6-3
アデリナから、転化を防ぐために好きなものについて考えろと言われた。
半信半疑なヴァルターだったが、彼女の自信ありげな態度に圧倒され、それに従う。
(好きなもの……そんなもの……私には……)
もともとあまりなにかに執着する人間ではないから、好きなものなんて思いつかない。
なんとなく目の前にいる娘の姿が気になり、彼女について考える。一度アデリナのことを思うと、余計に好きなものなんてない気がしてきた。
マフィンを頬張るアデリナは、昼間の真っ青な顔が嘘のように、元気を取り戻している。
名前を呼んでくれたアデリナ。
真珠のネックレスに喜ぶアデリナ……。
侍女になるために全力で闘ったアデリナ…………。
観劇に行きたかったと、子供みたいに泣きじゃくったアデリナ。
(そうか……私は彼女に好意をいだいているのか……)
ストン、とすべてが腑に落ちた。
異性の好みが
侍女になることを反対していたはずなのに、彼女が出ていってしまうかもしれないと不安になったのは、純粋に一緒にいたいと思っているからだ。
そんな簡単な事実に気がついたヴァルターは、アデリナの肩を借りて彼女のぬくもりを感じてみた。
言われたとおりに、彼女について考えることだけに集中していると、本当に胸の苦しみから解放されていく。
(こんなことは初めてだ……)
闇属性に囚われそうになったときの苦しみは筆舌に尽くしがたい。
鼓動がうるさくなり、血管が焼き切れそうだ。
そして、思考さえも変わり、他者に対し攻撃的になってしまう。自分が自分でなくなる不安と闘わなければならない。
一度始まってしまったら、一晩中苦しみ孤独を味わうことが多かった。
彼女の知識と闇属性に関する理解は、ヴァルター本人を超えているみたいだ。
いったいどうやって知ったのかをたずねると、またわけのわからない主張を始めた。
「私がヴァルター様の秘密を知ったのは……あなたと婚約するより前です」
「そんなはずはない! ただの伯爵令嬢である君に情報がもれているのなら、私はとっくに……」
この秘密が他人に知られていたのなら、異端の烙印を押されて最低でもどこかに幽閉されていたはずだった。
クラルヴァイン伯爵家が諜報活動に長けていた――なんてことも絶対にあり得ない。
「いいえ、それでも事実なんです。長い話になりますが、聞いていただけますか?」
「……ああ」
「では……ヴァルター様がダメ夫になる未来の話を聞いてください!」
「……ダメ夫……だと?」
突然のダメ夫宣言に、ヴァルターは益々混乱していった。
アデリナは戸惑うヴァルターを眺め、にっこりとほほえむ。
そして衝撃的な内容を語りはじめた。
まず、アデリナが本来知っているはずのない知識を得た理由は、時戻しの魔法の影響だという。
将来その魔法を生み出すのはヴァルターであり、時属性のアデリナだけが精神を保護され、回帰前の記憶を有しているというのだ。
最初は、アデリナが妄想癖のある変な女性になってしまったのだと思い、ヴァルターは落胆した。
けれど、全否定してしまうと彼女がなぜ秘密を知っているのかを聞き出すことが困難となる。
そのため、あまり余計な発言をせずに聞き役に徹した。
本人曰く、本来のアデリナは今ほど図太い性格をしていなかったそうだ。
ヴァルターの冷たい態度に萎縮して、よい関係を築くことは叶わなかった。
回帰前の世界で、アデリナの首元で柔らかい光を放つ真珠のネックレスは、セラフィーナに渡るはずだった――という。
(もし、アデリナに渡せなかったらセラフィーナにくれてやろうと……確かに私はそう考えていた……)
これはたった一ヶ月の付き合いしかないアデリナが、想像で適当なことを言ったとは思えないほどあり得る話だった。
しかもセラフィーナに与えればいいという考えは、誰にも話していないのだ。
(そして……アデリナとの関係が希薄のまま、セラフィーナが暗殺され……私は闇属性へと完全に転化するのか……)
回帰前の未来ではヴァルターはかねてより密約をかわしていた南部貴族たちとともに、現国王とカールを討つために立ち上がる。
約三年の内乱で多くの犠牲を払い、ヴァルターは新国王となるが、その治世は十年持たずに危機を迎えてしまう。
時戻しの魔法は、守人により改変が行われなければ、無限回帰に陥り、やがて世界が消滅する。
(時戻し……。信じ難いが、南部貴族との約束まで知っているのはやはりおかしい)
彼女の話を否定するのならば、矛盾点を指摘しなければならない。
奇術の種明かしをするみたいに、こうすれば時戻しなどしなくてもアデリナが情報を得られるはずだという仮説くらいは提示するべきだ。
ヴァルターには、その仮説が浮かばなかった。
「私の目的は……無限回帰の回避です。そしてできれば、私にとって最善の未来を手に入れたいのです」
「最善とは具体的にどのようなものなんだ?」
「伯爵家……大切な家族を守りたいです。……親しくしていたほかの方々も幸せであればいいと願っています」
それは嘆きに似た切実な願いだった。
ヴァルターも理不尽な出来事により家族を失ったことがある。似た経験をしているからこそ、アデリナの真剣なまなざしが嘘とは思えなかった。
「では、侍女になったのは……?」
アデリナは小さく頷く。
「セラフィーナ様の暗殺を防げば、ヴァルター様の心が闇に染まる事態をひとまず回避できるはずです」
当然カールを排除しなければ先延ばしにしかならないが、約五ヶ月後の悲劇を回避することをアデリナは第一の目標としているのだ。
彼女の言葉を信じるのならば、ヴァルターは結局最悪の事態になるまで水面下での準備だけを進めているだけの、行動できないまぬけになるのだろう。
「私のために……。それならば、私が信じないでどうするというんだ……」
「張本人のあなたに信じていただけないのなら、私もお手上げですね」
時戻しを使ったのはヴァルターであり、本来ならヴァルター自身がアデリナの魔力を利用して精神を保護すべきだった。けれど時属性の魔力の持ち主にしか魔法がかけられず、苦肉の策としてアデリナだけが回帰前の記憶を保持する結果となった。
時を戻した本人から話を聞く術がすでに失われているため、アデリナの推測も混ざっているが少なくとも彼女の中では事実なのだろう。
そんなことがありえるのか検証するよりも、苦労して侍女になり、身を挺して毒蛇からヴァルターを守ろうとしたアデリナの思いを裏切ってはならない気がした。
「回帰前は私たちの関係は今より希薄だったと言ったな?」
「はい」
「でも、君は……王妃になった。つまり、私たちは……」
彼女はずっと、闇属性に転化した男を支えたのだろうか。
それは好意を超えるなにか――愛情がないとできないはず。そのことが今のヴァルターにも希望を与えてくれる気がした。
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