6-1 婚約者から将来ダメ夫になると言われた男の話
ヴァルター・ルートヴィヒ・オストヴァルトは、心の中に闇を秘めている。
油断すると闇に呑み込まれ、魔力属性が変化しそうになるのだ。
同じ光属性である妹のセラフィーナとの違いは生まれながらの気質かもしれない。
例えば、近しい者が殺されたとき――。
セラフィーナは憤り、嘆き悲しむ。犯人と黒幕が法的に処罰されることを祈り、そのために自分ができることはするだろう。
けれど、そこまでだ。罪を犯してでも敵を討とうとは考えないはずだ。
ヴァルターは違う。非合法でも、望みが叶うならそれでいいと思う。実行できずにいるのは、それをしてしまうと守るべき者の未来が危ぶまれるからだ。
ヴァルターが証拠集めや根回しをせずカールやバルシュミーデ公爵に復讐をしても、セラフィーナを幸せにできない。そして彼女が喜ばない想像もできる。
自分の中に正義はなく、いつだって倫理観を他人に依存している。
表層だけの正しさをまとい生き続けてきたのだ。
国王や異母兄を家族だと思ったことはなく、唯一守るべき対象であるセラフィーナの安全を確保するための策を練りながら、二十歳の誕生日が過ぎたある日……。
久々に国王からの呼び出しを受けたと思ったら、バルシュミーデ公爵も同席していた。
彼がここにいるということは、それだけでろくでもない用件だとわかる。
「ヴァルターもついに二十歳になったのか。婚約者がいないのは問題であろう。そなたの次にセラフィーナの結婚も考えねばならぬし、いい頃合いだ」
つまり、国王はヴァルターの婚約を進めるつもりなのだ。
異母兄カールは十歳の頃に外祖父が選んだ侯爵令嬢と婚約している。
今までヴァルターの婚約が決まらなかった理由は、どこの家も押しつけられたくなかったからだろう。
「陛下の勅命とあらば、慎んで従いましょう。……それで、相手はどちらの令嬢でしょうか?」
「うむ、クラルヴァイン伯爵家のアデリナ嬢だ」
国王の言葉を受けて、公爵がにやりと笑った。ヴァルターだけではなく、クラルヴァイン伯爵家を見下しているのがよくわかる。
「クラルヴァイン、ですか……」
名前は聞いたことがあるが、どんな家であるのかすらよくわからない。
(貴族たちの噂の的にならない家……つまり、相当地味な家なのだろう。まぁ、バルシュミーデ公爵との関係がなさそうなのが唯一の救いだな)
ヴァルターが望まない縁談相手は、公爵家となんらかの繋がりがある家の娘だ。間接的に縁続きになって、公爵家の支配を受ける可能性をヴァルターは危惧していた。
ヴァルターの動きを封じ監視するためには一番よい手だった。
けれど、公爵のほうも、愛娘の
力のない第二王子を押しつけられたクラルヴァイン伯爵家には悪いが、最悪の事態は避けられたといったところだ。
用が終わると、国王はヴァルターに退室を促した。
久しぶりに我が子に会ってもお茶の時間すらもたない。もちろんヴァルターも望んでいないのだが、そんな関係が滑稽に思えた。
それから初対面までのあいだに、ヴァルターは自身でもアデリナ・クラルヴァインについての調査を行った。
(本当になにもない。いっそ哀れに思えてくる)
クラルヴァイン伯爵家の特徴といえば、比較的めずらしい時属性の魔力を有している者を多く輩出していることくらいだ。
アデリナという娘は、最近社交界デビューを果たしたばかりでまもなく十六歳になる。
時属性であることと髪と瞳の色くらいしか情報が出てこない。
(顔合わせの日が誕生日なのか……贈り物を用意すべきだろうな)
ヴァルターは、最終的に彼女と結婚する可能性は低いと考えていた。
国王の一番目の妃が亡くなったとき、すでに初老を迎えていたバルシュミーデ公爵は、ヴァルターたちの母を悪女だと罵りつつも、心のどこかではただの女官に決定権などなかったことを理解しているはずだった。
王妃という地位を愛娘から奪い取ったヴァルターの母を憎み、悪女への復讐を成し遂げたところで、ある程度の怒りは収まっている。
現在の彼の目標は孫のカールを国王にすることであり、その邪魔をする可能性を秘めた存在としてヴァルターやセラフィーナを疎んでいる。
ヴァルターが王子として冷遇され続け、権力を持たないまま平凡な伯爵家の婿としての地味な生活を受け入れれば、それ以上干渉してこない可能性は高い。
けれどカールは違う。
彼は幼少期から二番目の妃とその子供が母親の敵であることを徹底的に植えつけられている。
言葉の理解と同時に始まった刷り込みから来る憎悪は、植えつけた者が持つ憎しみを遥かに超えていて、ヴァルターたちの平穏を決して許さない。
いずれ国王や公爵からカールに権力が移ったとき、ヴァルターが無策でいたら確実に討たれるだけだ。
そう考えたヴァルターは、近い将来に訪れる全面対決に備えているのだった。
カールを排除したら、ヴァルターがこの国唯一の王子にして王位継承者となる。
そうなれば、伯爵家の婿にはなれないのだ。
(だが、しばらく無難な付き合いをしなければならない相手だ……。最低限、誕生日の贈り物は用意するべきだろうか)
伯爵家側も、王太子との関係が最悪な第二王子など受け入れたくはなかったはずだ。
それでも婚約者でいるあいだ、互いに良好な関係を築く努力をすべきだろうか。
それとも、できるだけ嫌われたほうが、のちの別れが楽になるだろうか……。
(もし渡せなかったら、セラフィーナにでもくれてやるか……)
ヴァルターは迷い、とりあえず贈り物を用意して初対面へと挑んだ。
「ヴァルター様……」
伯爵邸の池の畔で、アデリナに名を呼ばれた。
「ヴァ、ヴァルター……だと!? わ、私は……第二王子、だぞ」
どの道を進み、どんな関係を築くのか――選ぶのは自分であるはずだとヴァルターは信じていた。けれど、それは驕りだったのかもしれない。
アデリナのほうが親しげに呼びかけ、たったひと言でヴァルターを動揺させた。
「ですが、婚約者です。私は婚約者を名前で呼ぶことも、逆に呼んでいただくことも許されないのですか……?」
アデリナは賢そうな女性だった。
婚約が悪意で結ばれ、互いに利点がないことをわかっている様子だ。
それなのに、歩み寄ろうとしてくれている。
あえてそう装っているとはいえ、王太子や第一王女に比べ能力的には平凡と思われているヴァルターを嫌悪する様子もない。
「そ……それが君の希望であれば……許してやる」
結局ヴァルターはアデリナの希望を受け入れ、彼女とできるだけ良好な関係を築くことを了承した。
真珠のネックレスをつけてほほえむ姿は、まるで子犬みたいだった。
特別な美人というわけではないけれど、笑顔が可愛らしい娘だとヴァルターは思った。
念のため、もしヴァルターが窮地に陥ったときは構わず伯爵家の利益を優先するようにと忠告をして、婚約者との顔合わせは終わった。
(まぁ……賢い令嬢でよかった……)
アデリナ・クラルヴァイン――どうやらヴァルターは理解ある最良の婚約者を手に入れたらしい。
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