6 おねしょマン 旅に出る

「パンダくんのお父さんは、今どのあたりにいるのかな」

 公園から戻ってパンダくんの家のリビングに入ると、大きな世界地図と世界海図せかいかいずがまーくんをむかえ入れました。

「多分マラッカ海峡かいきょうあたりだよ」

 パンダくんのお父さんは、ペルシャわんから日本へ、タンカーと呼ばれるそれはそれは大きな船で原油げんゆを運ぶお仕事をしています。

 少し日に焼けた世界地図と世界海図は、お父さんの居場所いばしょがパンダくんにもすぐに分かるようにとられているのです。


「さて問題。まーくん、マラッカ海峡かいきょうはどこにあるでしょう」

 まーくんはマラッカ海峡の場所を正しく指さしました。

「はい正解。父ちゃんの知り合いが海賊かいぞくおそわれそうになった所だよ」

 パンダくんはおふざけが大好きでお友達がいっぱい。だけどお父さんが数か月に一回のお休みになると、お友達そっちのけでお父さんにべったりです。

 とても大変で危険な仕事だと知ってからはなおの事、お父さんのそばをはなれようとはしません。


「マラッカ海峡かいきょうはね、世界中の船が集まっている上にせまくて浅いから、本当に気を付けなくちゃいけないよ」

 パンダくんは、お父さんからの受け売りの知識ちしきをまーくんに聞かせます。

「ここがマラッカ海峡ね。ここがシンガポールで、ここがクアラルンプール。クアラルンプールはマレーシアの首都しゅとだよ」

 パンダくんは先生になったかのように、世界地図をつぎつぎと指さしました。

「ではペルシャわんはどこでしょう。はいまーくん、答えて」

「ここ」

 まーくんは、正しい位置を指さしました。パンダくんはお父さんの話になるたびにまーくんに説明をするのですから、場所も地名もすっかり覚えているのです。

 こうしてパンダくんによる社会の授業を受け終えたまーくんは、算数ドリルを手に取りました


文章題ぶんしょうだいってかんたんだよ」

「うん。お兄ちゃんもそう言うけど」

 算数ドリルを前にため息をつくまーくんに向かって、パンダくんは事もなげに言います。しかし、まーくんの頭はまるで働きません。

『お母さんはまーくんがだいっ嫌い』

 まーくんの頭の中には、子供部屋で泣きじゃくるお母さんの姿がぐるぐる回っているのです。


「パンダくんあのね。ぼく、お母さんにだいっ嫌いって、ダメな子って言われたの。お兄ちゃんだけじゃなくて、お母さんにまで嫌われちゃったら、おうちにはいられないよ。どうしよう」

