知らないからこそ、知るために

 のえるとショッピングモールで買い出しデートをした後、フード付きパーカーを買ったので行きほど注目を浴びることなく帰宅できた。

 すさまじい勢いに押されて買ってしまったが、着るのにかなり抵抗のあるフリフリの可愛いものなどがいくつもあり、長いこと着ていないとせっかく買ったのにもったいないと言って、着せ替え人形にされてしまうだろう。


「だからって……こんな、こんなものまで買う必要なかったでしょ……!? いつの間にあの中に滑り込ませてたんだよ!?」


 しわにならないよう丁寧にクローゼットの中に服をしまってから、後の方に残して若干後悔している下着類をしまっていると、その中から一つとんでもないのが出てきて顔を真っ赤にする。

 それは、レース付きの黒の下着セットだ。お世辞にも大人とは言えない小柄な体形とスタイルなので、似合うとはとても思えないアダルティなデザインとなっているがそれはどうでもいい。

 問題は、ブラジャーの方ではなくショーツの方だった。


「紐って……紐ってっ……!!」


 ショーツの方は、今履いているものと比べるとあまりにも頼りなさそうな、ちょっとした拍子に解けて落ちてしまうのではないかと思う、紐で結ぶ奴だった。

 こんなもの絶対に履いてたまるかと、下着入れの奥の方に封印するように突っ込んでしまう。どうせこれもしばらくしたら発掘されるのだろうけど、これだけは断固として拒否する方針だ。


「買って来たものしまっただけなのにす……っごい疲れた……」


 自分から見ても、今日買ったものは素直に似合うものなのだろうと感じる。のえるのそういうファッションセンスは、彼女の母親譲りでとてもいい。

 ただ、似合うには似合うがどちらかというと、可愛くて仕方のない妹を着飾っているような感覚に近いのだろう。

 今日出かけて思ったが、無類の可愛いもの、特に小動物や小さい女の子が好きなので、彼女の好きの対象に入り込んでしまった詩乃はずっと妹のような扱いを受けていたような気がする。

 ショッピングモールに入ってすぐに視線が集中して怖さを感じ、堂々としているのえるに甘えて頼ってしまったというのも大きかったのかもしれない。


「可愛い女の子とか、スタイルのいい女の子って大変なんだなあ……」


 パーカーを買ってフードを被って顔を隠してからはマシになったが、それまでに感じた数多くの視線。

 可愛いものを愛でるようなものや美人を見つけて思わず見てしまったといったようなもの、そしてその中にいくらか混じっていた絡みつくような舐めるような気持ちの悪い情欲の視線。

 足はニーソを履いていたのでそこまでではないだろうと思っていたが、美少女に黒ニーソなんて需要の塊でしかないのをよく知っていたはずなのに失念しており、しっかりと下半身に集中していた視線を思い出して体を震わせる。

 隣を歩いていたのえると比べれば平原と言ってもいい程ささやかな主張しかしていない胸にも、非常に気持ちの悪いものを感じた。


「これ、当分は慣れることないだろうなあ」


 高校入学まで一月もない。その間に慣らしたほうがいいと言われたが、慣れる気配を感じない。むしろこの姿になってから初めてそのような環境に出たため、人目に付きたくないという気持ちが強くなってしまった。


「これはのえるに協力してもらって、無理にでも引っ張り出されたほうがいいのかもな」


 ゴロンとベッドの上に仰向けになって倒れ、天井を見つめながらぽつりと零す。

 一人で外に出るのは恐ろしい。それが今日の感想だ。

 果たしてこれを覆すことができるようになるのだろうかとため息を吐き、ベッドの頭の棚に置いておいたヘッドデバイスを装着して、首につけっぱなしにしているNCDと接続してFDOを起動しゲームの中に逃げるようにダイブした。



