7-3

「進んで悪事に手を染める人間はそう多くない。どうせカールに脅されてやっているのだろう。良心の呵責に耐えられなくなって、罪を告白する者がいるんじゃないか?」


 保身や出世のために血染めの薔薇を作っている者がいたとする。

 例えば、カールへの協力が破滅に繋がることをわからせる。完全なる破滅か、協力による減刑か――その二択しかないと思い込ませれば、あっさりこちらの味方になるだろう。

 ヴァルターは、関わっている者に近づき、罪を告白させるつもりなのだ。


 そして関係者からの相談によって、自分たちが動いたという筋書きで、現王家の罪を暴く。


「でしたら、どこか大きな舞台が必要ね」


 セラフィーナの意見は正しい。

 為政者を断罪するためには、確かに大きな舞台が必要だった。ヴァルターたちがどれだけ証拠と証人を集めても、ただ持っているだけではダメだ。

 どうせこちら側が偽の情報で王位簒奪を狙ったという筋書きで、反逆者となるだけだ。


 国王やカールが証拠を握りつぶせない状況を作り上げる必要がある。


(国外の……王侯貴族の目がある場所、かしら?)


 国の恥を晒すことになるのだが、国王と王太子を断罪するためにはそれしかない。


「二ヶ月後の聖雨祭はどうだろうか? 大司教が派遣されるし、隣国からも客人を迎え入れるはずだ」


 聖雨祭は、夏の時期に豊穣を願って行われる祭りだ。


 オストヴァルトの大地では、本格的に暑くなる頃から秋までに降る雨が収穫に大きな影響を及ぼす。

 そのため、聖トリュエステ国の高位聖職者を招き、祈りを捧げる儀式をしてもらうことになっている。

 豊穣のための祭りだが、期間中は都のいたるところに露店が出て、身分にかかわらず誰もがはしゃぐ。

 城では国外からも客人を招き、華やかな舞踏会も開かれる。


 二ヶ月後までに、証拠と証人を揃えるのは厳しいかもしれないが、その後にセラフィーナ暗殺事件が起こる可能性を考えると、勝負に出ていい時期だ。


(聖雨祭の舞踏会以降、セラフィーナお姉様の縁談が具体的になるのよね)


 聖雨祭後半に行われる舞踏会がきっかけとなり、隣国の王太子がセラフィーナに求婚するのだ。

 そこから、カールがセラフィーナを国外に逃がすまいとして暗殺者を送り込むことにも繋がっていく。


「今年の聖雨祭に来てくださる大司教様は立派な方だと思います。それからマスカール王国のリシャール王太子殿下もお若いですが信頼できます」


 アデリナの記憶によれば、今年の聖雨祭を取り仕切る大司教は、聖トリュエステ国で総大司教に次ぐ序列二位の聖職者だった。

 聖トリュエステ国が他国の政治に干渉するようになるのは、まだ先の話だ。

 現在の聖トリュエステ国は、国同士の戦を助長する行動は一切していない。

 国同士の諍いが起こると和睦のために仲裁に乗り出す、正義の味方だ。


 大司教はまさに理想の人格者だったが、後任がよくなかった。

 代替わりして以降、お布施額によって度々特定の国が有利になる発言を繰り返すようになる。


 今の大司教ならばきっと、血染めの薔薇の製造という大罪を暴くために味方となってくれるはずだった。


(そして、リシャール王太子殿下といえば……)


 アデリナはつい、口もとをほころばせる。

 マスカール王国は、オストヴァルト王国と国境を接する六つの国のうちの一つである。

 面積がオストヴァルトの半分ほどしかない小国家だが、豊かな大地があり、地理的に他国から攻め入られにくい条件が揃っているため、安定した国家運営がなされている。


 そして、マスカール王国の王太子であるリシャールは、セラフィーナの夫候補最有力となる青年だ。

 聖雨祭の舞踏会で、二人は何度もダンスを踊る。

 リシャールは、温和な性格がにじみ出ている好青年で、ヴァルターとは方向性が違うがかなりの美男子なのだ。

 オストヴァルトの女神とマスカールの王太子が楽しそうに踊る姿は、今でのアデリナの記憶に残っている。


(私が画家だったら、あの光景を忘れないために描いていたはずだわ)


 回帰前はセラフィーナの死によって婚約には至らなかった。

 それでも、リシャールは恋した相手の面影があるヴァルターを悪く思えなかったのか、オストヴァルト王国と対立せずにいてくれた。

 同盟関係にはなれなかったが、オストヴァルト王国が聖トリュエステ国や周辺国と対立した際には和議の道を模索しようという提案もあった。


(ヴァルター様は、頷かなかったけれど……)


