8-4

 聖雨祭初日は、ひたすらに挨拶をする一日だった。

 話をした者のなかには、かつての敵がいた。

 回帰前の世界でカール派だった者、途中でヴァルターにすり寄った者、そしてのちにオストヴァルト王国に攻め入ってくる国の関係者――。

 今はまだ敵ではない彼らに笑みを向けられるのは、アデリナにとって不思議な感覚だった。


 どちらの派閥に与するかは、ほんの些細なきっかけで変わる。

 かつて味方だった者の中に、絶対に信用していいと自信を持って断言できる相手はいるが、敵だった者全員が信用ならない者というわけでもない。


 回帰前の記憶は活用すべきだけれど、先入観に囚われるのはやめようと心に言い聞かせるのだった。


 そして二日目――聖雨祭の主目的と言える大司教による儀式が始まる。

 この日は都で最も古い歴史を持つ教会に移動して、大司教を含めた聖職者たちが豊穣を祈り、大地に魔力を捧げるのだ。


 ヴァルターのエスコートで教会の正門を通り抜けたところで、よく知る者たちの姿が目に飛び込んでくる。


「お父様! お母様」


 第二王子の婿入り先予定の家であるため、エトヴィンとジークリンデも参加者となっていたのだ。


「おぉ、アデリナ……まったくおまえときたら、ぜんぜん帰ってこないのだから!」


 久々の再会は軽い抱擁と小言から始まってしまった。

 春にセラフィーナの侍女として採用されてから、そういえば一度も生家に帰っていなかった。手紙のやり取りはしていたが、父がご立腹なのは仕方がない。


「ごめんなさい、ついお仕事に慣れることを優先してしまって」


義父上ちちうえ義母上ははうえ。……アデリナをセラフィーナと私のわがままに付き合わせてばかりで申し訳ない。聖雨祭が終わったら必ず休暇を出します」


 ヴァルターがエトヴィンとジークリンデにほほえみかけた。

 その瞬間、二人の顔が強ばる。


 婚約後の初顔合わせのときのヴァルターは、アデリナの両親の前で感情を見せず、王子だから当然なのかもしれないが偉そうだった。

 両親は、ヴァルターの変わりように驚き、すぐに反応できない様子だ。


 しばらくの沈黙のあと、エトヴィンがハッとなる。


「ち……ちち!? ……第二王子殿下のお心遣い、痛み入ります。突然侍女になりたいと言い出したときはどうしたものかと思いましたが、うまく馴染めているようで、これもすべて殿下のおかげでございましょう」


 ようやく我に返ったエトヴィンがどうにか礼を言う。

 ほかに話題が思いつかないのか目を泳がせているのがいたたまれない。


「そ、それにしてもアデリナ……そのドレスは?」


 今度はジークリンデが問いかけてきた。


「ヴァルター様が仕立ててくださいました」


 アデリナはスカート部分を摘まんで広げながら、両親にドレスを見てもらう。

 ヴァルターが特にこだわった青いドレスは舞踏会の日に着用予定で、今日は同じ日に仕立てた別のドレスをまとっていた。

 こちらは教会で行われる儀式にふさわしく露出の少ないデザインで、色は薄紫だった。

 首元が隠れるため真珠のネックレスは残念ながらつけられなかったが、ドレスについては自分でもよく似合っていると感じていた。


「まぁ、ぐんと大人びて見えるわ。……殿下、アデリナは果報者でございます」


「将来の妻にドレスを贈るのは当然の務めですから」


 きっとジークリンデは無難な雑談で盛り上げようとしてくれたのだ。けれど、ヴァルターがまた紳士的な態度であったため、どうしていいのかわからない様子だ。


 それ以上会話が続かない。ジークリンデはアデリナに向かって何度もまばたきをしてくる。おそらく「助けて」の意味だ。


(ヴァルター様……好青年になったら周囲が困惑するって、どれだけこれまでの態度がひどかったのよ……)


