8 見知らぬ街の大人たち

「あー、いたいた。おーい、そこの自転車を押しているぼく。長門ながとさんから話は聞いたよ」

 『服部はっとりサイクル』としるされた赤いつなぎを着たおばさんが、大きな声でまーくんを呼びました。

長門ながとさんって」

「そのメモを書いてくれた農家のおじさんだよ。この暑いのに子供一人で歩かせるのも心配だから」

 おばさんは、まーくんにペットボトルとキンキンに冷えたおしぼりを渡すと、代わりに自転車を押し始めました。



「こりゃ思ったよりかなりひどいね」

 店の奥から出てきた服部はっとりサイクルのおじさんは、顔をしかめてまーくんの自転車を見回しました。

「予約のお客さんの修理しゅうりが立て込んでいるから、明日取りに来てもらっても良い。どんなに急いでも今日の午後五時を過ぎるなあ」

「明日ですか」

 よだかの星になりに行くまーくんに、自転車屋さんに戻る明日などありません。星は空の上でかがやくと言うのに、どうして自転車を取りに来られましょう。

 それでも、自転車が大けがをしているのに直して上げないのはひどい。そう思ったまーくんは、自転車をおじさんにあずけました。


「分かりました。お金はこれで足りますか。それから、ぼくは友達とおがみじま駅で待ち合わせをしているから、急いで行かなくちゃ。自転車を貸してもらうことはできますか」

 まーくんは、ペットボトルの貯金箱ちょきんばこをおじさんに差し出しました。


「ちょっとこのお金はもらえないな。自転車は今夜六時ごろか明日以降いこうに、出来ればおうちの人と引き取りにおいで。お代はその時にもらうからね。それにしたって、こんな暑い中をおがみじま駅まで自転車で。そりゃ無理だよ」

 おじさんはペットボトルの貯金箱をまーくんに返すと、首を横に振りました。

「おがみじま駅はここよりずっと西よ。近くからおがみじま駅行きのバスが出ているから、バスで行きなさい。自転車はちゃんと直しておくからね」

 おばさんも、おがみじま駅に自転車で行くのに反対します。


あずかりひょうに、名前と住所と電話番号を書いてね」

 まーくんは、あずかり票と書かれた紙にペンを走らせました。

「お水と塩あめを持っていきなさい。それから暑くなったら首の後ろにこれを当てるのよ」

 おばさんは、冷たい水の入ったペットボトルと塩あめに、冷たいおしぼりの入った袋をまーくんに持たせます。

「これはうちの子のお古だけど、かぶらないよりはマシだから」

 おじさんは麦わら帽子をまーくんにかぶせます。

「おがみじま駅が終点だからね。ちゃんとこまめにお水を飲むのよ」

 おばさんはバス停までまーくんを見送ると、バスの運賃うんちんをまーくんに渡しました。



 おばさんにお礼を言ってバスに乗り込んだまーくんは、見た事のない景色けしきに夢中です。

 まーくんのおうちの近くと似ているようで、でもちょっと違います。一つ一つの建物が、なんだかとっても大きく思えます。

 広い通りの両側には、まーくんの顔ぐらいに大きな葉っぱをつけた木々が、腕をのばすように広がっています。お菓子かし工場の近くでは、見た事も無いような車が出たり入ったりしています。

「パンダくんならあの車の名前が分かるかな。運転席はトラックみたい。だけどトラックじゃないものなあ」

 まーくんは、薬のカプセルのような形をした銀色の車をじっと見ました。


「ありがとうございました」

 運転手さんにお礼を言っておがみじま駅でバスを降りたまーくんは、きょろきょろとパンダくんを探します。

 おがみじま駅は、まーくんが思っていたよりずっと大きな駅でした。

 人もたくさんいます。

「絶対先に着いているはずなのに。もしかしたら駅の中にいるのかな。それとも先に行っちゃったのかな」

 おがみじま駅の階段を登ると、たくさんの人がいそがしそうに行き来しています。

 お菓子やハンバーガーの看板かんばんに、おそばを食べたきり何も食べていないまーくんはおなかをきゅるると鳴らしてしまいます。


「パンダくん、どこにいるの」

 おなかが空いた上に、一人で電車に乗った事のないまーくんは急に不安になりました。

 ペットボトルの貯金箱とお気に入りのバスタオルををぬいぐるみのように抱きかかえたまーくんを、大人たちがちらりちらりと見ながら歩き去っていきます。


「パンダくんに電話をしてみよう」

 ポシェットの中の十円玉をさぐると、十円玉が消えていました。まーくんは十円玉を募金箱ぼきんばこに入れたことを、すっかり忘れていたのです。

 まーくんは緑色の公衆電話こうしゅうでんわを探すと、ペットボトルの貯金箱ちょきんばこから十円玉を取り出そうとしました。

 そのとたん。

 じゃりじゃりじゃりーんっと大きな音を立てて、お金が床に転がっていきます。大人のスニーカーや革靴かわぐつが、それと気づかずまーくんのお金をんづけていきます。

 大人ってこんなに大きかったっけ――。

 しゃがみこんだ目線から見る大人の足は大きくて、まーくんは自分が踏みつぶされてしまいそうな気持ちになりました。


「はい、気をつけて」

 しゃがむまーくんの目に、十円玉や五円玉の乗った手が差し出されます。

 駅にいたおじさんやお兄さん、お姉さんにおばさんがまーくんのお金をひろってくれました。

「ありがとうございます」

 まーくんは、土ぼこりだらけになった手で、大事そうにお金を受け取ります。

「そのペットボトルに入れたら、またお金をこぼしちゃうよ。これを上げるから使って」

 リュックを背負せおったスーツ姿のおじさんが、お弁当袋をまーくんに渡します。

 その袋には、お父さんが子供のころに好きだった漫画まんがのキャラクターがプリントされていました。数えきれないほど洗ったからか、くたくたで色あせてしまっています。

「ありがとうございます」

 それでもまーくんはお弁当の袋を大事そうに受け取って、きっと二度と会う事のないおじさんにお礼を言いました。

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