第29話 恥ずかしい、か



 愛の感じる、不思議な感覚。

 その正体に、邦之助は心当たりがある。伊達にこの年まで生きていない、話を聞いただけでもわかることはある。


 まるで、自身の青春時代が思い出されるようだ。思えば、妻のミサと出会ったのも高校時代で……


「博士?」


「ん、おぉ、なんでもない」


 思わず自分の世界に入り込みそうになった邦之助の耳に、愛の声が届いた。

 はっとして視線を向ければ、愛のきょとんとした表情。


 我ながら、本当に精密な表情を作れたものだと、邦之助は自分に感心する。


「それで……博士は、私のこの異常に心当たりはあるのでしょうか?」


 自分の中に感じる、妙な気持ち。これを異常と称し、邦之助に吐露。この気持ちの正体がわかるのではないかと愛は、わずかな期待を持っていた。


「……それも、確かに感情の一つじゃ」


「! 今の説明だけでわかるとは……さすが博士です。では、この感情の名前とは?」


 うなずく邦之助の様子に、愛ははっとして重ねて問いかける。


 己の胸に手を当て……どうしてだろう、この気持ちの正体を一刻も早く知りたいのは。

 感情には、総じて喜怒哀楽という言葉がある。喜び、怒り、哀しみ、楽しみ……大きく分けて四つの種類に分類される。


 ならば愛の感じているこれは、なんだろうか。

 胸の奥がもやもやするから、プラス方向の感情ではない。かといって、怒りや哀しみといった感情とも、また違うように思えた。


 この感情の名前を、正体を教えて欲しい。


「……残念だが、私にその正体を教えることはできん」


 しかし、邦之助は首を振った。

 言うことはできないと。感情の正体がわかっておきながら、それを言えないのだと。


 なぜ、教えてもらえないのか……愛は言葉にしないながらも、眉を下げた。


「これは、私が教えても意味のないことだからな」


 その愛の心中を悟ったかのように、邦之助は言葉を続けた。


 彼女の将に対する気持ち……それは、一言で表すならば『恋愛感情』だろう。それを言葉で教えるのは簡単だ。

 喜怒哀楽とはまた違った感情……彼女には、感情を覚え成長してもらわなければならないのだ。せっかく芽生えた感情の答えをさっさと教えてしまうのは、愛のためにもならない。


 それに、まだ他の感情も理解していない中で恋愛感情などという新しいものなど、さらに混乱させてしまうだけだ。


「いずれ、わかるときがくる。その時まで、その気持ちは大切にしまっておきなさい」


「……わかりました」


 感情を覚えることこそが自分の使命なのに、なぜこの謎の感情の正体は教えてもらえないのか。

 不思議ではあったが、邦之助の言うことは絶対だ。ただ教えてもらうだけでは、きっと意味はないのだ。


 いずれ、わかるのだと。ならば、そのいずれを待とう。


「あ、ちなみに……この話、将くんと鈴にしてはだめだぞ。特に鈴には」


「? お二人に……なぜですか?」


「なんでもだよ」


 大切なことだ。今の話を、他の人間に……将と鈴にされるのはまずいだろう。

 将は愛が想いを寄せる本人だし、鈴は将に想いを寄せている。


 将本人に今の話をしてしまえば、実質告白みたいになってしまう。鈴の気持ちに気づかない鈍い男だが、さすがに告白に近い言葉を受ければ気づくだろう。

 鈴に至っては、わざわざ説明するまでもない。


 とにかく、愛の気持ちが将に傾いていることを、気取られないようにしなければいけない。

 もしも愛との三角関係ということになれば、面白そうだがそれ以上に想定外のことが起こりそうだ。


「他に、変わったことはないかい」


「……はい。他に、異常な箇所は見当たりません」


「そうか、よかったよ」


 データを確認し、それをまとめ……さらにまとめたものを元に、修正箇所など再確認していく。

 アンドロイドとして活動する愛……彼女をより高みへと至らせるため、科学者として邦之助も努力を惜しまない。


 データを確認するに、愛の申告通り将と接している時間が一番、気持ちの変動が大きい。

 将とは、鈴ほど接する期間があったわけではない。だが夜に二人だけで電話をしたりと、その距離は縮まっている。


 学校では隣の席ということらしいし、愛にとって身近な異性。外見年齢も同じだ。彼に特別な感情を抱くのも、不思議なことではない。


「とはいえ、学校に行ってからまだそれほど経ったわけでもないのに、これほどとは……」


 興奮気味にデータをまとめる邦之助の姿に、愛は自分が役に立てているのだと実感する。

 感情を覚え、育てるために生まれたのだ。役に立ててこそ、生まれた意味があるというものだ。


 自分のデータを見られるということは、自分が体験した出来事をすべて見られるということだ。

 基本的に、その日あったことは邦之助に説明する。しかし、口頭でと実際にデータを見るのとでは全然違う。


 こうして、データを確認することで邦之助の研究は進む。

 とはいえ、データを見られるのは少しばかり恥ずかしいのだ。


「……恥ずかしい、か」


 ポツリと、愛がつぶやいた。

 今、自然と感じた感情……それが、恥ずかしいというものだ。羞恥を感じたときに生じる感情。


 自然と口にしたものだ。恥ずかしい、とそう思っているのだ。

 しかし、なにを恥ずかしがることがある。相手は邦之助博士……愛のすべてを作った男だ。顔も、身体も、人工臓器も。


 その邦之助相手に、恥ずかしいという気持ちを抱いている。いったい、なぜだろうか。

 なぜ……将と距離を縮めていることを知られるのが、こんなにも恥ずかしく感じてしまうのだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る