13 おねしょマンからの手紙

 お兄ちゃんが子供時代に別れを告げたあの日から三週間。

 まーくんが一人で使っている子供部屋は、お兄ちゃんが思った以上に片付いています。

「こんな物の何が楽しかったんだ」

 パンダ君と三人で笑い転げながら作ったうんこなぞなぞパズル。変身ベルト。モンスター図鑑ずかんに乗り物図鑑。

 お兄ちゃんの宝物がぎっしり詰まった本棚ほんだなの上で、お兄ちゃんの宝物が夏の日差しをさんさんと浴びています。それらの宝物も、今となってはどれもこれもゴミにしか見えませんでした。


「あれ、貯金箱ちょきんばこがない。買い食い用に持って出たか。いやまさかあのけったいでぼろぼろの貯金箱ちょきんばこごと持ち歩くなんてそんな。いや、あいつならやりかねないか」

 あらためて部屋を見渡すと、机の上には宮沢賢治みやざわけんじの童話集が置いてありました。

「あいつは本当に『よだかの星』が好きだよな。あれだけ読めば普通はきるぞ」

 あきれ半分で童話集を手に取ると、開きぐせの付いた『よだかの星』のページから水色の紙が転がり落ちました。


【お父さん 今までありがとうございました。 お母さんお兄ちゃん おねしょをして、外で勝手におそばを食べて、悪い子でごめんなさい。ぼくはよだかの星になります。どうぞ、みんなお元気で】


 『よだかの星』のページから転がり落ちた水色の紙。

 それは、まーくんがあおぞらレストランのチラシの裏に書いた手紙でした。

 まーくんお気に入りの水性ペンで書かれたそれは、ところどころが涙でにじんでいます。


 まーくんの置き手紙を見たとたん、お兄ちゃんはふるえながら形の良いくちびるをかみしめます。そのたかのようにすずやかな瞳は真っ赤に染まり、まーくんが水性ペンで書いた手紙が、一文字、また一文字とにじんでいきました。

 お兄ちゃんは手紙の裏のチラシに目を通すと、子供部屋を飛び出しました。

「どうしたの?!」

 後ろからお父さんの声が聞こえますが、お兄ちゃんは振り向きません。

「待ちなさい」

 玄関を飛び出したお兄ちゃんを追いかけようとしたお父さんはしかし、一本の電話に引きめられました。




 お兄ちゃんは通りの向かい側にあるみっちゃんそばに向かって、まーくんの置き手紙をにぎりしめて走ります。

 『みっちゃん印のおそばとたまご』ののぼりも、『みっちゃんそば』とかれたのれんもしまわれています。店の入り口にあるタヌキの置物おきものには、定休日ていきゅうびふだが下がっていました。


「車はあるから、家にいるはずだ」

 お兄ちゃんはドアホンを何度も押します。

「頼む、出てきてくれ」

 さらにドアホンを押しますが反応はありません。

 お兄ちゃんはスマホを取り出すと、看板かんばんに書かれた電話番号に電話を入れました。

「表がやけにさわがしいと思ったら、若先生の所のお兄ちゃんじゃないか。どうした」

 電話はつながりませんでしたが、キッチンカーの奥からみっちゃんそばのおじさんが顔を出しました。


「うちの弟が家出を。今日の午前中に、あおぞらレストランでみっちゃんそばさんのそばを食べたそうです。変わった様子はありませんでしたか。何か聞いていませんか」

 お兄ちゃんは、まーくんの置き手紙をみっちゃんそばのおじさんに突き付けます。


【お父さん 今までありがとうございました。 お母さんお兄ちゃん おねしょをして、外で勝手におそばを食べて、悪い子でごめんなさい。ぼくはよだかの星になります。どうぞ、みんなお元気で】

 あおぞらレストランのチラシの裏に書かれたメッセージを見たおじさんは、あちゃーっと言いながら、ニワトリのとさかのように赤い髪をかきました。


「まーくんはおねしょが再発してかなり悩んでいるようだね。お兄ちゃんはまーくんの事をおねしょマンって呼んでいるそうじゃないか。冗談じょうだんだとしても本当に良くないよ。まーくんは見ていられないぐらいに傷ついて、かわいそうだった」

 みっちゃんそばのおじさんにたしなめられて、お兄ちゃんはバツが悪そうにうつむきます。


「それでまーくんが『よだかの星』の話をしていたから、若先生とあき子先生にお兄ちゃんと、みんなで行くと良いと思って紹介しょうかいしたんだよ。みんなで行けって言ったんだよ。まさか一人で行くとは」

「何を紹介したと」

「いや、まさか。よもやあんな遠くに一人で行くわけは」

「あんな遠くってどこですか」

 食いつかんばかりにお兄ちゃんがたずねると、みっちゃんそばのおじさんはスマホをしりポケットから取り出しました。

「子供が一人でそんなばかな。ありえないとは思うけれど、聞いてみるか」

 みっちゃんそばのおじさんがスマホを操作そうさしていると、お兄ちゃんを追ってお父さんが走って来ました。


「まーくんはおがみじま駅に行ったそうだ。自転車がパンクして、鶴巻市つるまきしの自転車屋さんで修理しゅうりをした。さっき自転車屋さんから連絡があった」

「まさか自転車でおがみじま駅に行くつもりだったのか。そもそも、どうしてあいつはそんな遠くに行ったんだ」

「友達とおがみじま駅で待ち合わせをしていると言っていたらしい。多分その友達がパンダくんだとは思うけれど」

 大声を上げたお兄ちゃんに、お父さんは首を横に振ります。


「おがみじま駅にパンダくんと行ったとなれば、やっぱりあそこしかない。申し訳ありません。坊ちゃんの行き先には心当たりがあるので、すぐに連絡を入れます」

 みっちゃんそばのおじさんが、まーくんの手紙をお父さんに渡しながら頭を深く下げました。

「だからどこに行けって」

「『よだかの星』に」

「へっ」

 お兄ちゃんがたまごをくわえたような顔をしているうちに、みっちゃんそばのおじさんのスマホが、メタルギターの音をたてました。

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