8-7
舞踏会の夜に互いの想いを確認し合った二人だが、ゆっくりと恋人気分に浸る余裕などなかった。
ついに、決行の時が来たのだ。
聖雨祭最終日。オストヴァルト城内の謁見の間には聖職者と隣国からの客人、そして国内の有力貴族たちが集まっていた。
中央の玉座には国王がどっしりと腰を下ろしている。
国王の話が始まる直前という頃になって、ヴァルターが声を上げた。
「陛下、お言葉をいただく前に、私のほうから一つ報告がございます」
颯爽と現われたヴァルターが国王の前まで歩み出て、膝をついた。
コルネリウスとベルントもヴァルターの後方にいて、主人に倣う。
アデリナはその様子をセラフィーナやユーディットと一緒に離れた場所から見守っていた。
敵が武力によって口封じに出てくる可能性がある。
そうなった場合、ヴァルターの弱点になり得るのはセラフィーナだ。狙われる可能性が高いため、アデリナとユーディットで彼女を守る手筈になっていた。
「なんの報告だ? 諸外国からの客人を迎えている神聖な儀式の最後を、くだらない話で妨げるべきではない」
「いいえ、必ずお聞き届けいただかなければ客人に対する非礼となります。……神聖なる祭りを穢す存在。それどころか……誉れ高きオストヴァルト王国に害をなす罪人が、この場に紛れ込んでいるのです」
「なんだと? ならば申してみよ。ただし、不必要にこの場を騒がせた場合その責任は重いが、覚悟はあるのか?」
国王は、罪人が自分たちだとはつゆほども考えていないだろう。
ヴァルターは「王家に害をなす罪人」ではなく「王国に害をなす罪人」と言った。その違いに気づいている者はまだ少ない。
「もちろんでございます。……二ヶ月前……私の部下が知人からある相談を持ちかけられました。その者はメイドで、とある貴族に仕えております。じつは、屋敷の使用人が不自然に失踪しているというのです」
「……だからなんだというのだ」
「その家――バーレ男爵家が誘拐と人身売買を行っている可能性があると判断し、私の権限で捜査を行いました。結果、男爵があの『血染めの薔薇』製造に関わっている証拠を掴んだのです」
そこまで言ったところで、国王の顔色が急激に悪くなり始めた。
いつものように国王のそばに控えていたバルシュミーデ公爵も焦っている。
謁見の間がざわつく。悪名高き石の名を聞いて、皆が驚いていた。
「くだらぬ! 誰か、ヴァルターを摘まみ出せ!」
立ち上がり、声を荒らげたのはカールだった。
国家権力が及ばない聖職者や隣国からの客人が集まっている場で、明確な証拠を提示させられたらいくら王族でも罪から逃れられなくなってしまう。
カールの妨害は当然であり、そして罪の証拠でもあった。
帯剣が許されないこの場で、武器を持っているのは国王を守る近衛だけだった。
玉座のそばに待機していた近衛がヴァルターのほうへと足を踏み出した。
「どうして血染めの薔薇という国家を揺るがす悪魔の石が存在しているという話がくだらないのでしょうか? あの石が使われたら、国の安寧が揺らぎます。……そこの者、私を捕らえたら石の製造への関与が疑われるが、よろしいか?」
ヴァルターの言葉を受けて、近衛が戸惑いの表情を見せた。
それでも鬼の形相のカールに圧倒され、何人かがヴァルターへと近づいてくる。
何度もためらい、やたらと動きが鈍いのは、おそらく彼らが善人だからだ。
「待たれよ!」
近衛の行動を制止したのは、大司教だった。
彼が介入してきてくれたことにアデリナは胸を撫で下ろす。
「……聖トリュエステ国としても、無視できん話だ。ヴァルター第二王子殿下から話を聞くことまで拒絶する理由はない。王子殿下のおっしゃるとおり、妨げた者にはやましいところがあると見なされるでしょう」
近衛がわずかにヴァルターから距離を取る。
王命を無視する勇気を持たない近衛は、同じくらい大司教の言葉を無視する勇気も持っていないのだ。
(かつて、私たちが追い詰められた力を利用しているのは妙な気分だわ)
教義に忠実な大司教が、血染めの薔薇の存在を放置するはずはないと予想して立てた作戦ではある。そして今の聖トリュエステ国は、まだ利権まみれの生臭聖職者に汚染されていないのも知っていた。
それでも王家の断罪のために、聖職者の持つ力を利用するというのは、まさにヴァルターが破滅した構造と同じで、アデリナの感情は複雑だった。
「なにを言う! ヴァルターがこれから語る内容はすべて捏造の戯言だ! 聖トリュエステの聖職者が……このような陰謀に加担してなんとする!」
あからさまに取り乱す国王の姿を見て、皆が状況を察しはじめる。
まだ血染めの薔薇の製造に関わった者の名がバーレ男爵しか挙げられていない中、国王の反応は不自然だった。
「おそれながら、オストヴァルト国王陛下」
続いて凜とした声で発言したのは、リシャールだ。
隣国の王太子である彼の発言を、止められる者はここにはいなかった。
アデリナはふと隣にいるセラフィーナを横目で見る。唇が綺麗な弧を描き、満足そうだ。
(こっそり、協力要請を取り付けていたのかしら?)
