8-3
いよいよ明日から聖雨祭が始まる。
王族二人の断罪に向けての準備は進み、この日までにできる限りの証拠と証人は揃え、あとは当日どう振る舞うかがすべてとなっていた。
開催数日前から前日までは、国外からの客人がぞくぞくと到着する。
正式な行事はないものの王族はそれに合わせ、軽いもてなしや会食、場合によっては会談などを行う。
回帰前のアデリナは、公式行事のみヴァルターの婚約者として参加したのだが、今回はそうはいかない。
ヴァルターが望む場所に一緒に行って、それ以外の時間はできるだけセラフィーナに付き従う。
第二王子の婚約者と第一王女の侍女という二つの肩書きを持っているため、この数日大忙しだった。
(明日からは公式行事ね!)
聖雨祭の初日は、聖トリュエステ国から招いた聖職者を含め、他国からの客人たちを改めて歓迎するための式典から始まる。
二日目は大司教による祈りの儀式。三日目の夜は舞踏会と続き、四日目が最終日だ。
四日目は聖職者、隣国からの客人、そして国内の有力貴族を前にして、国王が今後の国の方針を言葉で示し、聖雨祭の終了を宣言する。
豊穣の儀式を妨げるのは得策ではないため、狙うのは最終日だ。
臣民に対して「国のために尽くすように」などと言う権利があるのかを、王族の二人に問いただすのだ。
勝負は四日目。それまでは、カールにこの動きを悟られないように、聖雨祭を楽しみながら、水面下での駆け引きを続ける必要があるのだが……。
(なんで私が、この兄妹の板挟みに?)
青の館からオストヴァルト城の中心部へ進んだところにある中庭で、ヴァルターとセラフィーナがにらみ合っている。
二人のあいだに挟まる位置に立ち尽くすアデリナは、そばで見守るユーディットとベルントに目で助けを求めた。
けれど、二人とも首を横に振って、後ずさりをするだけだ。
兄妹喧嘩に介入したら酷い目に遭うとわかっているのだろう。
「わたくしは、大司教様へのご挨拶に出向くのです! 侍女であるアデリナはわたくしについてくるべきですわ」
セラフィーナはこれから、到着したばかりの大司教への挨拶へ向かう予定だった。
彼女は神聖なる光属性の魔力を有するオストヴァルトの女神だ。
しっかりと顔を覚えてもらうことで、最終的に大司教を味方に引き入れたい意図がある。
「こちらも、客人への挨拶に同席させたいんだ。……勘違いしているようだが、セラフィーナの侍女である前に、アデリナは私の婚約者だ。どちらを優先すべきかは明白なはず」
「侍女はちゃんとした役職ですから、わたくしが優先ですわ!」
セラフィーナは一方的な宣言で、アデリナの腕にギュッと絡みついた。
ヴァルターも腰に腕を回して、自分のほうへ無理矢理引き寄せる。
「ちょっと……苦しい……」
ひかえめな主張は二人には届かない。
「昨日もそうやって、独占したじゃないか。セラフィーナにはユーディットだっているんだし。アデリナがいなくても大丈夫だ」
「だったらお兄様にもベルントがいるじゃない」
「そんなの嫌だ!」
ついには引っ張り合いを始めてしまう。
「ちょっと、お二人とも! 痛いです」
アデリナが声を荒らげると、途端に込められていた力が弱まる。
さてどうするべきかと思案している最中に、物陰からガサゴソという音が聞こえた。
「……ハハッ」
樹木が植えられているあたりに人の気配があった。このやり取りを誰かが見て、笑ったのだ。
(どうしよう? セラフィーナ様の印象が……)
元々セラフィーナは城内で自由奔放のわがまま王女として振る舞っている。
カールや臣たちにその姿を見せても、国民からの圧倒的な人気は覆らないとわかっているのだ。むしろ二面性をわざと見せつけることで、敵を苛立たせて楽しんでいそうな気さえする。
けれど今日は、外国からの客人が多くこの城に滞在している。
セラフィーナの完璧な女神像が崩壊してしまうことを、アデリナは恐れた。
「誰だ?」
ヴァルターが低い声で問いただす。
中庭に植えられた木の向こうから、茶色の髪の青年が従者を伴って姿を見せた。
「失礼いたしました。……私はマスカール王国王太子、リシャールです。こうして直接お話をさせていただくのは初めてですね? セラフィーナ王女」
「……オストヴァルト王国第一王女セラフィーナですわ。こちらはわたくしの兄、ヴァルターです。リシャール王太子殿下、遠路はるばるようこそ」
コロッと態度を変えたセラフィーナがリシャールに向き直り、優美な挨拶をした。
(どどどど、どうしよう!)
