6-2

 アデリナとならば、適度な距離を保ちつつ良好な関係が築けるかもしれない。

 そんなヴァルターの考えは、たった数日で覆る。


 城勤めの文官から、侍女の募集に応募があったという報告がもたらされた。応募者に関する情報を読んで、ヴァルターは驚愕するのだった。


「アデリナが……セラフィーナの侍女になりたいと……? 必要以上に私たちと親しくするのが危険だとわかっていないのか!?」


「あらあら困りましたわ。一応募集はしているけれど、誰も応募してこない前提でしたのに。お兄様の婚約者って少々図々しいのではなくて?」


「図々しいだなんて、セラフィーナに言われたらさすがにかわいそうだぞ。仕方ない、呼び出して取り下げさせよう」


 きちんと計算ができる娘だと思っていたのだが、買いかぶりだったかもしれない。

 ヴァルターはさっそく手紙を書き、アデリナを青の館に招いた。


 彼女はひかえめな見かけによらず、かなりズバズバと物を言う。


 四つも年上のヴァルターがにらみつけても怯まずに、自分の主張を曲げなかった。

 舌戦で押され気味になると、セラフィーナが口出しをして、採用試験だけは実施することに決まる。

 もちろん、落とす前提の試験だ。


(セラフィーナの策に乗ってみたものの……本当に、大丈夫なのか……?)


 世間ではオストヴァルトの女神などと言われているが、それは見せかけだけだ。セラフィーナの性格は苛烈で、かなりわがままである。

 兄妹の絆は強く、互いにかばい合いながらこれまで生きてきて、これからも守るべき存在だった。

 それでもさすがに、妹がいい性格をしていることくらい、ヴァルターにもわかっている。


 試験の実施日、ヴァルターは軍の職務を部下に任せ、最も危険な護身術の試験に合わせて庭と隣接している林に潜伏した。


(セラフィーナがやり過ぎたら……アデリナが怪我をしてしまう)


 意外にもアデリナは強かった。

 防御に特化しているので目立たないが、年齢に見合わぬ技量を見せつけている。


 魔力の保有量は少なめで、魔力切れの症状が現れてしまったが、セラフィーナの提示した条件をアデリナはうまく利用して、少ない魔力でも見事勝利を果たしたのだった。


 倒れたアデリナを介抱していると、セラフィーナがこんなことを言い出した。


「鈍感なお兄様! 憧れている者の目じゃなかったわ。どちらかといえば、あれは好敵手に向けるまなざしね。嫌味を言っても立ち向かってくるし……それくらい本気なのよ」


 次の瞬間、ドクンと心臓が大きく鼓動を刻んだ。


(私は……アデリナに……それほど好かれているのか?)


 その割には、ヴァルターの見た目に絆されて近づいてくる女性たちとは違い、うっとりとした表情はしない。つくづく不思議な令嬢だった。



   ◇ ◇ ◇



 アデリナが侍女としての勤めを始める初日。

 ヴァルターは出迎えこそできなかったが、できるだけ早めに仕事を切り上げて、青の館へ帰った。


 建物に近づくと、庭先で立ち話をしているアデリナとセラフィーナの姿があった。


(なぜ、私の話なんてするんだ……)


 お兄様、ヴァルター様……という言葉が飛び交っているため気まずくなり、ヴァルターは気配を殺してしまった。


 そして二人の会話からアデリナの本音を知る。

 アデリナはヴァルターに特別な感情を抱いているわけではなく、共闘関係を築くために侍女になったらしい。

 もし婚約を継続する理由がなくなれば解消するつもりのようだった。

 そしてどうやら、婿の容姿なんてどうでもいいらしい……。


(顔の話はともかく、共闘関係を築きたいのも、理由がなくなれば婚約解消となる予想も……すべて私と同じ考えだが……)


 話を聞いているだけで、胸のあたりがモヤモヤとしてくる。

 認識を共有できているのなら、それは歓迎すべきだった。どこに負の感情を生み出す要素があるのか、ヴァルターにはまったくわからない。


 わずかに闇属性の魔力が胸のあたりから生まれてくる気配までしている。


(不快だ……なんだこれは……)