「だったらうちに住めば」

「そんなのお母さんが許さないよ」

 まーくんがひざに顔をうずめてため息をつくと、パンダ君のスマホがピカリと光りました。

「お兄ちゃんからだよ。お昼ごはんが出来たから帰れだって」

「さっきおそばを食べたばかりだよ」

「でも帰らないと。お兄ちゃんとあき子先生にもっと嫌われるよ」

 パンダ君の一言で、まーくんはパンダくんの家を後にしました。



 まーくんが不安げに玄関をそっと開けると、お兄ちゃんが仁王立におうだちでまーくんを待っていました。

「今日はお父さんが往診おうしんで、お母さんは急患きゅうかんが来たから俺が作った。とっとと食って皿洗いは自分でしろ」

 お兄ちゃんが作ったのは、ごろごろとした白ネギが乗ったかけそばでした。

 そばのおつゆは温泉のようににごっていて、白ねぎはまーくんの親指ほどの大きさです。

「お腹がいっぱいなの。さっきおそばを食べてきた。みっちゃんそばのおじさんがいたの」

 まーくんは、あおぞらレストランのチラシをお兄ちゃんに見せました。

「勝手に外で食べるなって前も怒られただろ」

「だってパンダくんが」

「あいつは休みの日にお母さんがパートに出る時は、みっちゃんそばに行くことになっているの。全く、おねしょマンはこれだから」

「ぼくはおねしょマンじゃない。お兄ちゃんの弟なの」

 まーくんは胸の真ん中がぎゅっと痛くなって、よだかのようにさけびます。

「俺の弟は勝手に買い食いなんかしない。うそもつかない。お前なんか弟じゃない」

 お兄ちゃんは、まーくんに目もあわせずにつぶやくと、まーくんの分までおそばを無言で食べ始めました。



 結局お兄ちゃんを怒らせてしまったまーくんは、あおぞらレストランのチラシを持って子供部屋に戻りました。

「またお兄ちゃんに嫌われちゃった」

 まーくんは目を赤くはらしながら、宮沢賢治みやざわけんじの童話集を手にします。

 ぼろぼろになった背表紙せびょうしには、星柄のテープが張ってあります。そのテープも、工作が得意なお兄ちゃんがったもの。

 まーくんは小さな声で『よだかの星』を読み始めました。


「ぼくは、よだかだ。お兄ちゃんに嫌われたぼくは、もうどこにもいられない。ぼくもあのよだかのように、お星さまになろう」

 鼻をぐずぐずと鳴らしながら本を閉じたまーくんは、あおぞらレストランのチラシのうらに手紙を書きはじめました。


【お父さん 今までありがとうございました。お母さんお兄ちゃん おねしょをして、外で勝手におそばを食べて、悪い子でごめんなさい。ぼくはよだかの星になります。どうぞ、みんなお元気で】


 お気に入りの水性すいせいペンで書いているうちに、まーくんの手紙にぽたり、ぽたりと涙が落ちてにじみます。

 宮沢賢治みやざわけんじの童話集に手紙をはさむと、まーくんは無言で部屋を見渡しました。

「さよなら、お父さん、お母さん。さよなら、お兄ちゃん」

 まーくんは、お兄ちゃんが作ってくれたペットボトルの貯金箱ちょきんばことお気に入りのバスタオルを抱えて、子供部屋を後にします。

「さよなら、ぼくの家」

 そして九年間を過ごした家にもさよならを言うと、ポシェットから自転車の鍵を取り出して『よだかの星』へと旅立ったのです。

 朝にはあんなに青かった空は、うす灰色に変わっていました。



 自転車用のヘルメットをしっかりかぶったまーくん。

 家の門を出た所で、パンダくんがガレージから顔を出しました。

「宿題はもう良いの」

「うん。ぼくは『よだかの星』に行くことにしたの」

「えっ、ぼくも行く。おいでまーくん。作戦会議さくせんかいぎをするよ」

 パンダくんはぱっと顔をかがやかせると、まーくんを再び家に上げました。


「ここがにったか市で、『よだかの星』はこのあたり。だから、おがみじま駅まで自転車で行ってから電車に乗るよ」

 パンダくんはお母さんの道路地図を広げると、おがみじま駅を指しました。

「おがみじま駅は角の並木道なみきみちをまっすぐ西に行って、五十日ごとうび通りに合流ごうりゅうしてまっすぐ進めばつくからね。楽勝だよ」

「にったか市まで自転車で行くわけにはいかないの」

「行けなくはないけれど、着くのが夜になっちゃうよ。だから電車ね」

 小四のお兄さんらしく、パンダくんは自信満々でまーくんに告げました。


「母ちゃんがパートから戻って来るまでに帰らなくっちゃ。まーくん、急いで」

 パンダの顔に見えるようにカスタマイズした白ヘルメットをかぶると、パンダくんは愛車・パンダ号にまたがります。

「まーくん、電車代はあるの」

「足りるかな。やっぱり自転車で行っちゃだめかな」

 まーくんは、ペットボトルの貯金箱ちょきんばこをがしゃがしゃと鳴らして五百円玉を探します。

交通系こうつうけいカードは持っていないの」

「これのこと」

 ポシェットの中を探したまーくんは、お母さんから渡されたまま使った事の無いカードを取り出しました。

「そう、それ。まーくんは電車に乗った事が無いの」

「うん。遠くに行くときは車だし」

「分かった。だったらぼくが先に行くからついて来て。『パンダ号おがみじま駅行き、出発進行!』」

 指さし確認を終えて、七段変速ななだんへんそくギア付きの二十インチ自転車をこぎ出したパンダくん。

 十八インチ自転車でパンダくんの後ろに続いたまーくん。

 二人は西へまっすぐ伸びる細い並木道なみきみちを目指して、走り出しました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る