8-8

「大司教様、リシャール王太子殿下……お逃げください」


 アデリナは障壁の場所を狭い範囲に組み立て直しながら、部外者二人に訴えた。


「一応、見届け人を買って出たわけだから、最後まで責任を果たすよ。それに、セラフィーナ王女を残してはいけない。大丈夫、すごく強いわけじゃないけれど、自分の身を守ることくらいはできるからね」


 アデリナに向けた言葉だったが、それを聞いたセラフィーナがツンとリシャールから顔をそむけた。おそらく、彼女なりに喜んでいるのだ。


「お若いお嬢さんの後ろに隠れているのは申し訳ないが、私も役割を投げ出すわけにはいかんからの」


 大司教も去る気はないようだ。

 アデリナはそのあいだも繰り広げられている戦いに目を向ける。


「愚弟が! 日陰者でいればよかったものを」


 カールの戦い方はとにかく苛烈で、謁見の間の至るところが黒焦げになっている。

 まるでヴァルターへの憎しみを炎に変えているみたいだ。


「王太子……いや、カールよ。そうさせてくれなかったのは、そちらだろうに。これまで何度、私やセラフィーナに暗殺者を送り込んできたんだ! 臣に下って平凡に生きる道を、奪ったのはおまえだ」


 やや押され気味のヴァルターだが、一切怪我をしていない。おそらく避難が完了するまでできる限り力を抑制していたのだ。

 目立たない第二王子を演じ続ける理由はすでに失われている。本気の彼はもっと強いはず。


「私から母を奪った貴様たちに、幸福な人生などくれてやるかっ!」


 ゴォォォォッと音を立てて蛇のようにうねりながら襲いかかる炎を、ヴァルターはうまく避けて熱光線を放つ。

 それが的確にカールの肩を貫いた。


「ヴァルタァァァ! よくも……よくもぉぉ!」


 カールの顔が益々歪んでいく。

 それは到底、国を束ねる次の王にふさわしい者の姿ではなかった。


 涼しい顔をしたヴァルターが、二発目の熱光線をカールに浴びせた。

 今度は太ももだ。貫かれても出血が少ないのは、ヴァルターの魔法で焼かれているせいだ。


 それでも立っていることはもはやできず、カールはその場に崩れ落ち、悶絶していた。


 魔法を使う者たちの戦いは、どちらかの意識を刈り取るまでは終わらない。

 ヴァルターは慎重に、異母兄に近づいたのだが……。


「まだだ、まだ……私は負けてなど、おらぬ……!」


 叫んだカールが胸のあたりをまさぐって、ポケットから赤黒いなにかを取り出した。


 迷わず口に含むと、一瞬でカールの様子が変化する。

 目が血走り、よだれをたらし、そしてどんよりと重い魔力が彼の身体にまとわりつくようになる。

 圧倒的な力に、アデリナは恐怖を感じた。


「ほら、私はいくらでも戦えるぞっ! ヴァルターに、幸福など……与えてやるものか」


 炎と一緒に旋風が巻き起こる。

 アデリナの障壁で守られている付近を除き、すべてのガラス窓が一斉に壊れた。そして、室内に入り込んだ風により、炎がさらに大きくなっていく。

 マグマみたいななにかが、ヴァルターめがけて飛んでくる。


(こんな攻撃……いくらヴァルター様でも防げない!)