 ヴァルターの苦しみなど知るよしもなく、二人の会話は続く。


「あなた、さびしいくらい現実主義者なのね……。でしたら、アデリナの理想の男性ってどんな方なの? ベルントみたいな明るくてたくましい殿方? それともコルネリウスみたいに知的な方?」


「ええっと……そうですね。例えば、ユーディット様みたいな方でしょうか! 優しくて話が弾む方がいいです。なんだか、物語に出てくる王子様みたいなんですもの。それから、一途で私だけを特別に想ってくれる方がいいなって思います」


 ユーディット・バルベ。ヴァルターの姉弟子にあたる女性が、アデリナの理想に近いという。明るく、お人好しで、しゃべることも好きそうだ。そしてなにより性別は女性――つまり、アデリナの好みはヴァルターとはすべてが真逆というわけだ。


(私は、たぶん一途だが……。それよりも、これ以上聞いてはいけない……)


 アデリナに憤りを感じる合理性がない。

 ヴァルターは転化の発作を防ぐために、アデリナたちに近づいて、無理矢理会話を終わらせたのだった。


 そして、彼女が侍女になってからしばらくのこと……。


 アデリナがヴァルターを庇い、蛇の毒にやられた。

 もちろん二人がかりで解毒の魔法をかけたが、症状がなかなかよくならない。


 遠くから放たれた蛇がたまたま青の館にたどり着き、まっすぐに主人のどちらかを狙ってくる可能性はどれくらいあるのだろうか。

 普通に考えれば、なんらかの魔力的な改造がされていたと考えるべきだ。


(例えば、私の姿やにおいを植えつけて、それこそが獲物であるという刷り込みがされている……とかだろうな)


 動物を操る魔法については実例があり、そんな状態だったと予想ができる。

 見えない壁に当たった蛇は、攻撃を受けたと認識して、届く範囲にいたアデリナに牙を剥いたのだろう。


 状況を分析しながら、アデリナの治療に全力を注いでいるうちは、まだ冷静でいられた。


 彼女もこの一件で、青の館に勤めるということがどれほど危険か理解できたはずだ。

 実際にカールが異母弟妹の暗殺をくわだてている場面を目の当たりにし、自分にも被害が及ぶことを知ったら、アデリナは離れていくかもしれない。


(私は……アデリナが侍女になることに反対だったはずだが……離れてほしくないと思っているのか?)


 アデリナが絡むと、なぜか言動に矛盾を抱えてしまう。

 それでも、彼女の心が離れていくことに不安を感じていた。

 だからこそ、観劇に行きたかったと言って涙するアデリナの姿に安堵し、胸のあたりが熱いもので満たされていったのだ。


 そしてアデリナの体調が快復するのを見届けると、気が緩んだのか転化の気配が表れはじめた。

 自分とセラフィーナの命を狙い、アデリナを傷つけた毒蛇――あれはカールの指示で放たれたものに違いない。

 誰かを守りたいと真摯に願うほどに異母兄への憎しみが増す。


(まずいな……。こんなことで……)


 最初は部屋に閉じこもっていたヴァルターだが、どうしても風に当たりたくなった。

 転化が始まると、目や髪が魔力で闇色に染まる可能性があったためランプすら持たずに外へと出る。

 誰にも姿を見られてはならないから、林の中に身を隠す。


 しばらくすると、アデリナが現れて妙な話を始めた。


 彼女はヴァルターが闇を抱えていることを知っていたのだ。

 この事実を知っているのは、セラフィーナと、ランセル家の二人、そしてバルベ将軍と姉弟子のユーディットだけだ。

 それ以外の、信用できないものに知られたら、即座に口封じをしなければならない。

 闇に囚われているあいだは、他者に対して攻撃的になりやすい。けれど、このときのヴァルターは、アデリナを排除しようとは少しも考えなかった。


(出会って一ヶ月程度のこの娘のことを……私は信用しているのか……)


 忌み嫌われる闇属性であると知りながら笑顔でマフィンを押しつけてくるアデリナは、ヴァルターがこれまで関わった人間の中で最も理解し難い者だった。

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