夜空と暁

 色んな意味でのぼせかけた後、背中から感じていた柔らかい感触とかのえるの温かさとかいい匂いとかを、欲望に抗えずにしっかりと記憶に残しながら自宅に戻り、ベッドに腰を掛けた。


「うっわ、全然違う」


 お風呂で髪の毛を洗ってもらった時に、乾いたら違いを実感できると言っていたがまさにその通りだ。

 艶がさっきまでとは段違いによく、指を通してみるとまるで絹にでも触れているかのように滑らかでよかった。

 洗い方やシャンプー一つでここまで変わるのかと驚きながら、我慢できないのでヘッドギアを被って首のNCDと接続し、FDOを起動してゲームの世界にダイブする。


 一瞬だけ意識が遠のき、浮上する。

 眠りから覚めるように目を開けると、見慣れないが知っている天井。どうやら森の中ではなく、しっかりとアルマの家に戻ってきているらしい。

 ログインした場所を確認するとすぐに起き上がり、血液残量がほぼないのでくらりと眩暈を感じつつ部屋を出て母屋の方に向かう。


「うわっ!?」

「お、っと」


 その途中でアルマと出くわし、ぶつかりそうになる。


「よ、ヨミ姉ちゃん!? 目ぇ覚ましたのか!」

「アルマ! 無事だったんだね。……目を覚ました?」


 話を聞くと、ヨミは意識を失って確かにログアウトしていたのだが、戦闘エリアでのログアウトだったため体はそのまま残っていたらしい。

 アバターの中身が現実世界に戻り、力を失って動かなくなったヨミをどうしようと気を動転させているところに、アルマがいなくなったことに気付いた大人たちが救出にやってきて、無事にフリーデンに帰還したらしい。


「怪我とかないよな? あの後意識失ったまま頭から落ちてって、ギリギリのとことで俺が下敷きになって受け止めたけど……」

「そんなことしたんだ。大丈夫、怪我はないよ。……血が足りなくてかなり眩暈がするけど」

「顔色あんましよくねーもん。父さんも姉ちゃんが吸血鬼なの知ってるから、後で血を分けて、もらえよ」

「うん、そうする。それと、ありがとうね。勝手に来たのは許せないけど、でもそのおかげで助けることができた……のかな?」


 今にも泣きそうな顔をするアルマにふわりと笑みを浮かべて、右手で頭を撫でる。


「母さんがさっ、少し前に意識を取り戻したんだ。半年間ずっと苦しめられていたのが嘘みたいに呼吸も楽になって、顔色も、よくなって……。ほんとうに、ありがとう……ありがとう……!」


 余程セラが回復したのが嬉しいのか、ぼろぼろと涙を流すアルマ。

 こういう時の子供のなだめ方を知らないので、少しおろおろした後にそっと抱き寄せる。

 胸の中でびしりと一瞬だけ体が固まるのを感じたが、すぐに背中に腕を回してしっかり抱き着いて、わんわんと大きな声で泣き叫んだ。

 セラが回復したことを喜びながら、ヨミがこうして無事でいたことに安堵しながら。


 二分ほどその状態でいると落ち着いたのか、今度はヨミに抱き寄せられているのが照れ臭くなったのか、ぐっとお腹の辺りを押しながら離れる。

 その時の彼の顔は赤く染まっており、少しだけからかってやりたいという気持ちがにゅっと雁首をもたげるが、やったら確実に拗ねられるのでやめておく。


 貧血のような症状が出ているので、アルマに手を引かれながら離れを出て母屋に向かう。

 なんか町の方がやけに騒がしいなと思ったが、ずっと彼らのことを苦しめていたロットヴルムを倒したのだから、お祭り騒ぎになっているのだと説明されて苦笑する。

 ロットヴルムはしばらくすれば、ヨミたちプレイヤーからすればリポップ、アルマたちNPCからすればバーンロットによって再び生み出されることで、別の個体として再びこの世界に現れる。