 周辺国が同盟を組み、オストヴァルト王国に宣戦布告したときも、リシャールが彼らに同調することはなかった。


「……やたらと嬉しそうだな、アデリナ」


「本当に、アデリナが男性をほめるなんて初めてではないかしら?」


「ええ、それはもちろん。優しくて正義感が強くて……とても素敵な方ですから。確かヴァルター様よりも一つ年上で、まさに理想の王子様という印象で……」


 あなたは将来、この男性を好きになる――という予言は、きっと喜ばれない。

 だからアデリナはあえてセラフィーナの有力な夫候補が誰であったのか、本人には教えなかった。


 それでも、少し勧めてみるくらいなら、許されるべきだ。


「理想の王子様……そうか……」


 そのとき、アデリナは自身の横側から妙な気配が漂ってくるのを感じた。


(ま……まずいわ……)


 アデリナはまた同じ失敗をしてしまったのだ。

 おそるおそる隣にいる人物の様子をうかがうと、極寒のまなざしでアデリナを見つめているのがわかった。


「ち……違うんです! そうではなくて……私は一般論を」


「君は私以外の人間に対し『物語に出てくる王子』だとか『理想の王子』だとかよく言えたものだな。……一般論ではなく、単純に君の好みの話だろう?」


 ヴァルターだって王子である。

 婚約者が王子であるのに、他人を『理想の王子』とするのは、確かに配慮がなかったかもしれない。


「今回は誤解です。リシャール王太子殿下は、最後までヴァルター様の敵にはならなかったんです! そういう部分に好意を持っているだけで……」


「結局、好意を抱いているんじゃないか」


 昨晩のやり取り以降、こんなふうに彼が変わるなんて予想外だった。

 うっすら闇属性の魔力を流してくるのは卑怯だ。


「あらあら、婚約者同士仲良しなのはいいですけれど……なんだか、お兄様が闇に呑み込まれる原因が増えているように思えるのは気のせいかしら?」


 セラフィーナだけではなく、アデリナもヴァルターが闇に呑み込まれる原因になり得るというのだ。


(そ、そんなの困るわ……)


 実際、アデリナが瀕死の重傷を負ったときに、彼はとんでもない魔法を使っている。

 未来永劫、ヴァルターが闇落ちする原因がセラフィーナの死だけである――とは限らない。その事実を、このとき初めて真面目に考えた。

 これではアデリナが目標を達成しても、彼から離れられなくなってしまう。


 アデリナは危機感を覚えた。


「拗ねないでください。それに、私に苛立ちをぶつけるよりも先にやるべきことがあるでしょう!」


 今は互いに恋だの愛だのと言っている余裕はない。

 平和的にカールを排除するという一点のみに集中すべきだった。


「そうだな。だったらアデリナ。とりあえず、ドレスを作りに行こう。今日はまだ病み上がりだろうから一週間後くらいがいいな」


「あ……あの……悠長にドレスを作っている場合ではないはずで」


 それよりもアデリナの記憶を頼りに、証拠と証人を確保しなければならない。

 もちろんここまできたら、ユーディットやランセル家の二人の協力も必要だが、動ける者は限られている。


「二ヶ月後の舞踏会。出席するなら必要だ」


「じ……自分で用意できますから……」


 王族の強さを示すため、王子は必ず軍人となる規則だ。もちろん名誉職という意味合いが強く、ヴァルターのように本気で軍人としての職務を担う者は少数派だ。

 どちらにしても、王子が公の場で軍の礼装をまとうのはよくあることで、アデリナはそれに合わせてドレスの色を決めていた。


 彼の服装はわかっているから、パートナーと一緒に衣装を仕立てる必要はないはずだった。

 伯爵家からドレスを持参しているし、侍女としての職務がない日に買いに行ってもいい。

 選ぶなら、セラフィーナかユーディットの意見を聞きたかった。


 アデリナはセラフィーナに助けてほしいという視線を送る。


「いいじゃない。裏でこそこそしているばかりでは、あやしまれるわ。元々婚約者を蔑ろにしていないという演技は必要だったのでしょう? そのための観劇デートは中止になってしまったのだから」


 思わぬ方向に変わってしまったヴァルターと一緒にいて、心の平穏が保たれるかどうかわからない。

 少し前までは冷たいヴァルターとのデートはできる限り会話をしなくていい場所を希望していた。

 今は、会話は成り立ちそうだ。これは喜ぶべき変化であるはずだが、アデリナには受け入れられない。


(嫌いになれる理由が減ってしまったら困るの……!)


 アデリナは意地でも回帰直後の怒りを忘れるものかと踏ん張るが、今のところ孤立無援だった。

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