予選二日目

 セットしていたスマホのアラームが鳴る。

 沈んでいた意識が浮上し、閉じているカーテンの隙間から差し込んでいる朝日が刺激してくる。


「ん……」


 どこにあるとベッドに横たわったまま腕を伸ばしてスマホを探し、見つけたのでそれを掴んでベッドの中に引きずり込み、寝ぼけ眼でアラームを止める。

 しょぼしょぼと霞んでいた視界が鮮明になり、だんだんと頭が働き始める。


「っ!?」


 目の前に、可愛らしい寝顔で穏やかな寝息を立てながら眠っているのえるの顔があり、心臓が止まるかと思った。

 下ろされている瞼にある長いまつ毛。白く染み一つない頬。血色のいいピンク色の、ぷっくりとした柔らかそうな唇。

 それらが無防備に詩乃の顔の数センチ先にある。


 いつもだったら、寝起きから美少女の寝顔を堪能できて役得だと思っていたが、今日はそうもいかない。

 掛布団のかかっていない右の首筋に、白い雪の上にポツンと落ちた赤い椿のように小さな赤い痣のようなものが付いている。

 まあ、包み隠さず言うのならば、キスマークだ。


 昨夜、抑えきれない吸血衝動に襲われてお風呂場でのえるに噛み付こうとし、必死の抵抗で自分で意識を失った。

 その後で詩音から自分の今の状態についての説明を受けた後、いい加減限界だったためのえるに強く抱き着いて、細く綺麗な首筋を撫でるように舌で舐めて、そして噛み付いて牙を沈めて彼女の血を堪能した。

 今でも鮮明に思い出せる、肌と汗、全身に痺れるような快楽が走り脳が溶けそうなほど甘美な血の味。そして耳元で聞こえた、首に噛み付かれて感じた痛みと血を吸われる苦しさを必死にこらえる声と、荒くなった熱い吐息。


 血を吸い終えた後も、詩音が部屋から出て行って二人きりになり、のえるの首に残った傷を舐めて治し、その時ののえるの声と反応があまりにも淫靡でまた若干暴走して、少しいじめすぎてしまい反撃を食らった。

 自分からは見えないが、調子に乗りすぎたせいでのえると同じ右の首筋に、彼女からキスマークを付けられている。


「ぅぅぅぅぁぁぁぁぁ……」


 自分でやったことと自分にされたこと。今まで散々撫でくり回されたり、一緒にお風呂に入ってくすぐられたりしたが、首を舐められたりキスマークを付けられるなんてのは当然初めてで。

 あの時の感覚が鮮烈に蘇ってきて、脳みそが沸騰しそうなくらいの恥ずかしさで枕に顔を埋めて呻き声を上げる。


「色々と暴走してたとはいえ、何やってんだよ……」


 ぶすぶすと頭の中で思考回路か何かが焦げ付いていくような感覚。

 すぐ隣で眠る幼馴染の寝息を聞き、同じベッドで横になっているため否が応でも体が触れて感じてしまう柔らかさ。そして、ふわりと香る甘いのえるの匂い。

 今までここまではっきりと匂いを感じ取ることはなかったので、昨日のあの一件を皮切りに色々と変化したのかもしれない。


 色々とリアルの体で検証しなければならないこととかが出てきたのだが、とりあえず今はすぐ近くにのえるがいるのが色んな意味でまずいので、起こさないようにそっとベッドから抜け出して、頭を冷やすついでに着替えを持ってお風呂場に向かった。



 冷水シャワーで物理的に頭を冷まして着替え、起きてきたのえると廊下で鉢合わせてぎくしゃくしながら一緒に一階に降り、詩音から事情を聞かされているのかやけにニマニマと笑みを浮かべていた詩月と一緒に朝食を食べてからしばらく。

 詩乃はFDOの世界に飛び込んで、ヨミとして幻想世界で目を覚ます。

 のえるは昨日の服を持って一度家に戻っていったので、ログインするまでに数分かかるだろう。


「お姉ちゃんおはよー!」

「おっと、おはようアリアちゃん。今日も元気いっぱいだねえ」

「元気ー!」


 将来美人になることが確定している美幼女のアリアが、朝から元気いっぱいに挨拶しながら飛び込んでくる。なんて癒されるのだろうか。

 子供特有の甘い匂いと暖かな体温。現実と何一つ変わらないレベルで再現されており、昨夜と今朝に似たようなものを感じたばかりだが、ここまで幼いとドキドキすることなくただただ可愛いという感想以外に出てこない。


