お兄ちゃんとまーくん 

18 お兄ちゃんの夢

 まーくんたちがくりのケーキを食べている頃、八人乗りのワンボックスカーに乗り込んだお父さんとお兄ちゃん。

「まさか、『よだかの星』って名前のキャンプ場があるなんてね」

「まったく何であんな遠くに。パンダもパンダだよ。止めるどころか、いっしょになってあんな所まで。結局全員でむかえに行って、その上グランピングドームに一泊いっぱくするなんて。行き当たりばったりにもほどがある」

 さっきまで張りけそうな胸を抱えてまーくんを探し求めたお兄ちゃん。

 まーくんの無事が分かって、にくまれ口をたたく余裕が出たようです。


「今日は何が何でも、全員でまーくんをむかえに行ってきしめなくちゃ。それに、まーくんが大冒険だいぼうけんの果てにたどり着いた『よだかの星』を、お父さんはこの目で見てみたいんだ」

 電話越しにまーくんの声を聞き、まーくんの手紙を見たお父さんは、『よだかの星』に家族みんなで泊まる事にしたのです。



 診療しんりょう時間を終えてから電車で『よだかの星』に向かうお母さんを残して、ワンボックスカーは『よだかの星』目指して走り出します。

「お父さんはいつもまーくんにばっかり甘いんだから」

「お母さんと同じ事を言わないでよ。お父さんは、お兄ちゃんだって大切だよ」

 まーくんからの手紙を見たお父さんは、お兄ちゃんとまーくんの間に何があったのかを聞こうとはしませんでした。

 いつも通りにふるまうお父さんから、お兄ちゃんはふいっと目をそらします。


「結局パンダもまるの」

「パンダくんのお母さんから許可が出たから、子供は子供三人で、お父さんとお母さんは二人用のグランピングドームに泊まるつもりだよ」

「俺は子供じゃないし」

「だったらお父さんとお母さんと同じドームに泊まるかい。でもそっちの方がもっと嫌でしょ」

 お兄ちゃんは無言でうなずきました。


「お兄ちゃんだって中学受験ちゅうがくじゅけんの勉強で頭がパンパンだろうから、いい気晴らしになるだろうし」

「気晴らしなんて余裕は無い。お父さんと同じ中学を受けるには、じゅくのトップにならないと」

 お兄ちゃんはお父さんの言う通り、頭がパンパンを通り越してパツンパツンになっているみたいです。


「それはお母さんの受け売りでしょ。小学校の頃から、自分を追い込んで結果を出す人だからね。お父さんはのんびりしているくせに要領ようりょうだけは良すぎるって、小三で同じクラスになった時から言われ続けたよ。否定ひていは出来ないね」

「お母さんって小学校の頃からあんな感じだったの」

「うん。生徒会長で卒業式総代そうだいだもの。成績だっていつも一番だったし、とにかく負けず嫌いだったね。女子中高に行ったからその間は良く知らないけれど、そこでもずっと首席しゅせきで卒業式総代そうだいだったんだって」

つかれる生き方だな」

 お兄ちゃんがおもわずぼそりとつぶやくと、お父さんは苦笑いをしました。


「お母さん自身も何とか変わりたいと思っている。小さい頃の自分自身とお兄ちゃんやまーくんを比べてしまう自分を、おっとりしたまーくんにきつく当たってしまう自分を、お母さんはとてもめている。まーくんがとても優しくて気立ての良い子なのは、お母さんだって分かっているんだよ」

 それでも、長年しみついた行動や考え方を変えるのは苦しそうだと、お父さんはため息をつきました。


「お母さんは完璧主義かんぺきしゅぎでせっかちで、三歩先さんぽさきが見えてしまう。だから、まーくんやお父さんのようなのんびり屋には、イライラしてつい当たる。でも、お母さんはお兄ちゃんにまーくんをとても愛している。本当だよ。お母さんの事で怒ったり文句を言っても良いけれど、それだけは信じて」

 お父さんは、まーくんに良く似たまあるいお鼻を左手で軽くこすりました。


「だからと言って、お母さんの顔色をうかがって、自分を押し殺してはいけない。顔色をうかがうくせをつけると、他人に合わせる生き方に慣れると、いつの間にか他人の世界に飲み込まれる。子分になる。他人の人生を生きて死ぬ羽目はめになる。生きていてちっとも楽しくない。それはとてもつらい。本人も、周りも」

 うちの診療所しんりょうじょにもそれで苦しむ人たちが来ると、お父さんはぽつりとつぶやきます。


「それで、お兄ちゃんは大きくなったら何になりたいのかな」

「お父さんのお父さんもお母さんのお父さんも、お父さんもお母さんも医者だから、医者以外に思い浮ぶわけが無い。俺は長男だし、まーくんはあんな感じだし」

「お父さんは、お兄ちゃんにもまーくんにも診療所しんりょうじょを継がせようとは思わない。本当にぎたいなら継げばいいけれど大変だよ。それに、お医者さんになりたいならなればいいけれど、なれとは言わないよ」

 ハンドルを右に切ったお父さんは、しばらく無言で車を走らせます。


「お医者さん以外なら何になってみたい。お兄ちゃんの夢は」

 夢を問われたお兄ちゃんは、しらけ顔でお父さんの横顔をちらりと見ました。

 夢なんて、子供部屋をはなれるときに全部てて来たのですから。

 夢を見ることが許されるのは、子供時代だけなのですから。

 お兄ちゃんは、子供の自分にさよならをして今ここにいるのですから。


「世界を飛び回るのはいやだし、人に気をつかうのも嫌だし、それから物を売るのも嫌だ。あと嫌なのは」

「ちょっと待った。嫌なことじゃなくて、夢を聞いているの」

「とりあえずお父さんの出身中学に受かる」

「そうじゃなくて。聞き方を変えよう。お兄ちゃんの好きなものは」

「別に」

 お父さんは、困ったねと言いながら耳の後ろをぼりぼりとかきました。

 そのしぐさがまーくんにあまりにそっくりだったので、お兄ちゃんは思わずふふっと笑います。


「受験するって決めたのは俺だから、たくさん勉強してちゃんと合格ごうかくするから」

「受験までには後一年以上あるからそんなに必死にならなくても。大丈夫。お兄ちゃんはとても頭が良い子だよ」

「そんなことは無い。俺はお父さんやお母さんみたいに頭が良くないから、いっぱい勉強しないと落ちこぼれる」

 それまでどこか面倒めんどうそうに受け答えをしていたお兄ちゃんが、急に大きな声を出しました。


「そうかな。お兄ちゃんは頭が良くて器用で、アイデアマンじゃないか。お兄ちゃんの工作や夏休みの自由研究の内容は、お父さんにはどうやっても思いつかないよ」

「で、受験すれば良いの、止めたほうが良いの。どっち」

「お父さんが言いたいのはそこじゃなくて、えっと。言葉って難しいな」

 お父さんがうっすらお肉の付いたあごをさすってため息をつくと、お兄ちゃんは車の行列に目を向けました。

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