第3章 芒種

第9話 大家さんの家

 僕の住む借家は、今時珍しく家賃直接払いだ。毎月一回大家さん宅を訪問することになっている。

 借家からは道路をはさんですぐ目の前だが、門扉から見ただけではそれとわからない大豪邸だ。誠はひょっとしなくても超ボンボンかもしれない。


「ちょっと大家さんのところに行って来るね」


 キクは庭にいるので、家を出る時はたいてい見かける。だから自然に挨拶を交わすようになった。


「行ってらっしゃいませ」

「あ、はい」


 こういうの、なんかいいよな。家にメイドがいる気分だ。

 いや、違うか。「お嬢様、少々出て参ります」って僕が言う立場なんじゃないのか? 僕が執事か。まあ、それでもいいな。家にお嬢様って……


「何ニヤニヤしているんだよ。気味悪いな」

「わっ、マコちゃん。ごめん、ちょっと楽しいこと考えてた」


 門扉のチャイムを押す前に、誠が中から扉を開けてくれた。


「家賃の支払いで来たんだけど」

「爺ちゃんなら在宅だ」


 それだけ言うと庭の奥へ行ってしまった。

 いつになく素っ気ないなと思いながら玄関に向かうと、少し年配の女性が迎えてくれた。


「あらー、一郎君! いつもお世話になっています」


 僕はこの人を見たことがある。スーパーのレジで、会うたびに「頑張って」と声をかけて下さるお客様だ。とんでもなく美人で、来店のたびにとても目立っている。

 誠の家系の人だったのか。

 妙に納得する。


「こんにちは。お世話になっています。スーパーでも、いつもありがとうございます。あの……誠君のお母さんだったんですね」

「あらやだ。私はマコの」

「婆ちゃんだよ!」


 どこから家に戻って来たのか、女性の後ろに誠がいた。


「マコちゃん! 婆ちゃん⁉︎」


 女性は笑いながらうなずいている。

 誠はあきれたように僕を見ている。


「マコちゃんって呼ばれているの? 仲良しなのねえ。一郎君、これからもマコをよろしくね」

「はい、こちらこそよろしくお願いします」


 誠の婆ちゃんは、嬉しそうに誠を見ていた。誠は少しふてくされたような感じで、奥に行ってしまった。

 きっと、マコちゃんと呼ばれているのを知られたくなかったのだろう。

 ごめんなさい。僕が悪かったです。

 支払いを済ませて帰るところで、庭を眺めてみた。高木、低木様々な木々に囲まれ、実際の敷地面積以上に広く感じる。森の中かと思うほど静かな雰囲気だ。

 こういうの、素敵だよなあ。

 ため息とともに深呼吸したところで、人影を見た。


「キクちゃん?」


 一瞬で庭の奥に消えてしまったが、キクではなかったか。おかっぱで黒いワンピースなんて、そうそう見かけないと思うけれど。

 すぐに家に戻ると、キクはちゃんと庭にいた。


「お帰りなさいませ」

「ただいま。……キクちゃんって、花壇の四兄弟みたいに同じ姿の人がいたりするの?」

「私の存在はひとつです」


 見間違いかな。

 キクと話すことには慣れた。花の精がいるというのも、とりあえず受け入れた。割り切りは良い方だ。

 割り切りは良くても達観はできない。だからこそ謎が生まれる。

 なぜ僕や誠に見える花の精がキクと四兄弟だけなのか。それこそ雑草の精はいないのか。

 なぜ家の外では見ないのか。実は気づいていないのか。……いや、いたら気づくだろう。きっと頭に変なモノを乗せている。

 あれ? でも、キクにはないな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る