第10話 バイト生活

 スーパーのバイトは、週二日なんとか続いていた。覚えることが多いし忙しくて大変でも、接客自体は楽しかった。

 顔なじみのお客様もできた。その一人が、誠の美魔女婆ちゃんだ。


「あら、一郎君なんだか元気がないわねえ。ちゃんと食べている? 今日お弁当作ってあげるから、今夜マコに持たせるわ。じゃあ、頑張ってね」


 レジ打ちするわずかな時間に用件を全部話して、婆ちゃんは颯爽と去って行った。相変わらずの存在感で、すれ違う人が振り返っている。

 元気がなさそうに見えたのなら気をつけよう。 確かに最近、授業のレポートが多くて疲れていた。お弁当をいただけるのは本当にありがたい。

 閉店までの仕事を終えて帰るところで、店長に呼び止められた。


「河西君、次の金曜日なんだけれど、朝は出られないかなあ。『金曜朝一特売日』なんだよ。もちろん、大学の授業が入っていなかったらでいいんだけど」

「あー……大丈夫です」


 全然大丈夫ではない。断れなかった。

 金曜日の午前中に授業は入っていないけれど、締め切り間近のレポートが終わっていない。やろうとしているはずなのに、気づけば別のことを考えて手が止まっている。これは断る理由にならない気がした。

 引き受けた以上さっさとレポートを片づければいいのに、全然進まない。

 布団のないこたつ机に突っ伏していると、外から砂利を踏む音がした。


「マコちゃん? 玄関開いているから、入ってよ」


 掃き出し窓を少し開けて網戸に顔を寄せ、見えない誠に声をかけた。特に返事もなく、誠は部屋まで上がって来た。


「マコちゃん、今日は中に入れたんだねえ」

「わざわざ来てやったのに、いきなりそれか。何度も雨が降っているうちに、除草剤の結界なんてとっくに流れて消えているんだよ」

「そうだったのかあ」


 僕は机に突っ伏したまま、気の抜けた返事をした。


「お前、もう夏バテか?」

「違う。梅雨バテ。最近雨が多いから。日に当たらないと調子が出ない」

「梅雨はこれからだぞ。だいたい何だよ、この散らかりようは」

「バイトが終わってからすぐにレポートを始めたけれど、終わらない。いつもはもう少しきれいにしている」


 話をするのも息をするのもおっくうなくらい、気力がなかった。


「とにかく、婆ちゃんに頼まれた弁当持って来たから。レポートの前にまず食っておけ」

「ありがとう。マコちゃんの婆ちゃんにもありがとうとお伝え下さい」

「おかげで生き長らえたと言っておく」


 弁当を机に置くと、誠は僕に背を向けた。


「……ねえマコちゃん。花の精って何だろう」


 引き留めるつもりはなかったけれど、つい誠に話しかけていた。


「菊のキクちゃんや花壇の四兄弟以外、僕は見たことがないよ。でも、この家には他の花も咲いているよね。散々引っこ抜いたけれど、雑草はどうなの? 強いとか弱いとか言っていたから、生命力みたいなものの差で精霊として出てくるの? もっとわからないのは、この家の木だよ。敷地に入ったところにアジサイとカナメがあるし、奥にはサカキ。あとツバキ、スオウ、サルスベリとか花の目立つ木がいっぱいあるのにそっちの精霊は出ない。何が違うんだろう」

「……お前、木には詳しいな」


 誠は足元に散らかる本を拾い始めた。


「……環境科学? 造園樹木学? 植物生態学? お前、そこの大学だったよな」

「うん。あ、言っていなかったっけ。僕、造園系の……」

「農学部か⁉︎ あんなに草花を知らないのに?」

「それ偏見。農学部だからって誰もが花に詳しいわけじゃないよ。まあ、これから勉強するけど……」


 手にした本を机の端に丁寧に積み上げた誠は、僕の頭をグシャグシャとなでまわした。


「食ったらちゃんとレポート終わらせろよ。そのまま寝るなよ」


 それだけ言うと、僕の質問には何も答えずに出て行った。

 はぐらかされたのかな……。

 キクや四兄弟と、他の草木とでは何が違うのだろう。

 僕は、寝落ち寸前の頭でぼんやりと考えていた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る