8-2
カール側に悟られないように気をつけつつ、血染めの薔薇についての調査は進んでいる。
調査開始から一ヶ月で、ヴァルターの配下の者が接触していた
メイドは、バーレ男爵家の内部で悪い噂が流れていると知り、気にしているみたいだ。
これまで行方不明になったのは、捜索願を出す者がいない独り身の者ばかりだった。
けれど、たとえ短い期間であっても使用人同士の交流はあり、同僚にとっては彼らの失踪は不自然なのだ。
例えば、ここでの仕事は楽だと語っていた者が仕事が苦痛で夜逃げしたことになっている――など、男爵が考えていた筋書きと、同僚の印象に差異が生じていて、不審に思われていたらしい。
けれど使用人たちが主人に疑問を投げかける機会などないため、男爵は使用人たちのあいだで噂となっていることに気づけない。
ヴァルターは『
もちろんまだ、血染めの薔薇の件をこちらからは言えない。
ヴァルターは、男爵を行方不明者の件で少し
もし、取り調べを受けていることを真の黒幕に知られたら、バーレ男爵がすべての罪を背負い、今日にでも彼らに殺されるだろう。トカゲの尻尾切りというやつだ。
バーレ男爵には、罪から逃れられる方法は一つもない。
黒幕に従っただけの男爵が残虐な大罪人となり、最も卑劣な者だけは逃げおおせる可能性がわずかにある。
こんな理不尽を許していいのか……。
そんなふうに男爵を説得していったのだ。
こういった話術はヴァルターよりもコルネリウスが得意だった。
やがて罪から逃れられないことを悟った男爵は、べらべらとすべてを話しはじめる。
自分は権力者からの命令によって無理矢理従わされていただけという主張で、どうにか減刑を求めるしかないと考えたのだろう。
結局彼は、保身のためにカールたちの命令に従順なふりを続けながら、ヴァルターに従う駒となった。
あくまでカールに悟られないように動かなければならないため効率は悪いが、男爵から芋づる式にアルント伯爵やほかの貴族、そして王族の二人が関わっている証拠を手に入れることができた。
(そう……証拠を揃えることまでは、できるとわかっていたのよ。問題は決戦の日に一発勝負に出なければならない部分だわ)
国内外の貴族に「この日、国王と王太子を断罪します」なんていう話を通すことはできない。力の弱い第二王子側を支持するより、この情報をカールに渡して恩を売ろうと考える者が出てしまうのは避けられない。
だから、ほとんどの貴族はこんな騒動がくわだてられている事実を知らない。
もちろん、そのまま内戦状態に突入する可能性も否めないため、すでに盟約を結んでいる南部貴族や絶対に裏切らないはずの者には、協力を仰いでいる。
誰が信用できて、誰が怪しいかは王妃だった頃のアデリナの記憶が役に立った。
当日は、唐突に断罪劇が始まる。九割の観客にはその場でどちらを支持するのかを判断してもらわなければならないのだ。
(やっぱり、今の私にできることは少ないのだけれど)
平凡な伯爵令嬢のアデリナには、セラフィーナのお世話と書類整理の手伝いくらいしかできない。ヴァルターたちが本来の職務を完璧にこなしつつ、捜査も続けるという激務に奔走している様子を見守りながら、この日も一日が終わっていく。
私室のベッドで目を閉じて、うつらうつらとしはじめる。
するとわずかに、ギーッという音が聞こえた気がした。
「うぅ……ヴァルター様? ……遅かったですね……お疲れ様です……。先に眠ってしまいごめんなさい」
ぼんやりとした頭で、
アデリナが先に眠るとき、ヴァルターはいつもそっと扉を開けて入ってきてくれる。
普段と違うのは、ヴァルターがいつまでも隣に来ないことだった。
「ヴァルター様……。まだお眠りにならないのですか……?」
「眠っていいのか?」
ヴァルターがベッドのそばにやって来た。その表情はただ困惑しきっているという印象だ。
一切触れないくせに、アデリナがセラフィーナのように暗殺されたらどうしようかという不安から、必ず同室で眠ることを求めているのはヴァルターのほうだというのに、おかしな話だ。
「当たり前……」
そこまで言って初めて、アデリナはすぐ近くにいるヴァルターが夫ではないことを思い出す。
