第8話 草取り

 暑い。梅雨前ってこんなに暑かったっけ?

 僕は庭の草取りをしている。土日の貴重な休みに、朝から汗だくで働いている。

 誠に言われたのは、先週だったか。


「お前、庭の雑草を放っておくと後で大変なことになるぞ」


 植物の成長は速い。見る間に庭が占領されていく。庭の手入れなんて考えずにこの家を借りた僕が甘かった。

 キクは、僕が雑草と菊の見分けがつかないことをよく知っているから、庭の端に生えている菊の前に陣取っている。こちらをにらんでいる気がしなくもない。怖い顔もかわいい。つい見とれて手が止まる。


「偉いな。頑張ってる頑張ってる」


 誠が差し入れの飲み物を持って、僕の様子を見に来た。


「マコちゃん、ちょっと手伝っていかない?」

「俺は管理人でも便利屋でもない」

「はいはい。わかっていますよ」


 誠はいっさい手伝うことはなかったけれど、暑いのに日陰に入るでもなく僕の作業を見続けていた。

 玄関脇の水道周りを終えて花壇の前に来たところで、手が止まる。困ったな。

 アガパンサス以外は既に花の時期を過ぎて葉だけになっている。それも雑草に埋もれて、どれが何の草花なのか僕には区別できない。


「キクに教えてもらえばいい」


 僕の後ろから覗いていた誠が言った。

 キクは横に来てそっと僕の手をつかむと、ひとつずつ葉を触らせていった。


「これはフリージアです。これはガーベラ。こちらがビオラ。それから、今咲いている花の周りの細長い葉がアガパンサスです」

「ありがとう」


 キクは僕が雑草を引き抜いていくことを気にする様子はない。

 ただいて、ただ消える。それだけなのだろう。

 雑草がなくなると、花壇には筒状の土の山がいくつかあることに気づいた。キクが触らせてくれた葉は、どれも山の上に生えていた。


「鉢植えだったものを適当に花壇に埋めたんだな。それだと浅過ぎて根が痛む」


 誠は不機嫌そうに言った。

 前の借主は、ガーデニングが趣味で花壇を作っていたわけではなかったのだろうか。


「マコちゃん、これどうしたらいい?せっかく生えているし、このまま花壇は残したいと思うんだけど」

「それなら、まず土寄せ……花壇全体が平らになるくらい土をかけて草の根をしっかり隠すんだ」

「それから?」

「フリージアはこれから夏のバカンスだ。熊の冬眠みたいなものだな。今は枯れた花を茎ごと取って、肥料と水やりで太らせておけ。夏は放っておけばいい。ガーベラも同じ扱いでいい。ビオラはずっと放っておけ。冬には全て枯れるから。どうせお前は手入れをしないだろうけれど、勝手に種が落ちて来年また花が咲くかもしれない」


 誠は一息に説明した。誠は花にやたらと詳しい。僕が驚いて振り返ると、「それから」ともう一言つけ加えた。


「アガパンサスはこれからが花の本番だから、咲き終わった花を茎ごと摘んでいけば長くもつぞ。って何だよ?」

「マコちゃん、すごく詳しいんだね」

「当たり前だろ。タンポポなんだから」

「えーっ、またそれ?」


 誠は笑っていたが、少し顔色が悪そうに見えた。


「マコちゃん、縁側のところ日陰になっているから休んでよ。立っているだけでも疲れるでしょ。僕も限界。休憩する」


 わかったと言って誠は素直に縁側に向かった。

 僕は素早く花壇の端の土をかき集めて草の根元を埋めると、ぽんぽんと叩いて土をならした。

 縁側に向かおうと立ち上がると、キクが近づいて来た。花壇を見て、それから僕を見て微笑む。


「良い環境は、嬉しいことです」

「フリージアたち、喜んでくれているってこと?」

「嬉しい、です。ありがとうは違います」

「……相変わらず難しいな。まあ、とにかく元気になるかな?」

「はい」


 元気でいてくれるなら、それでいい。花はお礼なんて言わない。

 ああ、そういう意味だったのかな。

 ちょっとスッキリして、水洗いした手を振りながら誠が休んでいる縁側に向かった。


「マコちゃんお疲れ。って、それ僕に差し入れじゃないの?」


 先に縁側で休んでいた誠は、持って来たペットボトルで頭を冷やしていた。


「お疲れ。冷え過ぎの水は体に良くないんだよ。ほら、丁度いいだろ」


 誠から水を渡されて、一気に飲んだ。


「……丁度いいよ」

「だろ?」


 誠の顔色が良くなっていることに安心する。具合が悪く見えたのは気のせいだったのか。


「マコちゃんって、見た目じゃなくて雰囲気が不健康なんだよなあ」

「あ?」

「あ、ごめん。思ったこと言っちゃった」


 なんだよそれ。そう言って笑う誠の銀色の髪がふわふわ揺れていた。


「マコちゃんの綿毛、きれいでかっこいいよね」

「お前はやるなよ。婆ちゃんたちが悲しむ」

「わかっているよ。どうせ似合わない」

「お前はそのまんまでいいんだよ。タンポポは一人でいい」


 ふと、同じ顔の四兄弟の姿が目に浮かんだ。この縁側で、僕も座って五人並んで庭を眺めた。シュールな光景だったよな。

 あえて思い出さないようにしてきたのに、触れずにいたのに、急に寂しさが溢れ出した。


「さっき花壇の土を盛ってポンポンってしたらさ、なんだかフリージアたちの肩を叩いている気分になった」

「そうか」

「花の精は消えたけれど、本体は残っていた。それって、フリージアたちはまだ存在しているってこと? ただの花に戻ったっていうこと? 全然わからないや」

「お前に見えていた四兄弟が消えた。それが全てだろ。ただ存在して、ただ消える。それだけだ」


 誠はキクと同じことを言った。


「そういうの、達観しているって言うの? 僕には無理だな。人の形のフリージアたちと本体って別の存在なのかなとか、見えないだけでまだちゃんといるのかなとか、ずっと考えちゃうよ」

「いくらでも考えろ。……この姿の俺も、タンポポだからそのうち消える」

「え?」


 誠はまた真顔で言うから、僕は嘘だと思いながらもモヤモヤした気持ちになる。冗談なら軽口でつきあえばいいだけなのに、何かが引っかかってそれができない。


「マコちゃんもさ、自分はただ存在してただ消えると思っているの? 僕、いきなり消えることになったら、あれもこれも心残りがあり過ぎて成仏できなさそうだよ」

「お前はちゃんと人間だからな」

「またそういうことを言う……。とにかく、マコちゃんがあっさり消えたら絶対寂しい。四兄弟がいなくなって、僕は寂しかった。ずっと怖かったのに。でも、消えたら寂しかったんだよ。薄くなっているのを見ただけで不安で、消えていくのも不安で、ただ縁側にいるだけの存在だったのに、寂しくなっちゃったんだよ」


 声に出したら、なんだかすっきりした。ずっとモヤモヤしていた落ち着かない気持ちが、寂しいせいだったのかと納得できた。

 誠は、僕がひとりで騒いでいるのを黙って見ていた。何を考えているのかわからない微かな笑顔が、キクによく似ていると思った。

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