7-2
嫌いになりたいという言葉は、間違いなく今はまだ嫌いになっていないという意味である。アデリナは、回帰前の記憶を持たない人物を責めても仕方がないとわかっていながら、ヴァルターに怒りをぶつけてしまった。
そして、少しだけスッキリとした心地になれたのだ。
(ヴァルター様。夫婦だったときには触れることすらためらっていたのに)
昨晩、ギュッと抱きしめられた感覚を時々思い出し、アデリナの心はずっと落ち着かない。
記憶を辿ると、闇落ちする前のヴァルターは誕生日の贈り物を用意していたのだし、男女のお付き合いについての常識が完全に欠如しているわけでもなかったのだ。
すると、彼が冷たかった原因は、やはり闇属性への転化である可能性が高かった。
転化前は伯爵家が立場の弱い第二王子派に与する必要はないと考え、転化後は闇に心を蝕まれていたから、アデリナを見てくれなかったのだ。
そして、一晩明けた青の館のリビングルームで、ヴァルターとセラフィーナ、そしてアデリナによる話し合いの席が設けられた。
青の館にいる者は基本的に信用できるのだが、不用意に聞かせていい話ではないので、人払いをしたうえで防音の魔法もかけている。
昨晩ヴァルターにした話を、セラフィーナにも聞かせる。
彼女は完全には信じられないし、信じる必要もないと言い切った。
「重要なのは可能性を排除しないことですわ。一、必ずその日襲撃が起こり、ほかの日に死ぬことはない。二、その日以外でも襲撃が起こる。三、アデリナが嘘つきだから襲撃なんて起こらない。どれを選ぶのが正しいかおわかりかしら?」
セラフィーナは一、二と指で数えながら質問をぶつけてきた。
「二です。すでに私が介入してしまったので、皆さんの行動が変わっていますし」
「大正解よ。わたくしは、この目で見ていないものは基本的に信じないけれど、有益な情報を無視するおバカさんではないのよ」
セラフィーナはなぜか高笑いを始めた。
自分が近い将来死ぬかもしれないと言われたのに、あまり傷ついてはいないようで、アデリナは安心する。
「アデリナ……クッキーはどうだ?」
いつもの調子の妹を無視し、ヴァルターがアデリナの口もとまでクッキーを運んでくる。
勧められたら断れない性格だから、当然いただくことにしたのだが、頭の中は疑問符だらけだった。
(なんで隣なのかしら? それにこんなの私の知っているヴァルター様じゃないんだけど、熱でもあるの?)
もぐもぐとクッキーを咀嚼しながら、隣に座るヴァルターからこっそり距離をとった。
以前、アデリナがセラフィーナと闘って倒れたときも同じソファを使ったが、それは魔法による治療をするためだ。
今日は用がないのだから、この館の主人らしく、一人掛けのソファにどっしりと構えていればいいものを、わざわざアデリナの隣にいるのだ。
「どうしたんだ、アデリナ」
「回帰前に夫婦だったからって、それはもうなかったことになっているので適切な距離を保っていただきたいです!」
「べつに昨日みたいにべったり触れているわけでもないし、十分に適切な距離だ」
そう言って、わずかに身を寄せてくる。
(本来のヴァルター様って、惚れっぽいのかしら?)
光属性時代のヴァルターをアデリナはあまり知らない。闇属性時代との違いに困惑して、ひたすら逃げ出す方法を考えていた。
「ちょっと! そういうのは二人きりのときにやってくださる? アデリナはすぐに真っ赤になるし、お兄様は鼻の下を伸ばしすぎです。話が進みませんわ!」
「真っ赤になっていません!」
これまで散々苦労をしたせいで大抵のことでは動揺しない、大人の女性であると自認していたアデリナだが、思い返せば恋愛経験だけは皆無だった。
真面目さゆえに闇落ちした夫を想い続けたせいで、甘い態度や言葉への免疫がない。
セラフィーナからの指摘で、頬の火照りを自覚したが、認めたくはなかった。
アデリナはヴァルターを本気で押し退けてからゴホン、と咳払いをして姿勢を正す。
「で、では……過去を語り終えたところで、今後の方策について具体的に話し合いたいと思いますっ!」
不自然に声が裏返えると、セラフィーナがニヤリと笑うものだからいつまでも平静になれなかった。
「アデリナは、内戦をできる限り避けたいんだな? だが、私たちとしてはカールの排除は譲れない」
「味方の犠牲を減らしたいというだけで、どんな敵でも話し合えばわかり合えるなんて思っていません。ですから、戦わずして勝ちたいんです」
「……それは、確かに理想だが」
ヴァルターは、実現できないと思っているのだろう。
けれどアデリナもただの理想だけでこんな話をしているわけではなかった。
「昨日もお話ししましたが、血染めの薔薇の件で断罪できるはずです。……私は、城内にある隠し通路の場所も、そこから行ける地下の施設の構造も知っていますから。ただ……」
「ただ、どうしたんだ?」
「私たちが地下の製造拠点を見つけてしまうと、私たちこそが施設を使っていたみたいな……そういう濡れ衣を着せられる可能性がありますし、国王陛下や王太子殿下が関わっているという証拠が出てくる確証はありません」
「なるほど、関係者でもないのに、どうやって秘密を知ったのかを問われると、答えられないな」
回帰前の記憶は断罪するための手がかりにはなるが、証拠にはならない。
「方針はいいと思うのよ。……血染めの薔薇を作っている王家なんて、間違いなく民から断罪されるべきだもの。それに、魔力の高い貴族だって自分が石作りのための材料になるかもしれないと不安になるでしょう? 支持は得られるわ」
セラフィーナは、方針そのものには賛成してくれるみたいだ。
「私もそう思います。いつかは露見するでしょうし、そうなったときにヴァルター様やセラフィーナお姉様が王家の一員として処罰される対象とならないためにも、動かれるべきです」
回帰前もそうだったが、世間はヴァルターたちを含めて「王家」だと認識している。
ほかの者が血染めの薔薇の件を暴き、王家を断罪すると、ヴァルターたちも巻き添えで罪人となってしまう。
それを避けるためにも、彼らには非道な行いを正す正義の味方でいてもらう必要があった。
勝てる見込みがないのに動くのは無謀だが、この瞬間にも魔力を持った者の命が奪われているかもしれないのだ。
犠牲が出ているのに傍観していることに対してもアデリナは罪悪感を抱く。
「……アデリナは、製造に関わった者の名前を知っているか?」
「直接の面識はありませんが、だいたいは。作り手も魔力操作に長けた者でなければならないので、貴族が関わっていました」
魔法による貢献度が地位に影響を与えるので、強い魔力を持つ家系のほとんどが貴族だ。
そのため血染めの薔薇の製造に関わっていた者の中にも貴族がいる。
アデリナ自身は、王太子派の貴族たちとの親交が皆無だから、人柄などは知らないが大物の名もあった。
「名前だけでもいい。調査はこちらで行うから」
アデリナはさっそく、内戦終結直後に行われた捜査で捕らえられた人物の名を、思いつく限り書き記す。
「国王、カールとバルシュミーデ公爵……まぁ、それは当然として、アルント伯爵にバーレ男爵か……。男爵なんて人がよさそうだったのにな」
「お兄様、なにか策があるのかしら?」
ヴァルターは小さく笑って頷いた。
彼がそういう仕草をするとなにかたくらんでいそうに見えるのはアデリナの気のせいだろうか。
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