「ほんと、吸血鬼の癖に朝早いなんて変だよな」

「あ、アルマもおはよう。……それはボクも時々思う」

「でも時々夜中に起きてくることもあるから、よく分かんねーな姉ちゃんは」

「あはは……」


 リアルの時間と完全にリンクさせてしまうと、夜にしか活動できない人は夜の時間帯しか知ることができない。なのでこの中とリアルとで若干の時間のずれがある。

 そのため、現実では早朝でもFDOの中ではド深夜ということもあり、この世界の中の時間で過ごしている彼らNPCからすれば、起きてくる時間が不定期なプレイヤーは非常に変わっているように思うだろう。


「そうだ、ゼーレさん何か怪しいことしてなかった?」


 昨日はずっと予選マッチに入り浸っていたので、ゼーレの動向を知らない。

 アルマが特に警戒することなく話しかけに行っているので、彼女はもう黒の凶刃との関わりを断っていると考えていいだろうが、やはりまだ信用しきれていない。


「んー? 特に何かしてるわけでもなかったな。ヨミ姉ちゃんがやってたみたいに、積極的に色んな人の手伝いをして回っているくらいだな」

「そっか。でも、あの人元々は結構危険なギルドにいたからさ、もし何かあったらすぐに教えてね」

「もう何度も聞いたよそれ」

「ゼーレお姉ちゃん、お菓子作ってくれるから好きー!」

「お菓子作れるんだあの人」

「おう。昨日もアリアと遊んだ後に、うちのキッチンでケーキ焼いてた。ヨミ姉ちゃんたちの分もあるってさ」

「……貰いに行こうかな」


 無類の甘いもの好きなヨミは、洋菓子であればケーキが一番好きだ。和菓子ならみたらし団子か大福だ。

 現実でも最近甘いものを食べていないので、そろそろ食べたい。昼にでも昼食作りながらシフォンケーキを焼いてしまおうかと考える。


 しかし今は残り二日となった予選を突破することが最重要なので、あと二日間は我慢することになるかもしれない。

 それに、予選突破することができたらちょうど自分に対するご褒美として買いに行けるし、頑張った分だけ美味しさもひとしおだろう。


 とりあえず、昨日は98位程度で終わったが予選自体は二十四時間ずっと続いているので、どれくらい落ちたのかを確認する。


「……んぇ!?」

「うお!? ど、どうしたんだよ急に」

「ご、ごめん。ちょっとこっちのことで驚くことがあってね」


 98位だったヨミたちのギルド銀月の王座。

 ウィンドウをその辺りまでスクロールして自分たちの名前が見つからなかったので、検索機能を使って調べたらまさかの800位台まで一気に落ちていた。

 あれだけ苦労してやっと100位以内に入れたのに、一晩戦わずにいただけでここまで大差を付けられた。

 どうしてなんだと上位100位以内のクランを重点的に見てみたら、その大部分が構成員が百人以上の大規模なギルドであることが判明し、腑に落ちた。


「ギルド対抗戦だから、代表の強さを競うんじゃなくてギルドそのものの力を競ってる感じか。これは……少数精鋭の弱小ギルドにはかなりきついぞ?」


 こうしちゃいられないと、すぐにのえると空にメッセージを飛ばす。

 空はすぐに既読が付いて、さすがの彼も予想外だったのか信じられないと言った返事が返ってくる。

 のえるは少し遅れて既読が付き、焦った様子で誤字しながらどうにかして立て直さないといけないと返事してきた。


 しかもこのランキングはリアルタイム更新のようで、現在進行形で順位が下がっている。

 どうにかしてこの危機を脱出しなければと対抗戦掲示板を開いて、のえるたちがログインするまでの間に情報を集めることにする。

 途中で変態共のきしょい書き込みなどがあってゴミ虫でも見るような目をしてしまったが、情報はそれなりに集まった。


 公式HPにも飛んで、掲示板に書き込まれていたこととすり合わせて情報が確かなものだったので、今日というよりも残り二日間の予選の戦い方は決まったなと笑みを浮かべる。

 多分空はともかく、のえるは嫌そうな顔をするかもしれないがこれしか方法がないので、納得させるしかない。

 昨日の今日で、今朝の朝食もまともに顔も合わせられる会話もぎこちなかったのに説得できるだろうかという不安もあるが、四の五の言っていられないのでやるしかないと、今日一日は昨日のことを頭の奥底に押し込んでおくことにした。

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