「全っ然帰ってこないから心配したじゃねえか! どこ行ってたんだよ!」

「ごめん。大分寄り道してた。はいこれお土産」


 FDOの中はすっかりと日が暮れており、アルベルトの家に少し急いで戻ると中々帰ってこないヨミのことが心配だったのか、そわそわと落ち着きのなさそうなアルマ少年が出迎えてくれた。

 なんて可愛くて健気なんだろうかと、午前中の自ら作った傷が癒えて行くのを感じた。

 お金もかなり集まったので、本当は教会に行ってもっと効果の高い浄化の薬などを買えればよかったのだが、試しに一歩足を踏み入れてみたらそれだけでHPがごっそり減ったので諦めた。

 吸血鬼にとって教会などが特効とはいえ、足をちょっと入れただけでそれはないだろうと、近くにあったベンチに腰をかけながら思ったものだ。


 とりあえず買って来たワンスディアのお菓子や浄化用アイテムなどを渡しておく。

 クインディアという街について聞いたところ、攻略最前線の少し手前にある街であることが判明しており、そこの教会の癒しの聖水や浄化の聖水はかなり高い効果を発揮するものらしいのだが、それを使ってですらアルマの母親を治せていないので効くとは思えないが、ないよりはマシだろう。


「おおう、随分大量に……」

「クインディアのに比べると気休めもいいところだけどね。……ボクは教会に入れないし」


 入ったら確実に死ぬ。足一本であの減りを思い出し、ゾッと背筋を震わせる。


「お、嬢ちゃん帰ってきてたのか」

「あ、アルベルトさん。ごめんなさい、戻るのが遅くなって」

「いいって、気にすんな。嬢ちゃんは冒険者だからな。とはいえ、女神様の加護があるからって無茶だけはするなよ?」

「……?」


 聞き慣れない単語が出てきたので首を傾げるが、アルベルトの後ろから一人の女性が顔を見せたので聞き返すことができなかった。


「あら、その子が昨日からうちに居候しているっていう?」

「あぁ。ヨミっていうらしい。なんでも、あの赫き腐敗の森を超えてやってきたんだとさ」

「……本当は転送罠にかかってこっち来ただけなんだけどな」

「こら、アルマ」

「いえ、本当のことですから。初めまして、ヨミと言います」

「初めまして、アルマの母のセラです。よろしくね、ヨミちゃん」


 セラと名乗ったその女性は、アルマと同じ赤髪を長く伸ばして首辺りで緩くシュシュでまとめている。

 顔立ちはまさに美人と表現して差し支えないほど綺麗で、全体的に柔らかい雰囲気をまとっている。

 しかしその顔色はよろしくなく、頬もやせこけているし手足も細い。

 呼吸も苦しそうで、自己紹介をした後に激しく咳き込んでしまった。


「ごほっ、ごほっ……!」

「母さん!」


 セラが咳き込むとアルマが駆け寄り、手に持っている浄化の聖水の蓋を開けてセラに飲ませる。

 何回か傾けて瓶の中身を空にして、いくらか呼吸は落ち着いたが顔色の悪さは変わらない。

 よく目を凝らしてみると、肩にかけている毛布で隠れてはいるが袖から見える肌などに赤い何かが見えた。


「ごほっ……! ご、ごめんなさい、みっともないところを見せちゃって……」

「い、いえ。……その、事情は少しだけアルマから聞いています。ボクもお力になれたらいいんですけど……」


 赫竜王バーンロットの眷属である赫竜ロットヴルム。王は持ちうる手札全てを使い切ってやっと最初のHPバーを大きく減らせた程度で、現状とても勝てるビジョンというのが見えない。

 ロットヴルムはどれほどのものかは分からないが、王が作った眷属だ。弱いはずがない。

 STRは今日の対人戦でそこそこ伸びたが、恐らくまだ足りないだろう。


 予想している範囲だと、ロットヴルムは複数パーティーで挑むレイドボス。

 最前線ではないとはいえそれでもかなり進んだところにあり、かなり強力なエネミーが徘徊している森の守護竜だ。百人とは行かずとも、数十人規模のレイドパーティーを組む必要があるだろう。