 この平和というのはごく一時的で、しかもその元凶がまだ存在しているため根本的な解決にはなっていないが、竜が倒されたというその事実さえあれば十分らしい。


「お姉ちゃん!」

「おぉう!?」


 母屋の扉を開けて中に入り、アルベルトが待っているであろうリビングに向かっている途中で、小さい影が腰辺りに飛びついてきた。

 いきなりのことで若干バランスを崩しそうになるが堪えて視線を下ろすと、アリアがぎゅうっと抱き着いていた。


「アリアの奴、ヨミ姉ちゃんが目を覚まさないってずっと心配して泣いてたんだぜ?」

「泣いてないもん」

「いや、泣いてただろ」

「そんなこと言ったら、お兄ちゃんだって泣いてた!」

「ちょお!? アリア、おま……!?」


 泣いていたことをばらされて一瞬で顔を真っ赤にして慌てるアルマ。

 捕まえて否定しようとするが、アリアがさっとヨミの後ろに隠れてしまったのでぐぐっと悔しそうに歯噛みする。

 こうして見ると実に仲のいい兄妹だなと、非常に微笑ましくなる。最近は自分が妹に妹扱いされているので、この二人が少しだけ羨ましい。


「お、嬢ちゃん目を覚ましたのか。よかった」

「アルベルトさん。その、ご心配とご迷惑をおかけしました」


 アルマとアリアのやり取りが聞こえたのか、アルベルトがリビングから出てくる。


「いいさ、気にしなくても。嬢ちゃんは俺たちの恩人なんだ。セラを、妻を救ってくれて本当にありがとう」


 そう言って深く頭を下げるアルベルト。

 大の大人からこうして真っすぐ感謝を伝えられて驚くが、こういう時は素直に受け取ったほうがいいと分かっているので、素直にその感謝を受け取る。


「さて、嬢ちゃんも目を覚ましたわけだし、次はアルマに対する罰だな」

「うぐっ!? や、やっぱそうだよなあ……」


 行ってはいけないと言われていたのに森に来たこと、そしてクロムの店から完成していた大鎌武器、斬赫爪を盗んで持ってきたこと。これらは放置しておくことはできないと、アルベルトも少しおかんむりだ。

 アルマも自分がしでかしたことをしっかりと理解しており、どのような罰も甘んじて受け入れる覚悟を決めている顔をしている。

 果たしてどんな罰が下されるのだろうかと二人を見ていると、アルベルトが少し大きく息を吸う。


「セラが回復するまでの間、身の回りの世話をしなさい」

「…………え、それだけ? てっきり、クロム爺のとこに行って一週間手伝いして来いって言われるのだとばかり……」

「俺も最初はそうしようとしたんだがな」

「ヒェ」

「セラが、せっかく元気になってこれからもずっと家族といられるんだから、一日でも離れたくないって言ってな。だから、お前への罰はセラの面倒を見ることだ。半年間何もできずにいたんだ。あいつを縛るものがなくなった今、半年を補うためにそれはもうすさまじく甘やかしてくると思うぞ」

「それは……ある意味では罰になりそうだな」


 苦笑しながら言うが、それは母が元気になった証拠だと嬉しそうでもある。

 半年間ずっと心配し続けて、高いお金を払って浄化の聖水や癒しの聖水などで症状の進行を遅らせて、どうにかして命をここまで繋げて来た。

 それがこうして実を結んだのだ。嬉しくないはずがない。


「あ、そうだ。父さん、ヨミ姉ちゃんのことなんだけど」


 思い出したように、アルマがヨミに今血が足りていないことを話す。

 吸血鬼と知られているというが、やはり実際の反応を見るまでは不安だったのだが、


「そのことか。少し待っててくれ、すぐにコップを用意する」


 全く気にするような素振りを見せずにいたので、杞憂に終わったと安堵する。


「あ、ありがとうございます。あの、無理はしないでくださいね?」

「なに、ほんのささやかな恩返しとでも思ってくれ。盛大に恩返しをするにしても、嬢ちゃんが元気じゃないといけないしな」


 そう言ってキッチンに向かい、ナイフと木製のコップを持って出てきて、全員でリビングに向かった。

 そこでアルマが自分の手首を切って、コップを赤い液体で満たす。アリアも恩返ししたいと言って立候補したが、流石にダメだということとヨミが貧血になったのが自分のせいだからとコップを全て自分の血で満たした。


