赫の王への挑戦権 2

 戦い始めてから三十分が過ぎた。

 激しく息を切らし、ゲームだというのに珠の肌に汗が浮かんでぱたぱたと地面に落ちて濡らす。

 もう何本目になるか分からないMPポーションを煽り、空の瓶を投げ捨てる。


 対峙しているロットヴルムはいまだ健在。ひたすら武器を叩きつけまくり鱗を砕き、武器を食いこませ続けた甲斐もあってHPバーは七割ほど削れている。ただし、最初の一本目・・・・・・というのが先に付くが。

 ほとんど初期装備のままレイドボスに挑むなんて無茶も甚だしいところだ。もし自分が他にそうしているプレイヤーを見かけたら、間違いなく正気を疑う。


「本っ当に、硬すぎんだろお前ぇ!? 何べん思い切り武器を叩き付けて壊しゃ気が済むんだよいい加減にしろこのクソトカゲ!?」


 じわじわと回復していくMPを見ながら、額に青筋を浮かべて怒鳴り声を上げる。

 この三十分の間、血魔術はできるだけ節約しながら『シャドウアーマメント』で作った影武器をひたすら叩き込みまくった。

 その成果として最初の一本目がもうすぐ終わりそうなところまで来ているのだが、MPポーションを少なくとも十本くらいは飲み干しているので、このペースだとHPを削り切るか首を落とす前にこっちのリソースが尽きる。


 ヨミの向けたクソトカゲに過剰反応を示したように、激しい攻撃を仕掛けてくるロットヴルムの体の下を通り抜けながら、浄化結晶というバトレイドに行った時に購入した浄化用アイテムを取り出し、握りつぶすことで八割ほど溜まっている腐敗ゲージを打ち消す。

 かなり値段が張ったが昨日の連勝と今日の五連勝で結構なお金を稼げたので、大分悩みながらも五個だけ購入した。


「残りは四個。腐敗攻撃を受けなければ、三十分で一個使うペースだから、二時間半は持たせられる。問題は、」


 ふぅ、と一つ息を吐いてからロットヴルムの追撃から逃れるように全力で地面を蹴り、補足されないように極端な緩急を付けながら全力疾走する。

 このまま最高速度に達した瞬間、一気に接近して直前で武器を叩き込もうと企むが、途中で足を滑らせて危うく盛大にすっ転んで自傷ダメージを受けるところだった。


「時間経過でフィールド状況が悪化するのは、予想していなかったかなあ……」


 ヨミが今足を取られた理由は、地面があちこち赤く腐敗し始めているからだ。

 赫竜王が住まうあの森全域が土や木を含めて全部赤く腐敗しているのだから、その眷属である赫竜だってそれと同じことができるであろうことなど、少し考えれば分かることだ。

 今までやってきたゲームにはここまでやってくる敵はいなかったこともあり、『ゲームなんだからそんなフィールドにまで影響を及ぼすなんてことはないだろう』という先入観で、そのことを考えることすらしていなかった。


 気でも狂っているのではないかと疑うほどリアルグラフィックで、五感もほぼ変わらないレベルで再現している。

 地面を踏んでいる感触も、風が吹き抜けていく心地よさも、空から降り注ぐ暖かな陽光も、食べ物のおいしさや触感も、全部がきちんと再現されているのだ。

 ここまでやっておきながら、周りを腐敗させる力を持つエネミーから発せられる腐敗の霧で、周りのものが腐敗しないわけがない。


「幸いまだそこまで酷くはないけど、あまり時間をかけるとボクが踏める場所もなくなっていく。しかもこれ、絶対途中でより強くなるタイプだろうし、時間切れギリギリまで粘るのは得策じゃなさそうだ、ねっ!」


 足を取られないように、ロットヴルムを意識しながらも足元をきちんと観察して、腐敗していない部分を踏まずに加速していく。

 数十メートルという巨体を有するロットヴルムは、ヨミが死角に入り込むとその小柄さゆえに見失い、それを狙って一直線に駆け出していく。

 残り数メートルというところで両手斧を生成して、鱗がひび割れている後ろ右足に叩き付けるために振りかざすが、タイミングを向こうの計っていたのか攻撃に移る瞬間に上から巨木のような尻尾が落ちて来た。


 尻尾攻撃をしてこないわけがないと警戒は怠っていなかったため、カウンター気味にされた尻尾攻撃をどうにか回避して、跳躍して背びれのような突起物に掴まって背中によじ登り、そこから首に向かって走り出す。

