第5章 霜降

第18話 幽霊

 毎月一回大家さんの家に家賃の支払いに行くと、たいてい近況を訊かれる。そのまま世間話になって、何かあったらいつでも言って下さいと笑顔で締めくくられる。

 誠の入院前も、その後もそれは全く変わらない。


「それじゃあ、河西さん。お世話様です」

「はい。失礼します……」


 今月も、誠のことは訊けなかった。

 訊いてくれるなという無言の圧力ではなく、お互いに話してはいけない暗黙の了解的な雰囲気を感じてしまうせいだ。よくわからないが、また負けた気がする。大家さん恐るべし。

 誠が入院してから、もうすぐ三ヶ月になる。さすがにとっくに退院していると思うけれど、大家さんも婆ちゃんも何も言わない。

 そもそも大家と借主の関係で、誠とも知り合い程度なら、病気や入退院の話なんてわざわざしないだろう。

 僕と誠はその程度のつきあいだったのか。そう思うと少し悲しい。

 唯一の接点だったキクも、いない。


「河西君の家、ホント広いよね」

「ここだけ他の借家と違ってスゲー緑多くない?」

「あ、それ私も思ったー」

「はい、とりあえずお茶どうぞ。近所に音が響くから、あんまり騒がないでね」


 今日は、学科の友人たちがウチでレポートをやると言って遊びに来ている。普通の住宅地なので夜に宴会はまずいが、夕方からの勉強会なら許されるだろう。

 久々に大人数だ。

 久々と感じる自分がおかしくなる。大人数だったのは、キクや四兄弟がいた時の話だ。


「河西、園芸趣味なの?」

「いや、全然。庭は僕が借りた時からこうだった。あと、やたらと植物が多いのはパワースポットだからだって言われた」

「何それ?」

「スピリチュアル系が好きなの?」

「そういうのも全然……」


 そういうのが僕の日常だっただけだ。


「そういえば、私の友達が最近この近所で幽霊を見たって」

「幽霊⁉︎」


 全員が一同に声をあげた。一ミリも信じていない、からかい口調だ。


「あの、夏過ぎてウチで怪談はやめて欲しいんだけど。みんな、信じないのにこの手の話が好きだよね」

「あ、河西君怖がり? 大丈夫だって。全然怖くないから。だって、みんなが見たいって言っているイケメン幽霊の話だもの」

「イケメン幽霊⁉︎」


 僕を含めてここにいる男三人が、揃って半ばあきれたように反応する。


「あー、私も聞いた、それ。結構噂になってる」

「でしょ? バイト帰りにこの辺を通った子が幽霊を見たって。何人か言ってる」

「……どんな、幽霊?」

「何? 河西君だって興味あるんじゃない」

「いや、だってこの近所だって言うし」


 僕はつい訊いてしまった。でも、怖い話は本当に勘弁して欲しい。


「結構遅い時間に、全身黒づくめでフードを被った長身の幽霊とすれ違ったんだって。で、顔を見るとすっごい美形の若い男なんだって」

「それのどこが幽霊なんだよ?」


 僕の横からヤジが飛ぶ。ただのイケメンじゃんと男性陣が揃って茶化す。


「生きている感じが全くなかったんだって。気配とか音とかがいっさいなくて、すぐ横をすれ違ったのに、気づいていないみたいにスーッと行っちゃったって。見た人の証言は同じらしいよ」

「あの、その幽霊って銀髪?」

「えー? それは聞いていないけど。ひょっとして河西君も見たことがあるとか?」

「え……いや。似たような人が……」


 思い当たるのは一人しかいない。既に退院して自宅にいるのならば、この近所で目撃されていてもおかしくはない。

 もしそれが本当に誠だったら、何か深刻な状況ではないのか。




 夜遅くに友人たちが帰ってから、僕は庭に出た。夜風が冷たい。

 幽霊の話は、誠のことだとしか思えない。本当に人騒がせで迷惑だ。

 こんな夜中に、誠は人目を避けて散歩でもしているのか?

 僕は何も知らない。

 天上に月が見えた。今日は十三夜だったか。

 十三夜の月に願えば叶うと聞いたことがある。お供えはないし、気休めでしかないけれど、僕はそっと月に願った。

 どうかマコちゃんに会えますように。

 縁側に座って庭を眺める。虫の声しか聞こえない。本当に静かだ……




 ……シャリッ、シャッ……

 静かに、ゆっくりと砂利を踏む音がした。

 僕は縁側に座って吐き出し窓に背をつけたまま、ウトウト寝入ってしまったらしい。足音を感じて、少しずつ目が覚めてくる。

 黒い影が近づくのがわかった。影は僕の前で足を止めると、そのまま僕を見下ろしている。本当に、気配も音もなくそこにいる。

 今日聞いた幽霊に違いない。

 でも、幽霊に足音なんてないだろう?

 どうしよう。今さら起きられない。

 薄眼を開けてみたけれど、フードを被っていて顔は見えなかった。

 すっと伸びてきた手が、僕の頭と肩に触れた。


「こんなところで寝ていたら、風邪を引くぞ」


 ゆっくりと、かすれるような小さな声で言うと、黒い影は静かに薄眼の視界から消えた。


「マコ……ちゃん……」


 まるで初めてキクと会った時のような感覚だった。

 そこにいるのに、いない。遠い幻。

 なんで直接会いに来ないんだよ。

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