 家族が困っているため、アデリナはひとまず両親とヴァルターを引き離すことに決めた。


「ヴァルター様、そろそろ参りましょう」


「そうだな……。それでは私たちはこれで失礼する」


「はい。どうか近いうちに殿下もクラルヴァイン伯爵家にいらしてください」


「これは嬉しいお誘い。必ずうかがいましょう」


 深々とお辞儀をして、両親が会場の前方へと進むアデリナたちを見送る。


 両親ともに変わってしまったヴァルターに慣れないまま、最後には緊張からの汗を滴らせ、久々の再会は終わった。



   ◇ ◇ ◇



 冷遇されているとはいえ、ヴァルターは第二王子である。

 前方に並ぶ大司教ほか数名の聖職者たちを最前列で見守るのは王族の役割だ。


 アデリナも第二王子の正式な婚約者であるため、彼の隣で祭事に参加する。

 国王やカールは中央の通路を挟んだ反対側の席にいるので、会話をしなくて済みそうだった。


 ちなみにセラフィーナには儀式に必要な杯を祭壇まで運ぶ役目が与えられているから、今はまだ奥の部屋に控えているはずだった。


 指定の席で開始を待っていると、背後から蔑むような笑い声が聞こえた。


「ハハッ。どうせ臣に下るのだから……」


「……伯爵たちと一緒の、後方の席がふさわしいだろうに……」


 席次は、ヴァルターが望んだものではなく、古くからのしきたりで決まっているのだ。

 それでも伯爵家に婿入り予定の第二王子が、自分たちより前にいることが不満で、嫌味を言っているのだ。


 ヴァルターは涼しい顔をしている。

 アデリナもわざわざ波風を立てる必要はないと感じながら、聞こえないふりを続けていたのだが……。


「神聖な儀式の前だというのに、随分と醜い者が紛れ込んだものだな。……アデリナ、後ろを見るなよ、穢れるぞ」


 ボソリ、とヴァルターがつぶやく。

 次の瞬間、教会の鐘が鳴り聖職者たちの入場が始まった。


 聖職者たちを出迎えるため、皆が席を立ち、中央の通路を正面に見据える。

 身体の向きを変えたことでアデリナのすぐ後ろにいた高位貴族の横顔がチラリと見えたが、屈辱で真っ赤に染まっているのがわかった。


(この方……バルシュミーデ公爵だわ!)


 くだらない発言をした者の一人――丸々としたお腹を持つ老人は、カールの外祖父にして、国王の側近でもあるバルシュミーデ公爵その人だった。

 静まり返った教会では、もうヴァルターに言い返すことなどできない。

 公爵はただヴァルターをにらみつけるだけだった。


(ヴァルター様ったら、時間を見計らっていたのね)


 彼ならば、扉の向こうの人の気配を探るのはたやすい。

 それまで黙っていたにもかかわらず鐘がなる直前にわざわざ反論したのは、言い逃げするための策だった。

 かなりくだらない嫌がらせのために、本気になるのだから困ったものだ。


 やがて大司教が祭壇まで辿り着く。

 大司教は六十前後の白髪の老人だ。やや痩せ気味で背は低い。背筋がピンと伸びていて見た目は気難しそうな印象だった。

 実際、真面目で融通が利かない人みたいだが、彼が優先しているのはトリュエステの教義だ。

 相手が王族だからなんて理由で、残虐非道な行いを許す人ではないからこそ、アデリナはあてにしているのだった。


 大司教に続きほかの聖職者の入場が終わると、参列者はそれぞれの席に着く。


 杯を持ったセラフィーナが教会内に入ってくる。


 露出の少ない古風な純白の衣装で登場したセラフィーナは普段と違う雰囲気だが、大変美しかった。

 いつもの表情豊かなセラフィーナのほうがアデリナは好きだけれど、今の彼女はまさに女神で見惚れてしまう。


 足音を立てずに祭壇まで進み、聖なる泉から汲み上げられた水で作ったという特別な酒が入った杯をそこにそっと置く。

 胸の前で手を組んで祈りを捧げると、魔力を放ったわけでもないのに周囲が光輝いて見えた気がした。

 長い祈りのあと、セラフィーナが優雅なお辞儀をして、祭壇から離れる。


 今度は大司教が祈祷を始めた。

 それは今では使われていない古語であるため、アデリナには一部の内容しか理解できない。水や大地……神の名前だけなんとなく聞き取れた。

 大司教の声は穏やかで歌みたいだった。


 聖トリュエステ国も聖職者も、ヴァルターが闇落ちした未来では敵対し、何度も理不尽な要求を突きつけてきた恨めしい相手だ。

 けれど祈りの言葉までは嫌いになれそうもなかった。


(せっかくやり直して……こんなにも苦労をしているんだもの。今度はヴァルター様を異端だなんて言わせない……)


 豊穣の儀式の最中だが、アデリナはこの先どうすればヴァルターが平穏な人生を歩めるかということばかり考えていた。

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