老骨の鍛冶師

 FDOにログインして最初に視界に映ったのは、木目の天井だった。

 昨日、割とガチで泣きながらグールに一時間近く追いかけ回され、その間に弱体化がなくなってステータスが戻ったのでひたすら投げナイフや普通のナイフの投擲で的確に頭をぶち抜きながらの全力逃走。

 結果的に覚悟はしていたが、めちゃくちゃに走り回ったおかげでマジで遭難してしまい、森の中でゲーム内時刻も深夜となって真っ暗になり、吸血鬼なのに暗闇にビビりながら恐る恐る進んでやっとの思いで森から脱出。

 森から抜けてもやたら強いエネミーとの連続エンカウントでへとへとになりながら進んだ先に小さな町を見つけ、奇跡のノーデスで赫き腐敗の森の近くのワープポイントを開放した。


 ヨミが目を覚ました場所は、その小さな町、名を『静穏郷フリーデン』の中にあるとあるNPCの客室だ。

 やっとの思いでフリーデンに辿り着き、一番近くにあって明かりの点いていた家の扉をノックして、事情を説明して部屋を一つ借りたのだ。


「よし、しっかりと昨日ログアウトした場所から始まっているな。昨日のことはバグでしたー、でワンスディアの宿からスタートだったらどうしようかと思った」


 あんな地獄を見たのにそんな仕打ちをされたら、当面は立ち直れなかったかもしれない。

 ベッドから起き上がり、気分的な問題でぐーっと伸びをしてから縁に腰を掛けて正面にある窓から外の景色を見る。

 すぐ近くのあんなヤバいのがいるとはとても思えないほど静かで穏やかで、牧歌的な雰囲気の街。

 フリーデン、ドイツ語で「平和」を意味するこの町は、その名前の通りにとても平和だ。


 駐屯しているという衛兵NPCは、余程の強敵ではない限り負けることがない程のステータスを有しているようで、ここ数十年はエネミーからの侵攻を受けたことはないそうだ。

 手合わせしてみたいが、昨日来たばかりの余所者にいきなり戦ってみたいと言われても、なんだこいつみたいなリアクションしかされないだろう。


「お、おはようございます……」

「ん? あぁ、おはよう嬢ちゃん。ゆっくり眠れたか?」

「はい、おかげさまで。昨夜はすみません、いきなり押しかけてしまって」

「いいってことよ。困っている時はお互い様さ」


 恐る恐る一階に降りてリビングに顔を覗かせると、椅子に座ってお茶を飲んでいる中年の男性と目が合った。

 その男性───NPCはアルベルトと言い、このフリーデンの町長をやっている。

 まさか町長の家が町の出入りの門の近くにあるとは思わなかったが、寝る前に聞いたら町の長だからって自分だけ安全圏にいるのは違うからだと言っていた。


「随分と寝坊助なんだな、姉ちゃんは」

「こら、アルマ。お客様になんて口を利くんだ」

「あはは、気にしなくていいですよ。お寝坊さんなのは間違いないですから」


 アルベルトの対面に座っていた赤髪の少年、アルベルトの息子のアルマが呆れたような目を向けてくる。

 押し掛けた時にヨミの話し声が聞こえたとかで二階から降りてきたので、名前と顔だけは知っていた。会話しようとしたら顔を赤くして逃げるように二階に行ってしまったので、向こうからヨミに話しかけてくるのは今のが初めてだ。

 アリアという妹もいるそうだが、昨夜は寝ていて会えなかったし今ももうすでに家を飛び出して遊びに行っているようで、姿が見えない。


「しっかし、俺とそんなに変わんなさそうなのに姉ちゃん冒険者なんだな。俺でも勝てそうなくらい体細くて力なさそうだけど」

「む、言ったねアルマ少年。ボクはこう見えてもかなり強いんだぞ?」

「そうだぞアルマ。嬢ちゃんはあの赫き腐敗の森を抜けて来たんだから」

「えー?」


 どうやらあまり信じてはくれないようだ。

 証拠として、昨日集めた森の中のエネミー由来の素材かバーンロットの左腕でも出して証明しようかと思ったが、普通のエネミーの奴はともかくバーンロットのはまずいと思いやめた。


「ヨミ嬢ちゃんは今日この後何か予定でもあるのか?」


 湯気の上がっているカップを傾けてお茶を飲んでいたアルベルトが聞いてくる。


「ワンスディアに行こうかなー、とは思っていますね。ボク元々そこから来ましたから」

「ワンスディアって、姉ちゃん随分遠いところから来たんだな」

「あ、そっか。アルマ君は話を聞いていなかったんだっけ。ダンジョンの転送トラップ踏んじゃって、赫き腐敗の森に飛ばされたんだ」

「うっわ、間抜け」

「アルマ……」

「いや、実際マジでボクの間抜けですから。ちゃんと意見を聞いておけば、あんな初歩的な罠に引っかかることもなかったのにって、今も思います」


 結果的に近くにヤバいのがいるとはいえど、素晴らしい景色が見える牧歌的なフリーデンに来られたので結果オーライだが、きちんと配信をしていることを忘れていなければグールとの鬼ごっこをすることもなかっただろう。