 酷く足場が悪く、よじ登ったヨミを振り落とそうと暴れ回るため一分ほど時間をかけて首付近までやってくる。


「『ライオットインパクト』ォ!」


 大きく振りかざした両手斧の戦技を発動。全身を使って思い切り極太の首に叩き付けるが、ほんの僅かに傷を付けるだけでダメージなどほとんど通らない。

 びりびりと、硬いものを殴りつけたような衝撃と痺れが両手を襲い表情を歪めながら、一度首から降りて武器を消そうか迷ったがMPがもったいないのでそのままにしておく。


 とにかくあれの視界に入ってはいけない。それはこの三十分の間によく分かった。

 特に正面に立って一定の距離を取っていると使ってくる大技が、直撃でもすれば確実に即死する。


「───来るっ!」


 激しい緩急を付けながら疾走していたが、武装状態であるため疾走スキルは発動しておらず、いくらか速度が落ちている。

 そのためロットヴルムに捕捉され、未だ慣れない金色の竜の目で鋭く睨み付けられながら、顔を上に向けながら胸部を大きく膨らませるその動作を見て回避に全集中するために、影の両手斧を回避方向に向かって投げ飛ばす。

 見てから回避では間に合わないので、それが放たれる前に疾走スキルを発動させて一気にトップスピードまで加速する。


 直後、竜の顎から腐敗の息吹が放たれる。

 見た目は炎のように見えるがそれには熱は一切なく、ただ触れたものを瞬く間に腐敗させていく。

 大きめな岩などはすぐに腐り果てることはないが、それに身を潜めてやり過ごすというのは不可能だろう。

 ちゃんとレイドパーティーを組んで、タンク職にあのブレスを防がせるなら、対腐敗の能力が付与されている盾に加えて対状態異常魔術を重ね掛けすることで防げるかもしれない。

 今はそんな検証などしている余裕はないし、検証するための装備も魔術もない。


「うっわ、やっぱエッグゥ……。腐敗耐性高いボクでも、食らったら数秒で全身が腐ってリスポーンだろうな」


 体が生きたまま腐っていって死ぬ。想像も付かないえぐすぎる死に方を想像してぶるりと背筋を震わせ、足を止めている場合じゃないととにかく死角を目指して走る。

 何しろ、あのブレスは大技ではあるのだが連発が可能という鬼畜仕様なのだ。

 腐敗ブレスを撃ったんだから隙だらけだと真正面から突っ込んだ時に、まさかの二発目を撃たれた時は冷や汗だらだらだった。

 左腕を巻き込まれて、そこからすさまじい速度で腐敗してきた時は本当に恐ろしかった。自分で斬り落とすのが遅れていたらどうなっていたのだろうか。


 嫌な想像は頭の中から追い出して、投げ飛ばしていた両手斧を回収しながらロットヴルムがこちらを振り向くのに合わせて跳躍し、斧を振りかざす。

 戦技+落下速度+体重の三つを重ねて、こちらを向き切った首に斧を叩き付けるが、刃が数センチほど食い込んで少しだけHPバーを減らしたところで限界を迎えて砕けてしまう。

 威力と強度はヨミの魔力値に依存するので、これだけの強敵でこれだけの強度の鱗なら仕方がないと割り切ってはいるのだが、それでもこうも簡単に壊れてしまうとなんだか悲しくなってしまう。


 あと何回攻撃を続ければあの五本もあるHPを削り切れるのだろうかと漠然と考えながら、体の真下まで潜り込んで飛び上がり、意味はないだろうが蹴りを一発入れておく。

 鋼鉄でも蹴り付けているかのような手応えを感じ、圧倒的な火力不足に舌打ちをしながら、ボディプレスで押し潰されないように離脱して再び緩急込みの疾走をする。


「ドラゴンには弱点となる逆鱗があるはずなんだけど、中々見つからないなあ」


 神話に登場する竜には、顎の下に逆さに生えている鱗、『逆鱗』が生えており、それを触れられると触れた相手をすぐに殺害するという伝承がある。

 これは恐らく後世の創作で付け加えられた設定だろうが、その逆鱗はドラゴンの弱点となっており、その鱗だけは他と比べて強度が低いなどがある。

 ここまで鱗が硬いとその弱点となるかもしれない逆鱗を見つけて攻撃して倒すのかもしれないが、繰り返すがこれはレイドボス。ソロの火力で削り切れるような相手ではない。


 全力疾走しながらインベントリを開き、残りのアイテムを確認する。

 HPの回復は二つある自己再生スキルのおかげで節約できており、HPポーションは四本使って残りは四十六本。

 一方で、『ブラッドエンハンス』の維持や『シャドウアーマメント』、緊急回避に使っている『シャドウダイブ』などでみるみる減っていくMPは自動回復スキルはなく、MPポーション頼りとなっているため、五十本あったのが残り三十三本とかなり減っている。

