17-2 分からねえ

「ぼくはこれからお肉を食べない。だから、シャモのお肉も肉汁うどんも、パンダくんにあげるよ」

「えっ、いいの? やったーっ。お肉大好きーっ」

 まーくんの分のお肉をもらえると聞いて、パンダくんは大喜び。

「どうした、お肉は苦手なのか」

 おばあちゃんは、まーくんの顔をのぞき込みます。

「ううん。ぼくはお肉が大好き。だけど、シャモはどうして人間に食べられるの。食べられるためだけに生まれてくるの。どうして人間は食べないと生きていけないの。どうして、何のために生き物は生まれてくるの。どうして生きなくてはいけないの」

 まーくんは、『よだかの星』のよだかを目に浮かべます。

 おばあちゃんはじっと目を閉じてしばらく下を向くと、静かに目を開けてまーくんを見つめました。

「分からねえ」

 まーくんの問いに対するおばあちゃんの答えは、とっても短いものでした。

「えーっ、それだけーっ。ズコーっ」

 パンダくんが頭を抱えて足踏みします。


「だども、まだまだ生きてえな。畑やって、シャモにえさやって、嫁とくり煮てお客さんの相手して。まかないふるまって。芝居しばい見てカラオケ行って。孫にひ孫連れて花火見て。寝て、起きて、畑やって。シャモにえさやって、せいちゃんのヤマメ池行って、それから」

 おばあちゃんの一つにまとめた白髪からほつれた毛が、一陣いちじんの風にふわりと揺れます。

 まーくんは麦わら帽子を左手でしっかりと押さえて、おばあちゃんの横顔を見ました。


「まーくんは本当にお肉を食べないの。まーくんがお肉大好きなの、ぼく知ってるよ」

 パンダくんが顔をかたむけてまーくんを見つめます。

「あのシャモさんは食べられるためだけに生まれてきたの。だったら、シャモさんを食べなかったらシャモさんは」

「そうか。ぼくはさっき見たあのシャモが絞められて、今夜のおかずになると思って心を痛めたのか。優しい心は大いに結構けっこう。だがいきなり肉をつなんて、無理な相談だ。ぼくは食べざかり育ちざかり。肉からしか取れない栄養もある」

「だからどうして、どうして人間は他から命を取らないと生きていけないの。どうして生きる必要があるの」

「考えたって仕方ねえ」

 おばあちゃんの答えは、またも短いものでした。

 まーくんはかわいた地面を黙って見つめます。



「人間は生き物だ。生まれた以上は生きる。死ぬまで生きる。うばって与えて、吸って吐いて、ケンカして仲直りして、ぐるぐる回って生きていく。それが生き物なら、そう生きるしかあるめえ」

 ぼくはケンカをしないし、うばわないよ。女子や下級生のランドセルだって持ってあげるし、あーちゃんのアサガオを片付ける手伝いだってしたよ。お皿もお部屋も片付けるし、知らない人にもありがとうって言うよ。

 だけどぼくは人間だ。ぼくは生き物だ。どうして食べるの。本当は生きるだけでうばっているの――。

 まーくんの視界が、水を張ったようにゆらゆらとれました。


「ねえねえおばあちゃん。それは答えになっていないよ。まーくんは、食べないと生きていけないのがつらくなったの。争わないと生きていけないのがつらくなったの。おばあちゃん、まーくんにちゃんと答えてあげてよ」

 パンダくんは、小さな体をめいいっぱい伸ばしておばあちゃんにたずねます。

「答えが無くては進めない。他人の答えをうのみにする。そいつは危ない。それがたとえ、親や先生の出した答えでも。えらい人ののこした言葉でも」

 おばあちゃんは首を横に振りました。


「道にいきなり飛び出したり、スピード運転や火遊びをしたり、子供だけで勝手に遠くに出かけたり。それで注意をされたならしたがうしかないよ。ぼくたちの身を守るために必要な知恵だからね。

 その一方で、家族でも意見がちがうのが自然なこともある。そもそも、家族だって、親子だって、生まれた時から一人一人が別の人間なのさ。それに、良かれと思って答えたことが、思ったように伝わらないなんてしょっちゅう。第一、どれだけ年をとっても分からない事だらけ。だから答えを無理にひねり出す必要はねえ。だが」

 いっぱいの涙をためるまーくんの目を、おばあちゃんはのぞき込みます。


「人間は動物だ。生き物だ。シャモやヤマメがミミズや虫を食べるように、人間はシャモやヤマメを食べる。どこまで行っても、生きる以上は食べる事から逃れられねえ。野菜を食べるにしたって似たようなものさ。だから、まずは分からねえなりに生きろ、食え。食わねば生きられぬ体なら、食うこと自体もまた生きる意味かもしれねえ」

 まーくんは、強い風で吹き飛ばされそうな麦わら帽子を左手に持ちました。


「でもそれは、ぼくの答えではねえ。答えの出ねえことはほったらかして、毎日笑って、食って、たくさん寝てたくさん遊ぶ。そうしておれば、ぼくだけの答えが、ぼくの生きる意味がひょいと見つかるかもしれねえ。長い人生の終わりになってようやく、ぼくの歩みそのものが生きる意味だったと気づくかもしれねえ。だから出ない答えに悩むひまはねえ。悩みに命の時間を明け渡すでねえ。とにかく、ごはんも人生も体で食べろ。頭だけで食うでねえ」

「人生を体で食べるって、ごはんを頭で食べるって。意味が分からないよ。おばあちゃん変なの」

 となりで聞いていたパンダくんが、げらげらと笑います。

「いずれ分かるさ」

 おばあちゃんは、パンダくんに向かってしわくちゃの顔を向けました。


「ぼくは育ちざかりの生き物だ。お野菜のようにお天道様てんとうさまをたっぷり浴びて、どっしりとお土様つちさまに根を張って、ずぶとく、ずうずうしく、肉も魚もお野菜も、しっかり食って大きくなれよ」

 おばあちゃんはしわだらけの手で、まーくんの頭をさすります。

 そのかさかさした手触りが施設しせつに入って会えなくなったおばあちゃんそっくりで、まーくんは思わず声を上げて泣きました。


「ぼくも同じだぞ。いつでも体の声を聞け。土のうたを聞け。お日様のにおいをかいで、雨に手をかざせ。言葉にならないものを無理やり言葉にするな。分からねえなら『分からねえ』そのものを、ただじっと見ろ」

 おばあちゃんはパンダくんの頭もなでました。

 まーくんにもパンダくんにも、おばあちゃんの言いたいことが分かりません。おばあちゃんも、分かってもらおうとは思っていないようです。


「悲しくなったら泣け。腹が立ったら怒れ。気が済んだら口のはじをにーっと上げえ。そうすりゃまた、面白おかしく暮らせるさ。食べるように出来た体だ。肉も魚もお野菜もしっかり食ってたっぷり寝ろ。分かったな」

 おばあちゃんにうなずくと、トウモロコシと麦わら帽子を両手に持ったまーくんは、パンダくんと並んで歩き出しました。三人分の影は、ポプラ並木なみきの影のように長く伸びていました。

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