8-5

 聖雨祭三日目の大きな催し物といえば、城で開かれる舞踏会だ。

 回帰前は不機嫌なヴァルターと一曲だけ踊り、疲労困憊になった記憶しかない。

 今回はヴァルターが過度にかまってくるため、別の意味で疲れが押し寄せていた。


(私が願う最良の未来へ進めるか、それとも回帰前よりももっと悲惨な結末を迎えるか……運命の日は明日だというのに、ヴァルター様は平然としていらっしゃる)


 勝つつもりで計画をしてきたが、国王とカールに敗北したらこの件に関わった者はみな捕らえられ、謀反人となる。

 もしかしたらそれは、ヴァルターが国王になった回帰前の人生よりも悪い道かもしれない。

 世界の理は権力を持つ者が決める。

 そして現時点ではヴァルターが太刀打ちできないほどの権力を、敵が持っている。


「今からそんなに緊張していても意味がない。……ダンスに自信がないのか?」


「そんなことはありません。ダンスの練習もしっかりやっておりました」


 ヴァルターとアデリナは、城内の舞踏室までの回廊を歩いていた。

 本当は、ダンスが不安で緊張していたわけではないことくらい、ヴァルターもわかっているはず。

 今日はまだ決戦の時ではないから、絢爛豪華な舞踏会を楽しめと言いたいのだろう。


「アデリナのお手並み拝見といきたいところだ」


 ひかえめながらも、ヴァルターは度々笑顔を見せてくれる。

 回帰前の彼も時々笑うことがあったが、いつもどこか寂しそうだった。

 今は心から笑っているのだろう。

 そういう変化が嬉しくて、そしてかつてのヴァルターを想うと胸が締めつけられる。


「アデリナ、本当にどうしたんだ?」


「いいえ、なんでも。ただ、ヴァルター様が嬉しそうで……よかった……って」


「私が贈ったドレスを着ている君と踊れるのだから、当たり前だろう?」


「うっ」


 輝く笑顔に目がやられそうだ。

 軍人としての礼装をまとうヴァルターは今夜もとびきり格好いい。髪が普段よりもきっちり固められているせいか、少々大人びて見える。

 だから余計に回帰前の彼と重ねてしまう。

 アデリナの知っている三十代のヴァルターは闇色の髪をしていたが、銀髪のまま年を重ねてもきっと素敵だろう。


(素敵なのは、顔だけ……顔だけだから! 騙されてはダメよ)


 うっかり魅了されてしまいそうになり、アデリナは必死になって自分に言い聞かせた。


(でも、昔から優しいところもあったし……回帰してからは本当に私を優先して……)


 顔だけだなんて、心の中で唱えたのはむしろ本心ではないからだ。

 心に嘘をつくと後ろめたくなり、今度はヴァルターのいいところを挙げ連ねてしまう。

 彼からは嫌いになれと言われているが、これではできそうもない。


 舞踏室に入ると、まもなく最初のダンスが始まりそうな雰囲気だった。


 一曲目のダンスだけは、未婚の王族の中で序列上位の者とそのパートナーの一組のみで踊るのがオストヴァルト式の舞踏会の流れである。

 今夜の場合、その役割は本来王太子カールと彼の婚約者が担う。けれどカールはダンスが嫌いらしく、いつも最初のダンスを異母妹に譲っている。


 ちらりと周囲を見渡すと、舞踏室の奥にある床が嵩上げされている場所にカールがいて、不機嫌そうに脚を組み座っていた。

 となりには婚約者と見られる令嬢の姿もある。カールの婚約者はひかえめな令嬢で、いつも気性の荒い王太子に怯えているみたいだった。


(王太子殿下は……ご自分のあとにセラフィーナお姉様が踊ると、比較されてしまうから嫌なのでしょうね)


 セラフィーナはとにかく目立つ。

 二曲目以降に彼女が登場したら、一曲目のダンスが霞み、引き立て役をやらされている心地になるのだ。

 だからダンスそのものに興味がないふりをしてごまかしているのだろう。

 カールのプライドのせいで、ダンスができない婚約者の令嬢が哀れだった。


 セラフィーナはダンスも得意で、パートナーはヴァルターかユーディットが務めることが多い。

 今夜はヴァルターのパートナーがアデリナであるため、必然的にユーディットだ。

 女神と男装の麗人という組み合わせに注目が集まる。女性も男性も、きっとこの二人の美しいダンスに期待を寄せているはずだ。


(でも、確か……)


 カツンカツンと小気味よい音を立てて、これからダンスを始めようとしている二人に近づいてくる者がいた。


(リシャール王太子殿下!)