 もし飲んだものが腹に溜まっていくというところまで完璧再現されていたら、今頃お腹の中がたぷたぷになって苦しくなって動きが鈍くなっていただろう。


「血液残量は三割。……やっぱりちょいちょい『ブラッドメタルクラッド』を使っちゃったのが痛いな」


 最大値の時で一分なので、三割程度しか残っていない現在だと二十秒も持たないだろう。

 二十秒も持たせられないなら使う時はそれこそ止めを刺す時くらいしかない。


「その止めを刺す時っていつ来るんだろう」


 もはや乾いた笑いしか出てこない。

 もうこうなったら、全生物共通の弱点である眼球なり喉なりを狙ってやると、死ぬことを避けるあまり慎重になりすぎていた思考を放棄し、少しだけ攻撃的に切り替える。


 武器は数回叩き付けるだけで、強度的にずっと勝っている向こうの鱗に負けて壊れてしまう。

 ならば攻撃回数は最小限に、的確に喉や目を狙う必要がある。

 その過程で攻撃を食らっても行けないので、動きをよく観察する。


「ゴアアアアアアアアアアアアアア!!」


 左側面から全速力で疾走して接近し、放たれた腐敗ブレスを左に大きくずれて回避する。

 続けて二発目が放たれるがこれも左にずれて回避し、頭部の方に向かって行く。

 三発目を回避した後、まずは喉を狙おうと影魔術を使おうとするが、叩き潰そうと振り上げられた左足によってふっと影が差し、横に逃げようとしても背中から生えている翼脚も攻撃動作に入って狙いを定められているので、回避はできないと判断。


「『シャドウダイブ』!」


 ならばと、攻撃が当たる直前で影の中に潜ってやり過ごし、潜っていられる五秒の間に喉の真下まで移動してから飛び出す。


「『シャドウアーマメント・グレートバトルアックス』!」


 影から押し出されるように地上に姿を見せ、地面を踏んだ瞬間に跳躍しながら影の両手斧を生成。

 真下という死角からの攻撃に反応が遅れたロットヴルムの喉元に斧を叩き込むが、逆鱗ではなかったようでダメージはほんの少しだけ通るだけで他と変わらない。

 ならばと地面に降りた後にもう一度跳躍して背中に張り付き、突起を掴みながらよじ登ってから頭を目指して走る。


「うおっとっと、大人しくしてなよこのクソトカゲ」


 振り落とそうと暴れられるがしっかりと突起を掴んで離れず、行動が一度止まった瞬間駆け出して、頭に到着してすぐにまずは脳天に一発振り下ろす。

 ゴギィンッ! という本当に生物から鳴っているのかと疑問に思う音を撒き散らし、斧にひびが入る。

 やっぱり『ブラッドメタルクラッド』を付けていないと耐久値の消耗が半端じゃないなと歯噛みして、何も掴んでいない状態だったので頭から振り落とされてしまう。


「やっべ……!?」


 頭から振り落とされたヨミの視界に入ったのは、真っすぐこちらを見据えながら大きく息を吸い込んでいる赫竜の姿。ブレスを使ってくる前動作だ。


「こ……なくそぉ!!」


 受け身を取れなくなってしまうのを覚悟で空中で体に捻りを加えながら、全身で斧を投擲する。

 両手斧戦技の中に投擲するものがあるので、使えるようになっていればいいなと思っていたがそんな都合よく行くわけがない。


「グガアアアアアアアアアアアアア!?」

「え、マジ? がふっ!?」


 と思っていたのだが、運よく左目に斧が命中して片目を潰す。

 いかなドラゴンであっても眼球は弱点であることは変わらないようで、HPバーがぐっと一気に減って、やっと最初の一本を削り切って二本目に突入する。

 背中から落下して強かに打ち、全ての空気を吐き出してからあえぐように咳き込む。


「げほっ……! ごほっ、ごほっ……! な、なんだ……。めちゃくちゃ苦労して鱗砕いて武器も砕いてちまちまダメージ与えなくても、大きなダメージを入れられるんじゃん」


 左目に刺さっていた斧を赫竜は翼脚を使って眼球ごと引き抜き、地面に投げ捨てる。

 ごとんと音を立てて地面に落ちてきたそれには、グロテスクな眼球が突き刺さっていて、今それを回収したらどうなるのだろうかという好奇心が首をもたげる。

 しかしすぐに意識を赫竜に向けざるを得ないほど威圧的な咆哮が上がり、もう一度咳き込んでから両手斧を右手に生成する。


「よしよし、いいね。再生はしないみたいだしぃ? だったらその残った右目もいただいちゃおっかなぁ~?」


 目であればあのボロボロの斧でも一撃で壊せると知り、意地の悪い笑みを浮かべる。

 目標としては首を叩き落して、残存HP無視の即死攻撃である致命の一撃クリティカル判定を下すことだが、第二目標としてはこのドラゴンから完全に視界を奪って、自分のことを視認させないことだ。

 それに、竜の眼球は大体どのゲームでも何かしら強力な装備の素材にもなるので、そのためにも二つ欲しい。


「セラさんのことを治すついでに、お前のその眼球もう一個寄こせやああああああああああああああああ!!」


 もし、今配信を行っていたらそのすさまじいギャップに、視聴者きっとドン引きしていただろう。

 それくらいヨミは獰猛な笑みを浮かべて、真っすぐロットヴルムに向かって突撃していった。

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