明日の決戦に向けて

 第一ブロックの勝者として準決勝を勝ち抜いて決勝に進んだヨミは、電脳世界から現実世界に戻ってきて、魔王と呼ばれ始めた吸血鬼の少女から詩乃に戻る。

 そのすぐ後にのえるから、これから詩乃の部屋に行くと言うメッセージが届いてどきりと心臓を跳ねさせながら期待に胸を膨らませ、普段から掃除や片づけをしていて片付いているが、女の子が来るからとなるべく音を立てずに部屋の中を歩き回ってほんの少しでもものをどかす。


 少しして、呼び鈴を押すわけにも行かないと思ったらしいのえるが再びメッセージを送ってきたので、足音を立てずに階段を降りて玄関まで迎えに行く。

 そっと扉を開けると、ネグリジェの上に薄手のカーディガンを羽織ったのえるが、ほんのりと頬を赤くしながら立っていた。


「お、お邪魔します……」

「ど、どうぞ……」


 別にやましいこともやらしいこともするわけじゃないのにお互い変に緊張してしまい、ぎくしゃくしながらのえるを家に招き入れる。

 その際、いつものえるの方から指を絡めて繋ぐいわゆる恋人繋ぎをしてくるので、たまには先手を取ってやると詩乃の方から恋人繋ぎをする。

 やってみて分かったが、手の密着度が普通に繋ぐのと全然違って自分からやるとものすごく恥ずかしい。


「おばさんには言った?」

「も、もちろん。あ、詩乃ちゃんが吸血鬼になったのは言ってないからね。空にも口止めしてるから」

「流石に言っても信じてはくれないでしょ。今時科学が発展して、幽霊とかそういうのって否定されてるんだしさ」

「その幽霊サイドでもある吸血鬼が、今目の前にいるんだけどね」

「この科学の時代に吸血鬼って、何なんだろうね」


 ひそひそと声量を抑えながら会話して階段を上り、詩乃の部屋に着く。

 扉を開けてのえるを先に部屋に入れてから、詩乃が彼女に続いて部屋に入って扉を閉める。


「ひゃっ。い、いきなり抱き着かないでよ」

「ごめん。でも、なんか、こう……こうしたくなった」

「……最近、スキンシップがちょっと積極的で大胆になって来たね」


 カーディガンを脱いだ時のしゅるりという衣擦れの音が、そういうムードでもシチュエーションでもないのにやけに扇情的に聞こえてしまい、果てしない禁欲によって押さえつけられている性欲と血を吸いたいと言うほんのちょっとの衝動が混ざり合って、後ろからぎゅっと抱き着いた。

 彼女の細くくびれつつも柔らかさのある腰に腕を回し、背中に顔を埋める。お風呂はとっくに済ませているはずだろうに、のえるからはくらくらするほどいい匂いがする。


 やっとわかったが、五感も結構強くなっているみたいだ。前よりも物がはっきり見えるようになっているし、小さな音もよく拾うようになり、血の甘さを味わうためなのか味覚も鋭くなったし、皮膚の感覚も鋭敏になって嗅覚も鋭くなった。

 味覚、視覚、聴覚はともかく、触覚と嗅覚が鋭くなったのは嬉しくもありちょっと勘弁してほしくもある。何しろ、まだ上手く吸血鬼としての欲を抑えきれていない今の状態でのえるが近くにいるといい匂いがして落ち着かないし、触覚が敏感になったからお風呂で洗ってもらう時にやけにこそばゆく感じるようになったのだ。

 なんか色んな意味でよくないほうに体が変化しているのではないかと不安になるが、仮にのえるに変ないたずらをされても怪力で持ち上げたり引き剥がせたりできるので、逃げ道はある。


「……ベッド、行く?」

「い、言い方っ。そういうんじゃないんだから」


 ぱっと腰に回していた腕を離してのえるの顔を見ると、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。

 分かっててやっていたなと悔しくなってほほをぷくっと膨らませて、少し強引に腕を掴んでベッドの縁に座らせて詩乃は彼女の太ももの上に座る。


 超至近距離でのえると目が合い、焦げ茶色の綺麗な瞳に自分の姿が反射しているのが見えて、パッと目を逸らす。

 ぱっちりとした二重瞼に長いまつ毛。きめの細かい肌などがよく見えて、ドキドキと心臓が早鐘を打つ。


 ───あれ、今この状況って結構危ないのでは?


