を半透明の障壁が現れ、両者を分断する。
「君も魔法使いでしょうにっ!」
セイラは空中で杖を捨て、流れるように剣を引き抜き空で上段の構えをした。
そして激しい音とともに、凄まじい速度で剣の斬撃は障壁へと激突した。
鈍い金属音が響き渡る。
……剣が折れた!?
「その詠唱は魔法障壁魔法のはず…!?」
セイラはそう声を漏らした。
剣、それも西洋の太い剣が、半透明の障壁の防護によって真っ二つに剣が破壊された。
「その通り、心の声が顔にも出てるぞ。今の詠唱したのは正真正銘の十中八九で魔法障壁魔法。お前が俺の詠唱を瞬時に判断し魔法攻撃から非魔法攻撃に変えたことは褒めてやろう。だがなァ」
「非魔法障壁魔法を無詠唱で、同時に展開…!」
「はっはっ、おっしいね。半分正解。満点はこれだよ」
マーシュは片手をコートから出した。その手には小さな枝のような棒が握られている。
「無詠唱はこっちの携帯式の杖だ。一つの杖で同時になんて常人にはできない。だが基礎魔法の無詠唱は上級魔法使いからしたら常識だ。こっちの杖も同時に使えば2枚展開も容易い。あと、長杖と比べればこの携帯杖の精度は劣るが、剣の斬撃を防ぐ程度の強度は誇るね――」
マーシュは短い杖をしまい、再びその手を出した。
その手にはまさに中世と言うべき銃が握られていた。
魔法使いが銃はなしだろ。
「多銃身回転式フリントロックピストル。火をつけた時、火薬の匂いで気づけたかもしれないが……生憎ここは地下街。上で暮らすお前にとってここは刺激臭が多すぎたな」
銃は閃光を上げて、火を吹くように3発全ての弾が放たれた。
障壁を貫通し、さらにその弾はセイラの右肩をもろで命中した。
「っ―――!」
セイラは咄嗟に右肩を抑える。
それと同時に効力が切れた障壁は完全に崩壊した。
そして、肩を抑える一瞬の隙に、マーシュはセイラのみぞうちを思いっ切り殴った。
更にマーシュは一歩下がり、片手でシルクハットを抑えながら間髪を入れず思いっ切りみぞうちを蹴飛ばした。
「ん~クリーンヒットだ」
この二段攻撃でセイラは吹き飛ばされ、受け身を取る暇もなく壁に衝突する。
ヘルメットも蹴られた衝撃で脱げ回転しながら転がっていく。
「ぐぁ……っ」
壁は石壁で、セイラはその背中への強い衝撃の痛みに声を上げる。
「これで最ッ期ッ!」
マーシュは落ちているセイラの杖に足をかけ、その杖を半分に踏み折った。
「ぐ、むぐうっ……がはっ………げほっげほっ」
金髪をポニーテールで結んでいたセイラはその顔が晒され、涙とともに口から血が垂れ落ちている。
息もままならず、みぞおち辺りを抑えながら咳き込み、地面に刺した折れた剣をかろうじて持ちながら足を震わせてうろたえていた。
「これでお前はまともに戦えない。ふははは! 確かに、そのしかめっ面は本当に
マーシュはそう言って高笑いし、セイラへと一歩ずつ近づいていく。
「お前は苦労したんだよなァ、 女に生まれなかったら良かったのになァ、名前はセイラとか言ったか? 庶民臭い貧相な名だ。お前の両親も大層に醜―――」
「母親を侮辱するなっ……!!」
セイラは大声を出してそう叫び、マーシュを睨んだ。
マーシュは気迫に驚いて立ち止まったが、すぐその場で
「母親? ほーなるほど、お前の母も魔女だったのかァ、父には捨てられたんだろうなァ、魔女のお前が産まれちゃって。それでみんなに忌み嫌われたと…」
マーシュは再び一歩ずつ近づき始める。
「見返そうとでも思って王立騎士団に入ったのかァ? 上級魔法使いレベルの俺と下級の雑魚のお前を戦わせる上層部の判断からして、お前のことは捨て駒、いや、親子共々生きてるだけで邪魔な小蝿としか思ってねェーよ」
セイラは徐々にマーシュから目を逸らし、下を向いた。涙が両目から溢れている。
「嘘、なん…で………た……―――」
「華奢な体で懸命に無意味な努力をしたのに、それはもはや水の泡、まあ俺は努力なんてせず才能ただ一つでお前と歴然な差をつけているがなァ!! 所詮努力とは儚いのだ、生来の身分、性別、民族、才能、お前の努力で覆ることはない」
マーシュはセイラの目の前で座り、戦意喪失したその頭にマスクのくちばしを突きつけた。
「近くで見たらもっと醜いなァ。お前がいくら生きようが努力しようが無駄なんだよ。その折れた剣であんな障壁すら貫けない貧弱な腕を使って自分の首でも切って自害し―――」
「おいマーシュ、それ以上口を開いてみろ」
俺はいつの間にか、マーシュが始めの体当たりで落とした、彼が背中に背負っていた杖の一本を両手で握り、マーシュにめがけて睨み、それを構えていた。
恐怖心はまだあった。あいつに杖を向けて俺がただで済まないかもしれない。
俺が魔法を使えるのかも、ましてやその使い方さえ知らんない……だけど……
それ以上に、前世で一度すら抱いたことのない、マーシュに対する激しい憎悪と悪に対する絶対的な対抗心と正義感が、俺の恐怖心のほとんどを掻き消していた。
俺をマーシュから救おうとしたセイラを場外から無力に見ていても、ただ辛いだけだ。
あんなことを平気で言うやつを絶対に許してはおけない。
「誰が閉じると言うのかね? 醜い魔女よ」
マーシュは馬鹿にしたように首を傾けてこっちを見た。
「ぶち殺してやる、この世でそれ以上無駄口叩けると思うなよ?」
このときの俺にとってはもはや、体が小さく、声が高く、そして髪が長い、銀髪の少女であることなんて気にしてはいなかった。
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