 これに関しては100%ヨミが悪いので、誰も責めることはできない。配信終わりに配信を見返して、コメント欄に割とたくさんの変態コメントを見つけた時はどうしてやろうかと思ったが。


「あー、でもせっかくこの町に来たし軽く観光がてら、武具屋にも寄ろうかな」


 ここを完全に拠点にするわけではないが、鈍ってしまっているプレイヤースキルを元に戻すにはここの強いモブエネミーがうってつけだ。

 それにせっかくたくさんの素材を持っているのだし、防御力の向上や特定防具にのみ組み込まれているスキルの獲得などもしたい。


「武具屋か。となると、クロムのところだな。せっかくだ、アルマ。嬢ちゃんのことをクロムのところに連れて行きながら町を案内してやりなさい。……ちゃんと、この町のことを気に入ってもらえるようにな」

「……べっ、別に普通に案内したっていいだろ!? ただ景色がいいだけが取り柄の町でしかないんだから!」

「お前、町長の俺の前でよくそんなこと言えるな……?」

「俺はその町長の息子なんだからいいだろ! ほ、ほら、ヨミ姉ちゃんも行こうぜ!」


 顔を真っ赤にしてアルベルトに怒鳴るように言って、リビングを飛び出していくアルマ少年。

 ヨミはどうしたのかと首を傾げ、アルベルトはやれやれと呆れるように肩を竦めながら、やけに温かい目をしながらもにやにやと何やら意地の悪い笑みを浮かべていた。


 彼のことを待たせるのも悪いので、アルベルトに一言断ってから家を出る。

 玄関前でそわそわと待っていたアルマがこちらに気付くと、一瞬だけぱっと表情を明るくしてからすぐに顔を背けてしまう。

 表情がころころと変わる面白い男の子だなとくすりと笑い、隣に立つ。


「それじゃあ案内よろしくね、小さなガイドさん」

「ち、小さいは余計だ。ヨミ姉ちゃんだってちっこいじゃないか」

「うぐっ……」


 もうこの一週間のえると詩月にひたすら小さくて可愛いと言われまくっているが、こうなってしまう前はギリギリ百七十には届かなかったが、今よりも十センチ以上も背が高かったのだ。

 NPCの少年とはいえど、見知っている人以外の他人から小さいと言われると、時間をかけてあそこまで伸びてくれたあの身長はもうないのだと、胸が少し痛くなる。


「そ、それで姉ちゃんはまずどこに行きたいんだ?」


 アルマがヨミの方を振り向きながら聞く。


「まずはさっき言っていたクロムさんのところかな。これ、ボクが最初に選べたものの中で比較的性能がいいってだけで、ボク自身がものすごい紙装甲だからいいの揃えたくて。あとは武器も欲しい。自分の魔術で作れるとしても武器が欲しい」

「それただの服じゃないんだな。……冒険者の割に随分かわいいカッコじゃん」

「んぐっ……!? か、可愛いのはボクも不本意なんだよ……。こんな短くてフリフリしていると、思い切り戦いたくても、ね」


 とは言いつつも昨日はガチファイトしてしまったわけなのだが。奇跡的にスカートが捲れて、たくさんの視聴者がいる中でパンツを見せてしまう、という放送事故はなかった。


「クロム爺はだいぶ年食ってるけど、腕は確かだぜ。素材になるもん持って行きゃ、すげーいいの作ってくれると思うぜ」

「それは楽しみだね。それじゃあ早速案内をお願い」

「おうよ!」


 お願いすると、意気揚々と案内を始める。

 鍛冶師がいる場所は町の隅の方なので、そこに行く途中までにある施設などを軽く見て回りながら行く。

 甘味処もあるそうなので、そこは絶対に、何があっても行く。装備更新のことを除けば最優先事項だ。


 それと町を歩いていてわかったが、アルマは町長の息子ということを差し引いても村人から愛されているようだ。

 明るく溌溂としていて、すれ違えば元気に挨拶する。

 そんなアルマのことを町人たちは大切に思っているようで、皆一様に明るい表情をして挨拶をしたり、時には果物やお菓子などをおすそ分けしていた。


 転送トラップ付き宝箱を開けてあの森に飛ばされ、偶然この町に出て来ただけではあったのだが、こうしたほのぼのとした光景を見ることができたのである意味では引っかかってよかったのかもしれない。

