第19話 待ち人

 今年、庭の菊は咲かなかった。花の蕾も葉も全て枯れたまま、茶色い棒が乱立している。庭の一角だけ時間が止まっている。

 これを誠に見せるまでは片付けないと決めたはいいけれど、毎日見ている僕の気が滅入ってきた。


「マコちゃん、何しているんだよ……」


 夜中に人目を避けて散歩できるなら、体は動かせるはずだ。でも、縁側で寝ていた僕の前に現れた誠は、幽霊話のとおり生きている感じがしなかった。

 ひょっとして、誠は最初に倒れた時から、本当はずっとあんな感じだったのか?

 だいたい、家でひとり園芸するのが趣味で、死にかけたとはいえ自分の死後のために花を育てる超ネガティブ男だぞ。その執念でキクが現れたほど内向きなやつだぞ。

 派手な銀髪と超目立つ容姿に騙されてはいけないのだ。

 誠はきっと本格的にひきこもっている。

 誠に期待するのが間違っている。誠がやって来るのを待っていてはダメだ。僕が動けばいい。とにかく気持ちだけは伝えたい。

 バイト直前に、僕は突然ひらめいた。


『菊を見に来い』


 メモ用紙にそれだけ書いた。

 二つ折りにして、封筒にも入れず、スーパーのエプロンのポケットに紙を突っ込んだ。もし婆ちゃんが来店してレジに来たら、婆ちゃんに頼んで手紙を誠に渡してもらおう。

 そうして、来店客のピークを過ぎた夕方遅くに婆ちゃんはやって来た。

 これで誠に会える。僕は勝手に決めつけて、レジに来る婆ちゃんを緊張しながら待った。


「一郎君、怖い顔して今日はどうしたの? 私の顔、何か変?」


 僕は婆ちゃんを見過ぎて不審がられてしまったようだ。


「あの! これを……マコちゃんに……渡して、下さい」


 婆ちゃんは少し驚いたようだが、僕の真剣な顔を見て無言でうなずいた。

 差し出した手紙を引き抜くように取ると、さっと開いて確かめる。ふふっと笑い、二つ折りに戻して軽くひらひらと振りながら無言で去って行った。

 スーパーのレジ前にいることを忘れるほどの優雅さに、僕は見とれてしまった。それは周りの人も同じだったようで、婆ちゃんが去った瞬間に、ほうっと感嘆の声が漏れた。

 しまった。婆ちゃんはそこにいるだけで目立つのだった。


「あ、お待たせしました。ポイントカードをお預かりします」

「一郎君、やるわねえ。今どきラブレター? 年下の男の子に想われるって憧れるわあ」

「は、はい?」


 婆ちゃんの次に並んでいた常連さんにからかわれる。次の次のお客様まで笑っている。


「お待たせしました。カードを……」

「一郎君、二宮さんに振られちゃったら慰めてあげるわよ」

「違うんですって!」


 恥ずかしい。勢いでやってしまった。全部誠のせいだ。これで会いに来なかったら、許さないからな。




  ……許さない。

 そう言ってやりたいが、手紙で呼び出して会えるくらいなら、とっくに顔を見せに来ているだろう。

 手紙を婆ちゃんに託してから一週間以上が過ぎた。

 結局何の音沙汰もなく、僕のため息だけが増えていった。

 でも、僕は誠と違って超ポジティブ思考だ。諦めることはない。たぶん。


「お兄ちゃん、さっきから何ひとりで騒いでいるの?」

「え? あ、ごめん。モヤモヤ考えごとをしてた」

「キモーいっ」

「アホっぽーい」

「二人とも失礼だな」


 僕が一人暮らしを始めてから、初めて妹たちが遊びに来た。実家から電車とバスで少々時間はかかるけれど、十分日帰り可能な距離だ。高校二年生の二葉ふたばと中学三年生の三苑みそのにとって、近い将来の独立に向けた下見のつもりらしい。

 庭付き戸建てが参考になるとも思えないけれど、別荘気分で楽しいようではある。


「あたしは、一人暮らしするなら絶対きれいな部屋がいい」

「あたしもー!」


 それはそうだろう。僕は日当たりと静かな環境を優先しただけだ。


「また来ていい? 今度は泊まりで。ここからだと今宣伝してるテーマパークに行きやすいんだよね」

「あたし、次来たら話題になってる水族館に行きたい! ここから行けばウチより近いし!」

「ハイハイ、いつでもホテル代わりにどうぞ」

「ホテルじゃなくて民宿だよねえ」

「ハイハイ……。そろそろ帰る時間だよな。バス停まで送って行くけど」

「あ、お兄ちゃんに頼まれていた雑誌、置いて帰るね。だけど何に使うのよ、こんな女子高生向けのファッション誌なんかさあ」

「えーと……ちょっと参考に……」

「ねえ、お兄ちゃん! なんか、家の外に怪しい人が立ってる」


 窓から庭を眺めていた三苑が、キンキンの声で叫んだ。


「少し前からウロウロしていて怖いんだけど。絶対ウチを覗いていたよ!」


 三苑の横から窓の外を見た。敷地の入り口に人影がある。長身で全身黒づくめの男だ。


「マコちゃん⁉︎」


 僕は外に飛び出した。


「マコちゃん! マコちゃんだよね⁉︎ 」


 誠に逃げられそうな気がして、僕は思わず両腕をつかんだ。見上げるように誠の顔をまじまじと見ると、誠はやや戸惑うように僕を見返してきた。


「あれ? 違う……。マコちゃんが、タンポポじゃない」

「……お前、相変わらずだな」


 黒髪の誠は、あきれたように言った。少し照れたように、視線を逸らしてうつむいた。

 僕は散々心配してイライラして恥ずかしい思いまでしたのに、こうして話した瞬間に今までのモヤモヤが全て吹き飛んでしまった。

 きっと、誠の柔らかい笑顔を見たせいだ。それで僕は安心したのだ。

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