さすがはしっかり者だ。
やがてリシャールが国王に対し疑問を投げかける。
「……ヴァルター殿はまだ、男爵なる者を取り調べたとしか言っておりませんよ。つまりはこれから名前が上がるはずの大罪人が誰か、オストヴァルト国王陛下はご存じなのですね?」
「それは……そ、それは……っ!」
国外の客人が多く集まる場で、ヴァルターが証拠を披露しはじめたら終わりだ。
それを阻止したかったのはわかるが、国王は迂闊な発言をしている。
なにも言い返せない国王をかばったのはカールだった。
「そんなことは当たり前だ。ヴァルターの母親は私の母から王妃の座を奪った狡猾な悪女。子は親に似るという。日頃から、陛下や私を追い落とそうと陰謀を巡らせているのだ。このような場で騒動を起こす理由は……明白だ」
「なるほど。……では、いい機会ではありませんか?」
リシャールは笑顔を崩さない。
「なんだと?」
「ここには私を含めた中立の見届け人が多くおります。ヴァルター殿が偽の情報でカール殿やオストヴァルト国王陛下を貶めるつもりなら、これから提示される証拠こそ、彼が謀反人である証明ができる重要な資料となります。我が国も友好国の国王陛下に仇なす者の排除にご協力いたしましょう」
この言葉に、国王もカールも黙り込むしかなかった。
リシャールに促されるかたちで、ヴァルターとその補佐官であるコルネリウスによる証拠の提示が始まった。
バーレ男爵が使用人を誘拐し、血染めの薔薇製造の黒幕に差し出した供述書が読み上げられる。
次に、血染めの薔薇の材料となってしまった死者が国が管理する墓地に埋葬され、結果墓の数が合わなくなっている件の説明もされた。
それらには、文官のアルント伯爵が関わっていて、彼もすでにヴァルターが確保済みである。
もちろん国王や王太子、バルシュミーデ公爵直筆の命令書なども入手済みだった。
証拠の提示中に、少しでも罪を逃れたいと考える貴族の何人かが離反し、勝手に自白を始める事態にまで発展する。
もはや、国王やカールを信じる者はいなくなっていた。
ヴァルターは最後に、具体的に製造が行われていた場所についての説明を始めた。
「これまで提示してきた証拠は、捏造が不可能……とまでは言えないでしょう。しかし、製造拠点の場所だけは――」
「ヴァルターッ! 貴様が、貴様だけは許さぬ。戯言で、王家を貶める大罪人はこの場で成敗してくれよう! オォォォッ」
突然雄叫びを上げたあと、カールが近衛から剣を奪い、ヴァルターに向かって突進してきた。
周囲に炎をまとい、それが不規則に飛んできてヴァルターの動きを妨げる。
血染めの薔薇の製造は、王家が自分たちの力だけを高め、特別であることを印象づけるために始めた悪行だった。だからこそ、製造拠点は城の地下にあるのだ。
そして城にある以上、王家が主体となって行っていたという事実をどうあってもごまかせない。
動かぬ証拠が示される前に、カールが武力行使に出たのだ。
王家の意に背けばどうなるのかを示すことにより、正義ではなく恐怖で関係者の口を封じようとしている。
苛烈な剣技と魔法の組み合わせに、会場にいた者たちが逃げ惑う。
ヴァルターだけは一歩も動かず、光の魔法で攻撃を弾いた。
「ヴァルター様!」
尻込みして動けずにいた近衛から剣を奪い、アデリナはそれをヴァルターに向かって思いっきり投げた。
「さすがは、我が婚約者」
アデリナはすかさず広範囲に障壁を張り巡らせる。皆を安心させるためのものだから光の反射を利用して、可視化された頑丈な壁を構築していった。
こんなに人が多い場所では、ヴァルターも存分に戦えない。そして隣国からの客人が怪我でもしたら今後の協力が得られなくなってしまう。
アデリナが今できることは避難のための時間稼ぎだ。
セラフィーナとユーディットがその意図を察して、誘導を始める。
「皆様は時魔法の障壁で守られております。……落ち着いて、ゆっくりとこの場から離れてください」
女神の堂々とした声が人々に安堵感を与えた。
扉の一つから、ヴァルター配下の軍人たちがなだれ込んでくる。彼らは暴れているカールを除いた罪人たちの捕縛に動く。
国王も、バルシュミーデ公爵も、ブツブツと言い訳を並べるだけで抵抗はしなかった。
謁見の間に残ったのは、戦闘中の二人、アデリナとセラフィーナ、ユーディット、ベルントとコルネリウス。さらに大司教とリシャールとなった。
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