おそらく、中庭に集う者の中で最も焦っているのはアデリナだろう。
リシャールは、アデリナが考える有力なセラフィーナの夫候補なのだ。できれば二人には仲よくなってもらいたいと思っていたのに、この出会いは最悪だった。
実際、リシャールの笑みは引きつっている。
「オストヴァルトの女神と名高い、あなたとこうやってお話しでき、る……。クッ、ハハハッ」
リシャールが、耐えきれずにまた笑い出す。
「ぶ、無礼ですわ!」
取り繕うのを完全にあきらめたセラフィーナが、リシャールを思いっきりにらみつけた。
アデリナは、自分の思い描いていた理想の王女様と王子様の恋物語が崩壊する予兆を感じ取って戦慄する。
どうにか軌道修正できないものかと必死に考えるが、すぐには思いつかない。
「笑われても仕方ないと思うが? ……オストヴァルトの女神……前々から恥ずかしい名だと思っていた」
ヴァルターは、まるで他人事だった。
「なんですって!? お兄様はお黙りになって!」
兄妹の争いが再燃しそうになった頃に、リシャールがようやく笑うのをやめて、姿勢を正す。
「……失礼いたしました。もう少し、近寄りがたい方だと勝手に想像しておりました。まさかこんなに可愛らしい王女とは……」
リシャールはセラフィーナのそばまで歩み寄ると、手を差し出した。
高貴なる女性への挨拶として、手の甲へキスをするつもりなのだ。
彼は人格者だから、セラフィーナの性格が多少思っていたのと違っていても、王女を見下すことはしない。
セラフィーナはツンとした表情のまま、リシャールに手を差し出す。
手袋越しに、触れるか触れないか程度のキスをして、リシャールはすぐに顔を上げた。
(……あれ? この出会い……。もしかして悪くないのでは?)
回帰前のアデリナが見た印象的な光景は、物語か絵画かといった現実離れした美しさのダンスシーンだ。
セラフィーナは女神で、リシャールは完璧な王子様。見守っていた者たちが息を呑むほどの理想を体現していた。
今の二人はそれぞれ、ひねくれ王女と笑いの壺が浅い王子である。
けれどだんだん、そのほうがセラフィーナのためにはいいような気がしてきた。
回帰前は付き合いがほぼなかったので、彼女がどれくらい他者に心を開いていたのかは憶測に過ぎないが、出会いから演技をしてしまうと本来の姿を見せるタイミングがわからなくなりそうだ。
女神のセラフィーナを好きになった人が、飾らない彼女を知ってどんな反応をするのかわからない。
そんなふうに考え、アデリナは二人の様子を見守る。
すると挨拶を終えたリシャールが、今度はアデリナに向き直った。
「あなたのお名前もうかがってよろしいでしょうか? お二方からの信頼が厚いようですが……」
「私は――」
名乗ろうとしたところで、腹部に圧迫感を覚えた。
一度解放されていたはずだが、ヴァルターが再びアデリナを捕らえたのだ。
「彼女は私の婚約者で、クラルヴァイン伯爵令嬢のアデリナだ。セラフィーナの侍女でもあるから、聖雨祭の期間中顔を合わせる機会もあるかもしれない。……そのときはよろしく頼む」
拘束されているせいで、ヴァルターの表情は見えない。
けれどおそらく、知らない人に警戒する猫みたいな状態になっているに違いない。
(……おかしい。理想の王子様を目指してくれるんじゃなかったの?)
挨拶のキスなど絶対にさせないという強い意思を感じる。
理想の王子様、または理想の婚約者に生まれ変わると言っていたのに、ヴァルターはどこまでも勝手だった。
「本当に皆さん仲がよろしいようで、うらやましい限りです。……オストヴァルト王家の方々を長々と引き留めてしまって申し訳ございません。それでは私は失礼いたします」
リシャールの笑顔は去り際までキラキラしていた。
彼の姿が見えなくなってから、セラフィーナが大きく息を吐いた。
「うっかり、素が出てしまいましたわ。わたくしとしたことが」
「セラフィーナお姉様、よいではありませんか!」
「よくないわ」
「完璧な女神ではなくてもお姉様は美しいです。それに、飾らないお姿をちゃんと知っていますけれど、私はセラフィーナお姉様が……ぐふっ」
グッ、とみぞおちあたりが押されて、変な声が出てしまう。
ヴァルターが回していた腕の力を強めたのだ。
「君が一番に好意を伝える相手は別にいるはず」
耳元でボソリとささやかれる。
セラフィーナが好きだと言いかけたことを察知して止めたのだ。
彼の声は周りの人間にも聞こえていた。セラフィーナは呆れ、頭を抱えている。ユーディットとベルントはヴァルターの執着に若干引き気味だ。
アデリナはその日一日、ヴァルターのご機嫌取りに奔走することになるのだった。
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