「アデリナ……」
「いいえ、ダメです! なぜ深夜の乙女の部屋に忍び込んでいるんですか!? 絶対ダメです! 今すぐ出ていかないと、大声で叫びますよ」
アデリナの感覚では、数ヶ月前までは一緒に眠っていたのだ。
寝ぼけて、彼が隣にいるのが当たり前だと勘違いしてしまったが、回帰した今の二人はそんな関係ではない。
アデリナは上半身を起こし、ヴァルターの身体を強く押した。
けれど彼はかまわず、アデリナに背を向けるかたちでベッドの端に腰を下ろす。完全に居座るつもりだ。
「ヴァルター様、早くっ、出ていって!」
「今日は汚いものを見た」
真剣な声色に驚いて、アデリナの手から力が抜けた。
「汚いもの……って」
「醜悪な人間だ。保身のためなら……なんでもする。身分の低い者の命など、なんとも思っていない……」
部屋が薄暗くてほとんど見えないが、彼の髪は今、何色なのだろうか。
完全なる闇色ではないが、いつもより暗い色に見えてしまうのは気のせいか。
「ヴァルター様」
とにかく彼は今、闇に呑み込まれまいとして足掻いているのだ。
非常識な行動だとわかっていながら、追い出せなくなってしまう。
「ああいう者を消し去りたいという衝動を持つのは普通だろうか?」
捜査の過程の取り調べで、彼は人の負の面ばかり見てしまったのだろう。
「普通ですよ。……私にだって誰かを憎む気持ちはあります。卑劣な人間が消えてくれたらいいと……思ったこともあります。力がないですし、罪人になりたくないので、実行はしませんけど」
アデリナは、ひとまず彼を追い出すことをあきらめる。
どうにか安心させたくて、手を伸ばし、頭をなでてあげた。
子供にするみたいなアデリナの対応への非難はなく、彼はそれを受け入れている。
「教えてくれただろう? 闇に染まりそうになったら、どうすべきか、なにを考えるべきか」
そういうときは好きなものについて考えてみたらいいと、彼に助言をしたことがある。
回帰前の闇に呑み込まれて以降のヴァルターが、その力を持て余し、制御できなくなりそうなときによくそうしていたのだ。
「本当に、仕方のない方ですね……」
深夜に女性の部屋を訪ねてくるなんて非常識な行動だ。わかっていながら、それでは追い出せなくなってしまう。
(ヴァルター様は……私を想ってくれている……の……?)
告白に近い言葉は、初デートの日の晩にすでにもらっていた。
アデリナは現在、頑張って嫌いになろうとしている真っ最中である。それでも、回帰前にはなかった素直な言葉が彼の口から紡がれるたびに、胸の中が熱くなる。
そして彼が素直になればなるほど、アデリナのほうがひねくれてしまうのだ。
「今夜だけですよ……変なことをしないって約束してくれますか?」
ヴァルターはゆっくりと頷いてから、身体の向きを変え、もぞもぞとベッドに寝そべる。
(十六歳の私なら……動揺して泣き出していたかもしれないんですからね!)
転化の気配があるのなら、冷たく拒絶することはできない。
アデリナは一般的にはよくない行為だと理解したうえで、彼の隣に寝転がる。
「それでは、手を握ってあげます。……私の知っている未来のあなたも、こうしていると少しは心が落ち着くみたいでした」
消えてしまった過去の彼を思い出しながら、アデリナは軽く手を握った。
けれど、すぐにその手は振り払われる。問答無用でグッと引き寄せられたのだった。
「ちょ……ちょっと苦しいっ! それに、調子に乗らないで。……私、こういうのは慣れてなくて……」
たくましい胸板に顔が密着して息苦しい。急激に心臓の音がうるさくなっていく。
なにせヴァルターは挨拶のキスすらしない人だった。アデリナが慣れているのは同じ部屋で眠ることまでだ。
「だからやってるんだ」
ヴァルターの知らない、アデリナの夫だった男性がしなかった行為をすることで、彼はアデリナの一番になろうとしている。
「そういう嫉妬は困ります」
アデリナがなにを言っても、彼は離れてはくれなかった。
翌日、アデリナとヴァルターは二人揃ってセラフィーナに怒られるのだった。
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