 ただやはり、ヨミは余所者ということもあって若干警戒されているように感じたが、露骨に嫌がったり距離を取ったりする町人はいなかった。


「ここがこの町唯一にして最高の鍛冶師がいる店だ。見てくれはマジでよぼよぼな爺さんだけど、腕は確かだから安心しな」

「おう、誰が死にぞこないのクソジジイだって?」


 タイミングよく鍛冶屋の扉が開いて、そこから槌を持ったしわくちゃのお爺ちゃんが出てくる。


「ゲッ、今の聞いてたのかよクロム爺。つか、そこまで酷く言ってねえよ!?」

呵々カカ。冗談じゃよクソガキ。で、お前さんがこのクソガキに懐かれている冒険者か。見てくれは貴族のガキっぽいが……なるほどな。見た目に惑わされたら死ぬな、こりゃ」


 鋭い眼光でヨミを見つめてくる、クロムと呼ばれた老人。アルマの「クソガキって言うなー!?」という抗議を全て無視して、観察するように見てくる。

 隣の少年は町長の息子なのにそんな口を利いていいのだろうかと思うのだが、そこは今まで築き上げてきた友好関係の証でもあるのだろう。


「お前さん、名は」

「ヨミです」

「ヨミか。お前さん、何か得意な武器はあるか。なんだっていい。よっぽど特殊なものじゃなけりゃ、ワシが一つ特別に打ってやる」

「え、いいんですか?」

「当然。何かいい素材でも持って来てくれりゃ、お前さん専用の武器を作ってやらんこともないぞ。性能も期待してくれたっていい。なにせこのワシが直々に打ってやるんだ。その辺に売っとる粗悪品なんかじゃ比べ物にならん奴に仕上げてやる」


 アルマの言う通り、クロムは大分よぼよぼなお爺ちゃんだ。

 背中も曲がっているし、足も少し震えている。

 それなのにその眼光と槌を持っている全く震えていない手だけは、年齢による衰えを一切感じさせない。


「じゃあ、その、赫き腐敗の森で集めた素材があるのでそれでお願いしてもいいですか?」

「おうとも。しっかし、あの腐れ森の素材か。あそこの魔物どもは強いからな。それを使った武器はいいものになる。ほら、さっさと作ってやるから店に入りな。ついでにそこのクソガキもな」

「あ、ありがとうございます」

「だから、俺のことをクソガキって呼ぶなー!!」


 ついに怒ったアルマがクロムに掴みかかろうとするが、クロムは左腕を伸ばして頭を押さえることで、それ以上近付かないようにする。

 分かってはいたが、こんな老骨でも重い槌を扱っているのだから力が見た目以上に強いようだ。

 元気真っ盛りなアルマの突撃を、押し込まれることなく片腕で押さえているくらいだし、実はもしかしたら戦ったらめちゃくちゃ強いのではと思ってしまう。


 クロムに案内されてお店に中に入り、壁にかけられている武器や鎧などの防具、手入れ用の道具などが所狭しと置かれていて、いかにも武具屋と一目で分かる。

 お店の奥の方にものすごく大きく、肉厚で、剣というには大雑把でまさに鉄塊というべきな大剣があるのを見つけ、しかもきちんと購入できるものだと知って驚いた。

 作業場の方まで通してもらい、そこでインベントリから素材を取り出す。


「ほう、ほうほう……。ハンガーハウンドにスカーレットリザード、スカーレットゴブリンの素材。腐敗しちゃいるが直せば使える両手斧。あと、これは?」

「新緑の森の洞窟の主だったブラックベアドラコのものですね」

「ブラックベア……あぁ、あの熊だか竜だかよく分からんあれか。図体の癖にそこまで強くはねんだよな」


 やっぱりこのお爺ちゃんはかなり強いのかもしれない。

 ちなみに赫竜王の左腕は、隣にアルマがいるから出せないのと、信用されているようだがヨミからすれば全くの未知の鍛冶職人だ。

 現状最上級と言ってもいい素材を出して、その結果大したことのないものに仕上がってしまったら立ち直れそうにないので、今回は一度見送ることにした。


「これだけありゃ、まあそこそこのものは作れるな。希望する武器種や防具はあるか?」

「ボクが一番使うのはナイフなのでそれと、素材が余るようなら別の両手武器が欲しいです。あとは筋力か耐久とかが上がる防具ですかね。この服、この辺じゃ紙装甲もいいところなので」

「よくそんなので生き延びたな、お前さん。よし分かった、ちぃと時間はかかるからそれまではアル坊のやかましいクソガキと一緒に、その辺をぶらついていてくれ」

「だからクソガキって……。つーか父さんのことをアル坊ってまだ言ってんのかよ」

「ワシからすりゃあいつはいつまで経っても鼻たれ小僧のアル坊だ。ほれ、作業の邪魔になるからさっさと行った」


 しっしと手を払われたので、苦笑しながらアルマを連れて作業場から出る。

 ついでにお店の中にある投げナイフやブレストプレートなどを軽く物色し、欲しいものを頭の中のメモに書き込んでいく。

 一通り見た後は、完成までまだまだえらい時間がかかりそうなので引き続きアルマにフリーデンを案内してもらうことにした。

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