 アデリナは咄嗟にヴァルターの周囲にも障壁を展開した。

 カールの魔法がぶつかった瞬間、パリンと音を立てて丈夫に築いたはずの障壁が崩壊していく。

 爆風が巻き起こり、ヴァルターが謁見の間の壁に叩きつけられた。


「お兄様!」


 額から血が流れ、軍服がボロボロになっている。意識はあるようだが、ヴァルターはなかなか立ち上がれない。

 セラフィーナが助けに行こうとするが、アデリナは咄嗟に彼女を引き留めていた。


 今、考えなしに障壁の外に出たら、一瞬で命が奪われる可能性がある。


 すでに先ほどの攻撃を防いだ時点で、アデリナの魔力がそぎ取られていて、自分たちを守る壁の保持だけでも手一杯だ。

 セラフィーナもカールにとって憎むべき対象の一人である。彼女が出ていったら、確実に狙われるとわかっていた。


「ハハッ、ハハハッ! 無様だ……ヴァルター、楽に死ねると思うなよ」


 カールはすぐには動かず、不気味な声で笑いながら、倒れているヴァルターを眺めていた。


「皆さん、申し訳ありませんが私の障壁は長くもちません。ここからヴァルター様を連れて逃げる方法を考えなくては……」


 血染めの薔薇の効果は一時的なものだが、アデリナの魔力切れとどちらが先かわからない。

 こんな悪魔と真面目に対峙しても意味がないだろう。


 アデリナの言葉にベルントが頷く。


「とりあえず、私とユーディットが出てあいつを足止めします! ……コルネリウス兄上は、ヴァルター殿下の回収を。……皆さんはとにかくここから離れてください」


 軍人であるベルントとユーディットが前へ出るのは妥当な判断だ。

 けれどリシャールがベルントに近づき、なにやら意見を述べた。


「ヴァルター殿を一人で担ぐのは無理です。私もお手伝いします。……水属性なので、そこそこ相性はいいと思いますよ」


 それはリシャールからの提案だった。

 隣国の王太子に危険な役割を担ってもらうなんて、本来なら許されない。けれど、議論している暇などなかった。

 ベルント、ユーディットに続いてリシャールも障壁の向こうへ飛び出していく。

 一瞬遅れ、コルネリウスも続いた。


「逃げますよ! セラフィーナお姉様」


 必然的にセラフィーナと大司教を守るのはアデリナの役目となる。

 アデリナたちのいる場所から一番近い出口は、玉座の横だ。アデリナは一旦障壁を解除し、カールの攻撃に警戒しながら慎重に出口を目指した。


 ベルントとユーディットはよく戦っていた。

 そのあいだにヴァルターがよろよろと立ち上がる。

 リシャールの水魔法による援護もあり、味方は後方の出口に近づきつつあった。


 けれど、カールがまた先ほどヴァルターを吹き飛ばした魔法を発動させようとしていた。

 あの魔法は防げない。

 皆の表情が絶望の色に染まる。


「ダ、ダメッ!」


 アデリナはありったけの魔力を込めて、カールとベルントたちのあいだに障壁を築く。

 轟音が鳴り響くが、今度は障壁が壊れた感覚はなかった。

 代わりに、天上や壁の一部にひびが入り、シャンデリアが落下してきた。


(威力が……落ちている?)


 障壁が壊れなかったのは、一回目よりやや威力が目減りしていたからだ。途中でプツンと途切れた感覚があった。

 あの魔法さえなければ、ベルントやユーディットでもカールを倒せる希望が持てる。


 けれど……。


「……小娘……」


 カールが跳躍し、一瞬にしてアデリナとセラフィーナの目の前までやってきた。

 セラフィーナが狙われていると判断したアデリナは、とっさに彼女を庇う。

 予想に反し、囚われたのはアデリナだった。


「アデリナに……なにをするの……!」


 カールが追いすがるセラフィーナに蹴りを入れて、動きを封じる。


「ア、アデリナ……アデリナ……ッ!」


 傷ついたヴァルターが必死に足を前へ出し、手を伸ばし叫ぶ。けれど二人の距離はあまりに遠すぎた。


「少々分が悪いようだ。……これはもらっていく」


 カールはサッとアデリナを担ぎ上げた。

 謁見の間から飛び出し、小さな魔法を使って跳躍を重ね、あっという間に庭園へと出る。

 めまぐるしく景色が変わった。高い城壁すら、カールは余裕で飛び越えていく。

 疾走感と浮遊感、そして恐怖でアデリナの身体はずっと強ばっていた。


(私……人質? この男に殺される、の……?)


 もう魔力はほとんど残っておらず、身を守る方法はない。

 負傷しているとは思えない速さで逃走を図るカールが、わざわざアデリナを人質にする理由を考える余裕すらなかった。


 しばらくするとオストヴァルト城の裏手にある森に入った。


「……王太子殿下、このようなことをして……一体なにが……」


 彼は相変わらず禍々しい魔力をまとったままだ。ヴァルターが快復すればきっと気配を辿って追いついてくる。

 幸いにして国一番の治癒師であるセラフィーナは無傷で、ヴァルターの近くにいるのだ。

 攫われたのがアデリナだったのは、結果的によかったのかもしれないが、嫌な予感がした。


(焦ったらだめ! 時間を稼ごう)


 すでに魔力切れによる頭痛に襲われている中、アデリナは必死に心を落ち着かせていく。


「今……私はとても冴え渡っているんだ。確実に負ける……私が王となる道はもう途絶えたのだと認めざるを得ない」


 意外にもカールはすでに敗北を認めていた。


「でしたら、無駄なことは……」


「無駄ではない。……そなた、ヴァルターの最愛だろう?」


「え……?」


 ドクン、と心臓が大きく音を立てた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る