 颯爽と現われて、セラフィーナとユーディットになにやら話しかけている。

 パートナー役を譲ってほしいという願い出をしているのだ。


 回帰前も似たような流れになったので、アデリナは驚かなかった。


 兄または護衛の女性軍人は、どちらもセラフィーナの結婚相手にはなりえない。

 これはまだ求婚者の中から特別な一人を選んでいないというアピールでもあった。

 それが今夜変わるのだ。


 相手は隣国の王太子で蔑ろにはできない。

 セラフィーナは今、大勢の貴族たちが見守っている中でリシャールを拒絶するか、彼を受け入れるかを迫られている。


 拒否すればリシャールに恥をかかせてしまい、マスカール王国との友好関係に問題が生じる恐れがある。

 受け入れたら、セラフィーナがリシャールを「特別な相手」として考えている意味となる。


(セラフィーナお姉様……たぶん、怒っているでしょうね)


 以前は女神のほほえみの裏にあるセラフィーナの本心を見透かす力など持ち合わせていなかったアデリナだが、今は違う。

 二十八歳の心を持ち、セラフィーナの侍女となったことでこれまで知らなかった関係も少しだけ理解できている気がした。


 リシャールのほうは、戦略的にこの芝居じみた演出をしている。

 恐らく、オストヴァルト国王がセラフィーナの嫁ぎ先をもったいぶって定めないことへの対抗手段に打って出たのだ。


「とんでもない抜け駆けをする者が現れたな。ただ善良なだけの王子だと思っていたのだが意外と策士なのか」


 最近返上しつつあるのかもしれないが、妹至上主義であるヴァルターの目が据わっている。


「でも、いい機会かもしれません」


 会話をしているうちに、セラフィーナがリシャールの手を取った。

 運命の日が明日にひかえているからこそ、リシャールを敵に回すという選択はできないのだ。


「最低でも一年は友人として適切な距離を保って交流してから申し込めばいいものを。強引にもほどがある」


 ヴァルターの表情はどんどん険しくなるばかりだ。

 けれど、アデリナは彼にだけはそんなことを言う権利がない気がしていた。


「強引? ……そのお言葉、ヴァルター様にそのままお返ししたいです」


 アデリナが進んで侍女となったので強くは言えないが、政略で定まった婚約者との適切な距離など、彼は一切考えていない。

 最低でも一年は友人……と主張するのなら、アデリナとヴァルターの関係も最低でも一年くらいじっくり時間をかけて進めてもらいたいのだ。

 せめて乙女の寝室にもぐり込むなどという暴挙はしないでほしかった。


「……フン。あの王太子、ダンスはそれなりに踊れるのか」


 都合が悪くなったヴァルターは、あからさまに話題を逸らした。

 最初はヴァルターの態度にムカッとしていたアデリナだが、しばらくするとダンスに魅了され、些細なことがどうでもよくなっていった。


「綺麗……」


 回帰前に見た光景と似ているけれど、やはりわずかな差異がある。

 踊りながら、二人はなにか会話をしているみたいだ。リシャールが語りかけると、セラフィーナの女神の笑みが一瞬だけ崩れた。

 少し拗ねたり、恥ずかしがったり、子供っぽく笑ったりという変化が見受けられる。

 それは近しい関係だからこそ読み取れるものかもしれないが、よい兆候だった。


「セラフィーナお姉様……なんだか楽しそうです」


「あぁ、そうだな……」


 アデリナは真横に立つヴァルターの様子をうかがう。

 リシャールを認めたくないはずだったのに、うっかりアデリナの言葉を肯定してしまった事実に彼はまだ気づいていない。


 そしてヴァルターは、自分が今優しいまなざしで二人のダンスを見守っていることにもきっと気づかないのだろう。

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