「大丈夫?」

「おう。少しだけくらっとするけど、飯食って寝りゃ問題ないさ」

「そっか。でもとりあえずこれは飲んでおいたほうがいいよ」


 左手首の傷をすぐに治すためにと、ポーションを渡す。

 一本がそれなりの値段をするのを知っているので受け取ろうとはしなかったが、半ば無理やり押し付ける。


 それからコップを満たす血に視線を落とすと、森の中で首に直接噛み付いて血を吸った時のあの、脳が溶けそうなほどの極上の味を思い出して思わず唾を飲み込んでしまう。

 いくらこういう種族で血の摂取が必要だからとはいえ、ここまでする必要はなかったのではあるまいかと思いながら、コップに口を付けて傾ける。

 そして口に広がる、僅かな鉄の味とそれを一瞬で塗りつぶす美味しさ。

 また理性が飛びかけそうになるのをぐっと堪えながら全て飲み干す。


 血液残量はその一杯で全回復させることはできなかったが、三、四割は戻ったのであとはゲーム内で食事を取って少し時間を置けば、現実のように血液が作られて回復する。


「ありがとう、アルマ」

「いいってことよ。気分の方は?」

「もう大丈夫。眩暈もないよ」

「よかった」


 にっと笑みを浮かべるアルマ。


「よし、嬢ちゃんもよくなったみたいだし、俺からも何か礼をさせてくれ」

「え、も、もう十分なんですけど……」

「いや、させてくれ。感謝の言葉だけなんて、君が許しても俺自身が許さない。だから、これを受け取ってほしい」


 そう言って差し出される大きな箱。

 中身は何なのだろうと開けると、布に包まれた長い何かが入っていた。

 それを取り出して布を外すと、思わずほぅ、と息が漏れてしまうほど美しい白と黒の片手剣があった。


『【夜空の星剣】


夜空のように真っ黒な刀身に星々が散りばめられているかのような美しい剣。とある名匠がその生涯をかけて打った夫婦剣の一つ。


属性:ユニーク  売買:不可』

『【暁の煌剣】


夜明けの空のように白く美しい剣。とある名匠が生涯をかけて打った夫婦剣の一つ


属性:ユニーク  売買:不可』


 手に入れたのは、まさかにユニーク装備。それも恐らくは二本一対で真価を発揮するタイプのものだ。

 装飾も素晴らしく、これ一本でどれほどの価値があるのかなど全く分からない。


「あの、これ……!」


 恐らくはクエストの報酬なのだろう。それを達成したのだから報酬が与えられるのは当たり前なのだが、これは流石にあまりにも破格すぎる。

 装備としても、攻撃力や耐久値は抜群に高くそう簡単に壊れることもないし、美術品としても恐ろしく価値がある。

 それを手に取った時点で既に所有権はヨミに移っており、正真正銘ヨミのものとなっているが、そのまま受け取るのをためらってしまう。


「いいんだ、こいつらを使ってやってくれ。こういう武器って言うのは、優れた使い手にあったほうが幸せなんだ。……クロムの受け売りだけどな。だから、嬢ちゃんがこいつらのことを使ってやってくれ。嬢ちゃんほどの使い手に使われること程、幸せなことはない」


 優しい目でそう言われ、断れなくなる。断るも何ももうヨミのものなのだが。


「わ、分かりました。受け取ります。ありがたく使わせてもらいますね」

「あぁ、そうしてくれ。改めて、本当にありがとう。今日はもう、ゆっくり休んでくれ」


 それだけ言ってアルベルトは席を離れ、リビングを出ていく。階段を上る音が聞こえたので、セラのところに向かったのだろう。


「すっげえな、その剣。めちゃくちゃカッコいいじゃん」

「私にも見せてー!」


 アルベルトが出て行った後にアルマとアリアが寄ってきて、興味津々に白と黒の剣を見つめる。

 この世界で白と黒と言えば、最悪の竜の支配の始まりを作った竜神の色だ。てっきり忌避されているものだとばかり思っていたが、そういうわけでもないらしい。


 ひとしきり二人に剣を見せた後、お風呂に入って疲れを取ったとはいえあの激闘の後なので、今日はもうこれ以上何もせずに休むことにする。

 思いがけずにすさまじい武器を合計で三つも手に入れたことになってしまい、本当に大丈夫なのだろうかという一抹の不安を胸に抱えつつ、造血効果のある干し肉を一つ齧ってからログアウトし、用を済ませてからベッドに潜り込んでゆっくりと眠りに就いた。

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