 そう思ったのは、のえるに正面から抱き着いて右の首筋に唇を触れさせた時だった。

 しかしもうここまで来て止まれないので、唇を触れさせながら舌で肌をくすぐるように舐める。


「ん……くすぐったいよ……」


 焦らすように、くすぐる様に首筋を湿らせているとぴくりとのえるが体を小さく振るわせる。

 これ以上耳元でのえるの声や吐息を聞くのは理性が消し飛んでしまう危険があると感じ、左側の上の牙をちくりと刺してほんの少しだけ血を滲ませて、それを舌で舐め取る。

 本当に小さな傷だったので、傷の再生促進効果のある唾液が塗られたのですぐに塞がってしまったが、ほんの一滴だけでも体や頭の奥がジンと熱くなるような甘美さを享受する。

 それはそれとして、やっぱりちょっと噛みつきたくなったので、牙が入らない程度に甘噛みする。


「なんか、吸血鬼になってからすごく甘えんぼさんになったね」


 とても優しい声で、梳かすように頭を撫でながら囁くのえる。

 確かに、こうなってから連日こうして抱き着いて匂いを嗅いだり、甘えたりしている。

 恋人でもないのに何をやっているのだと後から羞恥心が湧き上がってきて、ただ甘噛みしているだけからはむはむと小さく口を動かす。


「ねえ詩乃ちゃん。明日、優勝できるかな」


 一分二分と甘噛みしたまま動かずにいると、少し不安さをにじませた声でのえるが零す。


「どうした?」

「私はさ、詩乃ちゃんと一緒にゲームを思いっきり楽しめるようにプレイヤースキルをちょっとずつ身につけて行ってるけど、詩乃ちゃんほど判断力とかスキルはないし、空みたいにプロに通用するほどの実力もない。ヘカテーちゃんみたいに詩乃ちゃんと同じような動きはできないし、ジンさんみたいにみんなを守って戦うってこともできない。普通のお勉強とかはともかく、戦いの方で頭を使うのはあまり得意じゃないから、私がいたら足手まといになるんじゃないかなって、不安になっちゃって」


 のえるはよくも悪くも脳筋だ。現実まで脳筋ではなく、むしろインテリの方にカテゴライズできるくらい頭はいいが、勉強でのIQとゲーム内での戦闘IQは別物だ。

 空のように頭のよさを戦略の組み立てに応用できれば、それがそのままゲームでの立ち回りの巧さに繋がるが、のえるは戦略の組み立てが壊滅的に下手だ。その原因の八割くらいは自分にありそうな気はするが。


「んー、ボクはのえるが足手まといだなんて一度も思ったことはないよ。そりゃ、流石に猪突猛進すぎる気はあるけど、だったらボクらはのえるの長所を最大限発揮できる場所を作ればいいだけだし」

「それがみんなに迷惑かけてるんじゃないかって、不安なの」

「そういう戦略の組み立てがあまり得意じゃないギルドやチームだったら、多分迷惑って思われるかもね。でもうちには空が、シエルっていうプロゲーマーがいる。ボクもあいつほどじゃないけど、戦略の組み立てはできる。ボクはね、仲間の足りない部分を補って支え合うのが一番いい仲間だって思うんだ。だから、のえるはのえるのままでいい。君が思い切りやりたいようにやればいいんだよ」


 不安に揺れていたので、のえるの太ももから降りて立ち上がり、彼女の顔を自分の目に抱き寄せてなだめるように優しい手付きで頭を撫でる。

 女の子をこうやって自分の胸に抱き寄せるのはやはり恥ずかしくて、トクトクと少し鼓動が早くなる。

 しかし、その少しだけ早くなった鼓動を聞いたのえるは落ち着いたのか、甘えるように抱き着いてきた。


「そうだね。私は私がやりたいようにやる。自分の楽しみ方で楽しむ。それがゲームってものだもんね。結構大きな公式イベント大会だから、ちょっとブルーになってたみたい」

「のえるはこういう運営主催の大会に参加したことなかったもんね。緊張するのも無理ないよ」

「詩乃ちゃんも最初は緊張した?」

「そりゃしたさ。のえるからすれば以外かと思うだろうけど、めちゃくちゃ緊張して普段の実力なんかまったく出せなかったよ」

「そっか。詩乃ちゃんでもそうだったんだ。なんか安心した」


 安心したような声で言うのえる。もう不安はなくなったようだなと安心すると、グイッと引き寄せられてそのままベッドに押し倒された。

 髪の毛が乱れて、いきなりのことで頭に大量のはてなを浮かべていると、馬乗りになったのえるが耳元に顔を近付けてくる。


「安心したら、なんか詩乃ちゃんにさっきのお返ししたくなっちゃった」

「お、お返し?」

「舐めるのは流石に無理だけど、甘噛みくらいならいいよね?」

「へ───ひゃわぁ!?」


 カリッ、と右の首筋に噛み付かれる。痛みはないが、前述の通り女の子化して皮膚が薄くなった上で触覚が鋭敏になったので、びりびりとした言い表せない痺れが襲って来た。


「なっ、なっ、なっ……!?」


 今のやけに甘い声が自分の口から出てきたのだと信じられなくて、思考停止して口をぱくぱくと開閉する。


「ふふっ、詩乃ちゃんそんな可愛い声出すんだね」

「は、にゃ……!?」

「もっと聞きたいかも」

「んなー!?」


 これ以上はダメだと抵抗するが、くすくすと笑いながら「冗談だよ」と言われて、それはそれでなんか変なお預けを食らった気分になってしまう。

 とはいえ甘噛みをするのは今後は控えて、吸血衝動以外の吸血鬼としての欲求をコントロールできるようになろうと決めて、隣にごろんと寝転がったのえるの額に軽くこつんと頭突きをして、互いに小さく笑い合ってから明日の決勝戦に向けて休息を取ろうとぐっすりと眠った。

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