第23話 これが、感情……



 学校へ通うこととなった愛は、無事に初日を終えた。転入生ゆえ、多数の人に囲まれて疲労を重ねこそしたが……

 特に異常もなく、次の日からは改めて学校生活を楽しむこととなった。


 愛が学校へ通うのは、人の感情を覚えるため。

 しかし、それだけではない。学校に通う以上、愛自身も楽しまなければだめだ。


 目一杯楽しむこと。それも、愛に新たに課せられた使命であった。


「……楽しむ、ですか」


 その日の夜、愛は用意された部屋でベッドに横になっていた。

 今日あった出来事を思い出し、そして帰宅してからの出来事も思い出している。


 学校では疲労こそあったが、それは決して嫌な時間ではなかった。たくさんの人に話しかけられるのは慣れたものではなかったが、それをどこか嬉しく感じていたのだ。


「嬉しい……楽しい……これが、感情……」


 誰かに話しかけられ、それに応えて、会話をして。

 体育の時間では、自分がそれを行うことで周りは湧き、そして勝負を仕掛けてくる人もいた。


 それに対し、これまでに感じたことのない気持ちが生まれていた。この気持ちこそが、感情というものなのか。


「……なんとも、不思議です」


 愛はそのまま目を閉じる……しかし、またすぐに目を開ける。

 そして、手を伸ばし手探りであちこちを見て……やがて、目的のものを手に取る。


 それは、携帯電話だ。邦之助から支給はされたが、まだ一度も使っていない。

 いや、使うには使った。ただしそれは、携帯電話をどのように使うかといった練習のようなものでだ。


 こうして、自分の意思で……携帯電話の電源を入れ、指を動かし画面を操作していくのは、初めてだ。


「確か……こう、して……」


 アンドロイドである愛の記憶能力は、常人のそれを遥かに凌ぐ。携帯電話の操作を記憶し、それを再現することなど簡単なこと。

 しかし、初めての操作だ。動きは慎重になり、一つ一つの動きが遅くなってしまう。


 やがて、画面には電話帳が表示された。その中には、三人の連絡先が入っている。

 そのうちの一人の名前に視線を向けて……彼の名前を押そうとして、少しためらう。


 こんな夜遅くに、電話をかけてもいいものだろうか。迷惑ではないだろうか。

 いや、きっと迷惑だ。こんな時間に、いきなり……きっと、非常識だと思われてしまう。


「……ですが……」


 一度躊躇した指先を……今度は、間違いなく画面の上に置いた。

 表示されている名前を選択し、彼に電話をかけた。


 携帯電話を耳に当て、対応を待つ。プルルル……と音が鳴り、相手が出てくれるのを願う。

 機械音のみが、耳に届く……それだけなのに、どうしてか少し緊張しているのだ。


『……もしもし?』


 着信音が鳴り止み、代わりに携帯電話の向こう側から声が聞こえる。

 昼に、学校で聞いていた声……なのに、もう懐かしく感じる声。


 それは、将のものだ。もともと、電話帳には邦之助と鈴、将の連絡先しか入ってはいない。


「も、もしもし。将さんですか」


『愛? どうかした?』


 機械を通して聞こえる将の声は、直接聞くのとはやはり少し違うように感じる。

 それでも、この声を聞くとどこか落ち着く自分がいる。


 そんな彼は、こんな時間に電話を受け、どうかしたのかと疑問に思っている。早く、なにか言葉を返さなければ。


「あなたの……」


 口を開き、言いかけて……やめる。

 "あなたの声が聞きたかったのだ"……などと、そのようなこと言えるはずもない。だって、恥ずかしいではないか。


 ……恥ずかしい。これが、恥ずかしいという感情なのだろうか。


「いえ……大した用事では、ありません。今日は、いろいろとサポートしてくださってありがとうございました」


 だから、本当のことは言えず……嘘をついた。

 いや、実際に彼に対して感謝はしているのだ。嘘ではない。


 ただ、わざわざ電話をかけてまで言うことではないなと、思った。


『お礼なんて。俺なんにもしてないよ。隣でただ見てただけ』


 お礼を言われる将だが、なにもしていない。クラスメイトに囲まれる愛を、隣で見ていただけだ。本人は苦笑い。

 愛のサポートをするという話だったのに、なにもできなくて情けなさを感じているくらいだ。


「いえ。将さんがすぐ隣にいてくれたから、私は落ち着いて対応できたのです」


『そ、そういうもんかな?』


「はい、そういうものです」


 愛の言葉に、将は照れくささを感じる。そのようなこと、言われるとは思っていなかった。

 だが、愛がお世辞を言うとも思えない。なので、ここはありがたく受け取っておくことにする。


『愛は、これからどうするの? 部活とか、入るの?』


「……まだわかりません。博士には、やりたいようにやっていい、と言われましたが」


『なるほどね』


 実際、高校生ともなれば自分で自分のことを決めることが多くなってくるだろう。

 だが、愛はまだ目覚めたばかり。いや生まれたばかりだ。やりたいようにと言っても、なにをどうすればいいのかピンとこない。


 命令され、それに従う……アンドロイドとして生まれた自分には、それこそが一番楽な道なのだ。


『まあ、難しいよな。でも、自分で決めてやるからこそ、意味のあることなんだと思うよ』


「意味、ですか」


『そ。なんかうまく言えないんだけどさ』


 自分で決めるからこそ、意味がある……その言葉に、愛は考えを巡らせる。

 愛の使命は、学校生活を経て人の感情を覚えることだ。そしてそれはおそらく、言われたことだけをしていたのでは果たせない。


 自分で決め、行動する。これが、愛の中で"なにか"を育てることができるのではないか。


「……ありがとうございます、将さん」


『へ? なにが? 俺、なんかした?』


「……話して良かった、ということです」


 電話口に、困惑した将の様子がうかがえる。それを想像すると、なんだかおかしい。

 クスリと笑い、鈴は改めてお礼を告げる。


 先ほどまで感じていたもやもやが、少しではあるが晴れたような気がした。

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