 いくら自分個人を強く育成したところで、数十人で挑むようなものに一人で勝つのは難易度があまりにも高すぎる。


 もちろんできないわけではない。ブレードアンドソーサリスオンラインのレイドボスに一人で挑んで、何度も死に戻って行動を覚えた末に数日かけて倒したという経験がある。

 それでもあの時はカンストしたレベルに最上級の装備を持ち込み、最上級の回復アイテムを湯水のごとく使いまくってやっとだった。

 今の、ブーツとナイフ以外全てが初期装備のヨミでは、かなり難しいだろう。


「そんなに気に病まなくてもいいわ。これは私が勝手に、竜の森荒らしの時期なのに森に入ったのが悪いんだもの」


 今はまだ何もできないでいるヨミに、セラが柔和な笑みを浮かべる。

 その表情を見て、胸が酷く締め付けられる。

 たかがNPC、たかがこのゲームの中でデータで作られている存在。そう思うようにしても、この世界の住人たちはあまりにも人間らしすぎる。


 アルマは今にも泣きそうな顔をしているし、いつの間にかセラの腰辺りに抱き着いている小さな女の子、恐らくその子が妹のアリアなのだろう、に至っては嗚咽こそないがぼたぼたと涙を流している。

 セラを見捨てるということは、この幼い子供二人から母親を奪うということに他ならない。

 ただ偶然、近くにあったからと扉を叩き、転がり込んだだけでなくしばらく居候までさせてくれただけの家。言ってしまえば、それだけの関係でしかない他人だ。

 しかし……確かにこの世界で生きているのを目の当たりにし、二人の子供から、アルベルトという夫から、確かに愛されている一人の女性を目の当たりにして、どうせ他人だからと投げ出すことなんてできない。


「……あと三日すれば、ボクの友人がワンスディアに来るんです。ボク一人では難しくても、でも、三人いれば、」

「無茶よ。相手は竜王の眷属。過去に王都から来た大規模な討伐軍すら壊滅させたことがある、理不尽よ。いくら冒険者で力があるとはいえ、三人だけで勝てるような相手じゃない」


 真剣な眼差しで、かつ子供を諭すような声で、ヨミの言葉に被せてくる。

 全く以ってその通りだ。空はプロゲーマーでゲームの腕は確かにあるが、このゲームを始める以上ステータスは初期値。のえるも初期の割り振りポイント全部をSTRに振るだろうけど、それ以外は同じだ。

 ヨミだって昨日始めたばかりの新人で、一週間足らずでステータスが完成するはずがない。

 攻撃スキルも魔術も揃っていない状態で、開始一週間足らず一人と開始当日二人がいたところで、瞬殺されなくともすぐに負けるのが目に見える。


「私のこの腐敗は、運が悪かっただけ。死んでしまうのも、同じこと。そりゃ、お腹を痛めて生んだ大事な宝物子供を置いて行ってしまうのは、とても寂しいし哀しいけども、でもこればかりはもうどうしようもないの」

「そ、んな……」


 否定したくても、否定できない。今初めて会ったばかりの目の前の女性のことなんて、何も知らないから何も言えない。

 だから───


「ボクは、セラさんのことが知りたいです」

「ヨミちゃん?」

「こんなにもアルマやアリアちゃんに愛されてて、苦しんでいることに悲しんでいて、どうにかしてあげたいって本気で思わせているセラさんのことを、知りたいです」


 ヨミの両親は仲が悪いわけではない。むしろ、砂糖をガロン単位で生み出すほど仲がいい。

 そういった、ものすごく恵まれている家庭で生まれているからこそ、本気で家族から愛されているセラのことが知りたい。

 知りたいならどうすればいいか。答えなんて簡単だ。


「ボクが必ず、あの竜を倒して見せます。それが、現状残されている唯一の、セラさんを助ける方法だから」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る