11 失踪(しっそう)

 パンダくんを乗せた電車が、おがみじま駅を出発したころ

「お兄ちゃん、まーくんがいないのよ。自転車もないし。どこに行ったか分かる」

 中学受験の問題集を解いていたお兄ちゃんは、どたどたと階段をけ上がるお母さんの足音に顔をしかめます。

「いや」

「どこに行っちゃったのかしら。すぐ勝手に出歩いて。本当に誰かさんにそっくり」

 お母さんはお父さんの顔を思い浮かべながら、薄いくちびるをへの字に曲げます。

「昼食前はパンダの家に行っていた」

「だったら連絡を入れてみて」

 お兄ちゃんが連絡を入れるも、パンダくんはスマホを途中で落としたまま。当然、返信が来るわけがありません。


「五分待っても連絡が無いなんて。パンダくんのお母さんのスマホにも連絡は入れてみたけれどつながらないし。もしかしたらプールに行ったのかしらね。プールにはスマホは持って入れないし」

 お母さんは細いまゆ毛をつりあげて、窓の外を見ます。窓からはパンダくんの家のガレージを見えますが、愛車パンダ号が見当たりません。

「あれほど出かけるときは必ず行き先を教えなさいって言っているのに。本当にお母さんの言う事を聞かなくて困ったわ。お父さんがもうすぐ往診おうしんから戻るはずだから、伝えておいて」

 お母さんはせまいおでこに手をあててため息をつくと、何度も時計を見てから診療所しんりょうじょに戻っていきました。



「それで、まーくんはいつごろ家を出て行ったの」

 お母さんと入れ違いに家に戻って来たお父さんは、ちらりと腕時計を見ます。

「少なくとも十二時ちょっと前には家にいた。その後は良く分からない」

「お母さんの言うようにプールに行っているなら、水着は持っていくはずだけど。お兄ちゃん、ちょっと悪いけどパンダくんの家に行って来て」

 お父さんはそう言うと、まーくんの水着や体操服が入った引き出しを調べに行きました。


「電話もインターフォンも応答がない。パンダくんの自転車もない。まーくんの水着もスイムキャップも置きっぱなし。となると、二人で公園か図書館に行ったかな。暑いから公園にはいないと思うけど。そうだな、図書館に電話をしてみるか」

 お兄ちゃんからの報告を聞くと、お父さんは図書館に問い合わせの電話を入れますが――。


「呼び出しをしても反応はないそうだ。駐輪場ちゅうりんじょうも見てもらったけれど、二人の自転車も見当たらない。お腹が空いた頃だから、帰って来ても良さそうなものだが。もしかして、お兄ちゃんの知り合いの家に遊びに行っていないかな」

「俺と共通の友達は、パンダぐらいのはずだけど」

「お兄ちゃんの友達の弟や妹が、まーくんを見かけないとは限らないじゃないか。ちょっと聞いてみてよ」

 お兄ちゃんは友達数人にまーくんを見かけたら連絡を入れてほしいと頼むと、お茶をコップに入れて二階へと戻ろうとしました。

 その時、家の電話がのんきな着信音を立てました。


「パンダくんのお母さんからだった」

 受話器を置いたお父さんは、重い病気にかかった患者かんじゃさんをた後のような顔をしていました。

「スマホの位置情報が鶴巻市つるまきしを指したままだそうだ。もしかして、二人は鶴巻市に行ったのかもしれない」

 でもあんな遠くまで自転車で行けるものかと、お父さんはスマホの地図を見ながら難しげな顔をします。


「友達の家に自転車で遊びに行って、家の人の車で鶴巻つるまきのアウトレットモールに行ったか。そうだったら安心だがね。お昼にまーくんを見た時に、何か変わった所はなかったかい」

 ため息をついたお父さんは、しばし動きを止めた後に顔を上げました。

「外でそばを食べてきたからいらないって」

 それきり、お兄ちゃんはお父さんから逃げ出すように子供部屋へと足を向けました。

 おそばを食べようとしないまーくんに向かって投げつけた言葉を、お父さんにはどうしても知られたくなかったからです。

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